互いの未来を誓う口づけ
 最終戦、玉狛第二は見事二宮隊に打ち勝ち、B級二位になったところでランク戦シーズンが閉幕となった。玉狛支部に戻ってきた皆を祝い、豪華な夕飯を食べて、余韻のなかで各々が解散してく。
 私と遊真も例外ではなく、人も少なくなったからと二人で屋上へ。三月に入って、前よりはずいぶんと寒さも和らいだ。遊真が淡々と端に向かって歩いていくので後を追えば、今度、遊真は急にくるりとこちらを振り返る。

「座るか?」
「……か、抱えようとしてる?」
「そのほうが早いだろ」
「えぇと、それはそれで怖い、かな……」

 自分の意志に反して屋上の縁に座らせられるのは、ちょっと不安。遊真が落とすようなことはないと思うが、逆に私が下手に動いたらバランスを崩してしまいそうで。遊真はあまり気にしていないのか「そっか」と頷くと、夜景に背を向けて縁へと座る。

「隣、どうぞ」
「……うん」

 これはこれで、少しでも仰け反ったら落ちちゃうのかな、なんて。私はおそるおそる遊真の隣に腰掛けるものの、すぐに遊真の腕にしがみつく。意図がわかっているのだろうか、遊真はけらけらと笑って、それから手のひらをぐっぱとして見せる。私は腕を絡めたその先、手を重ねて指を絡め、ぴったりと寄り添って、ひと息。

「あんまり照れなくなったな。慣れたか?」
「今は恥ずかしいより、怖いほうが強いからね……」

 遊真はやっぱりおかしそうにしていて「まあ、座ってるほうが楽だろ」と言う。ずっと立っているよりはいいけれど、わざわざ屋上の縁まで来るのはなんでだろう。まぁ、別に遊真にくっつける口実になるのならいいのかな――なんて、同じことを遊真が思っていたら、それも気恥ずかしいか。
 少しして、きゅうと握る手に力がこもった。いよいよ、と予感する。

「……勝ったぞ」
「うん、おめでとう」

 ここまで何度口にしたかわからないお祝いの言葉を述べれば、遊真は横目でこちらをうかがう。困ったように笑って、それでも約束したからだろうか話を切り出した。

「頼みたいことなんだが」

 そこまで言って、遊真は一度言葉を切った。言い淀む遊真が珍しくて、思わず「なに?」と問いかける。

「……たぶん、和音はつらい、と思う」

 内容には触れず、それでも私を慮るように言葉に詰まる遊真を見ると、まるで今なら引き返せると言われているようだ。聞くことも、聞かないこともできる。ここが私達の分水嶺なのだろう。

「それでも、聞くよ」

 どんな意図があれ、遊真が頼みたいと思うことならば応えたい。難しいことでも、できるようになりたいと思う。意志が伝わったのか、遊真もまた真剣な目で私を見つめた。ゆっくりと開かれた口から、頼みごとが切り出される。

「このまえ、和音の母さんの話を聞いたときに思ったんだ。和音はきっと、おれにも『おいていかないで』って思うかもしれんな、って」

 やはり、遊真も察していたのだろう。お母さんに置いていかれて泣きじゃくる私を通して、似た未来を想像していてもおかしくない。私だって、自分の“置いていかないでほしい”という願いを言葉にして気づいてしまってから、気持ちの行き先に困っているくらいだ。
 それが頼み事とどう関係するのだろう。どことなく不安になるのも感じながら遊真を見つめれば、いよいよ「でも」と切り出される。

「――おれも、やっぱり和音をおいていくと思う」

 ずきんと胸が痛んで、突然のことに驚いたかのように肺がぎゅうと縮み、息ができなくなる。
 けれど、わかっていたことだ。レプリカにだって言われていたこと。遊真は死にかけた身体を治さないまま、今もここにいるのだから。
 それでも、お母さんのことを思い出せば血の気が引いてしまって、私はどうにか繋がった手の熱を頼りに堪える。縋ったままの遊真の腕を支えに深呼吸をしていると、遊真は静かに話を続ける。

「和音は母さんを追いかけなかっただろ。だから、おれのことも……追いかけちゃダメだと思う」

 遊真の話す『追いかける』という言葉の意味は曖昧なまま。だから、悪いほうに捉えちゃいけないと考えを振り払う。
 でも、だとしたら遊真は、私が遊真に追いつきたくて頑張ることを止めようとしているのだろうか。だって遊真が目標に向かって進む、その側にいたいと思ったばかりなのに。そのために、できなかったことをできるようになろうと、決意したばかりなのに。

「……私、遊真が進む道を邪魔したいわけじゃ、ないんだよ」

 返せたのは、そんな弱々しい言葉だけだった。ついていくことすらも、最後には遊真の進む道の邪魔になってしまうのだろうか。けれど、遊真が遠くに離れていく、その背中を見るだけなんて……寂しい。
 
「……だから、私はきっと置いていかないでほしいって思っちゃうけど、それで遊真の足を引っ張りたいわけじゃ、ない、から……」

 遊真の迷惑になるくらいなら置いていってほしいとも思う。それで私が悲しんでいても放っておいてほしい。……だって遊真には、そんな私を拾い上げる必要なんてないのだから。荷物になるくらいなら手放してしまえば、遊真が歩む道の助けになるはず。
 言葉の意味が曖昧になればなるほど、感情の輪郭がぼやけていく。私は苦し紛れにも話を続けようとしたのだが、先に遊真が「和音」と私を呼び止めた。

「おれも、和音と同じだよ」
「……なに、が?」

 思考を無理やりに止められて混乱している私をよそに、遊真は綺麗に微笑む。

「一緒にいたくても、それで和音を連れていきたいわけじゃないんだ」

 ばちん、とまた頭の中で思考が弾けた。
 遊真の言う、一緒にいたいとはどういう意味なんだろうか。私の脳みそは都合よく“一緒に死んでほしい”と聞いていたと思う。それでいて遊真は“連れて逝く”ことを……私が死んでしまうことを、望んでいないのだとも聞こえた。

「……ゆ、うま……」

 言葉で確かめるより先に涙が溢れてしまって、ぼろぼろと頬を雫が伝っていく。遊真は当たり前のように涙の筋へと吸いついて、キスをしては慰めるように頬を撫でてくれた。そうして遊真は囁くように言葉を紡いでいく。

「おれのせいで、和音までついてきたら困るだろ」
「…………なん、で?」
「……おれだって、和音のこれからを邪魔したいわけじゃない」
 
 遊真が少し考えるように話すのは、私の言葉になぞらえようとしているからなのだろうか。私の言いたいことを遊真の立場から返されてしまえば――わかりたくないのに――わかってしまう。
 きっと遊真も、私が未来を歩む足枷になりたくないと言っている。あぁ、こんなのってない。私はこんなにも置いていかないでほしいと思っているのに、きっと遊真にとってもそうなのだ。未来へと進む私にとって、遊真は――置いていかれる側なのだ。
 涙が溢れて止まらなくなった私に、けれど遊真は穏やかに微笑む。あまつさえ、とびきりの優しい声で「和音」と私を呼ぶのだ。

「今回だけは見逃してやるから、大丈夫って言ってくれ」

――……そうしたら、平気なんだって自分を騙せるのに。

 いつか、自分で言ったことが鼓膜の奥でリフレインする。遊真は、私が本当に大丈夫と言えるとは思っていないのだろう。でも、それでもいいから言ってくれ、と。そうやって自分を騙してでも、遊真を追いかけることはしないと、約束してほしいのだろうか。
 私は嗚咽を必死で噛み殺す。遊真が願うのならば、約束する、以外の選択肢は最初から存在しない。ただ、心から大丈夫だと約束できるかどうかの違いだけ。どうしたら私は、遊真が望むものを約束することができるだろうか。

「……ゆ、……ま……」

 名前を呼ぶだけで息が苦しい。言わなきゃと思う気持ちと、言いたくないと思う気持ちで喉が押しつぶされてしまいそう。
 ……あぁ、だから遊真も言い淀んだのだ。私が辛いだろうと、言うのを躊躇った。私が苦しむとわかっているから、遊真だって言いたくなかったのだろう。
 それでも遊真は口にした。きっと、私の特別は遊真だと……自分だと、わかっていたから。ならば――

「……代わりに、私のお願いも、聞いてくれる?」

 おずおずと訊ねれば、遊真は「どんな?」と聞いてくる。さすがに二つ返事で頷いてくれないのは、私が願うことを予想できていないからだろうか。
 私だって、こんな強欲なことを口にしていいのかもわからない。それでも、私の願いはあっけなく喉を震わせる。

「遊真を……見送る、まで……恋人でいたいの」

 口にすると同時に思い出したのは、レプリカに頼まれたことだった。遊真に選ばせてやってほしい、と。だというのに私は、遊真から選択肢を奪うようなことを願ってしまうだなんて。
 それでも溢れてしまった感情はとどまることを知らず、ポロポロと言葉が続いていく。

「私ね……ずっと、遊真の特別になりたかった。遊真に好きって言ってもらえて、恋人にしてもらえて嬉しかったの。だから――」

 こんな願い、ずるいに決まっている。数ある可能性を残したかったのであろう、レプリカの願いにも反することで、それでも。

「最後まで、私が、遊真の恋人でいたい」

 遊真の願いを本心で受け入れるなんて、ただの私では到底無理なことだ。だって遊真を見送るだけなんてつらいこと、耐えられそうにない。
 だけど……遊真の特別である私なら、きっと耐えられる。耐えてみせる。

「……で、でも、恋人でいられるように悪いところは直せるように頑張るし、一緒にいられるように努力もするから、その……」
「和音」

 言い訳がましいことを続けようとしてしまったからか、名前を呼ばれ、頬に遊真の手が添えられ、当たり前のようにキスをされる。ああもう、遊真ってば、どうして話の途中でキスなんて。考えていたことが全部、遊真で塗りつぶされてしまうのに。
 数度、ついばむようなキスをして離れていった遊真は、優しい顔で私を見ている。

「おれは、最初からそのつもりだったよ」
「――え?」
「そもそも、おれの恋人になってまで一緒にいるようなやつ、和音以外にいないだろ」

 本当なら、わからないじゃん、のひと言くらいは文句をつけたいのだけど。遊真にそんな可能性を考えて欲しくもない。だからと、自然と頬が緩むままに笑顔で応える。

「それなら、約束するよ。最期まで見届けられるように、傍にいさせて」

 きっと心からの言葉だったと思う。だって遊真も、ちょっとだけ驚いたようにして、それから穏やかに笑ってくれたから。

「約束、な」

 再び、今度は互いに引き寄せあうように重なった唇。
 ――まるで、誓いの口付けだ。
 誓った約束は違えたところで、なんの罰則もない。けれど、これから先なにがあっても、私は約束を破ることはないだろう。遊真への愛しさが尽きるときがくるまで、きっと。


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