私と組織の決まり事
§

「後見人……ですか」
「お前がブラックトリガーを保持している以上、我々の目の届くところで生活をしてもらいたい。代わりに、私がお前の生活を保障しよう」

 城戸司令から話があると呼び出され、持ちかけられた取引内容は幸運だったと思う。唯一の身寄りを亡くした私の面倒を見てもらえるだなんて願ってもないことだ。
 しかも相手はボーダーの最高責任者。本来なら頷くのも気が引ける提案だが、彼らにとっても利点があると提示してくれている。私に拒否権もあるものではないし、甘んじて頷く。

「……ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「うむ……では、いくつか守ってもらうことがある」

 そうして提示された条件は、端的に『所持するブラックトリガーについて秘匿事項とすること』に尽きる。まだ立ち上げたばかりの組織であるボーダーに不信感を抱かれては困る、と。だからこそ、脅威となりうるブラックトリガーのひとつがボーダーの支配下にない、という不安の種は見えないほうが都合も良かったのだろう。

「少なくとも、これまでと変わらぬ生活をするのに支障はないとは思うが……」
「はい。大丈夫だと思います」
「お前からも、なにか希望があるならば検討する」

 城戸司令はあくまで対等な取引に徹するつもりのように見えた。とはいえ彼らが私に要求するように、私が彼らに要求したいことなんて思いつかない。そもそも後見人のことだって降って湧いたような話なのに、とため息をつく。

「……特になにも、浮かびません」

 素直に伝えたが、城戸司令は顔色ひとつ変えないまま私を見つめるばかり。どういう逡巡があったのかは知らないが、間をおいてから「そうか」と返される。

「ならば、追々なにか希望が出た時に話すといい。検討しよう」
「わかりました。お気遣いありがとうございます」

 そんなやり取りで、あっけなく城戸さんは私の後見人となる手続きを終え、支障なく中学卒業まで通わせてくれた。父親代わりと呼ぶにはおそれ多いが、今なお後見人としての責任をまっとうしてくれている。
 さらには三門高校への進学を機に、ひとり暮らしをすることを提案したのも城戸さんだ。思うところがあったのか「少し早いが、自活できるように備えたほうがいいだろう」と言われたのだ。資金面も援助してくれるとのことで、私は喜んで承諾した。

「……なにかあれば、連絡するように」
「わかりました、ありがとうございます」

 城戸さんはそう言って私を送り出した。下宿をはじめる時の親とのやりとりって、こんな雰囲気なんだろうか。そんな風に思えてしまったことが不思議だったことを、よく覚えている。
 その頃にはもう、日々ゲートが開くことも、現れた近界民をボーダー隊員が迎撃することも当たり前となりつつあった。私も検査の名目でボーダーに訪れることはあったけれど、それだけ。高校入学を機に私は、平穏な生活を取り戻した気でいた。

 けれど、とある日の道端で、それは私の目の前に現れた。
 人型を模した体躯を持つ近界民が、まるで誘うかのように腕をすぅと私へ差し出す。危険だと、無意識に感じ取った心臓がどぐ、どぐ、とけたたましく鳴っている。

「……なん、ですか」

 問いかけても返事はない。固まったままの私と、手を差し出したままの近界民。瞳のような核が、私をじいっと見つめているようだった。
 どれほど睨み合っていたのだろう。脳内では警鐘が鳴り続けていた。いけない、とわかっていて、それでも私は本能を必死の思いで押さえつける。

 ――傷ついたからとやり返せば、相手も真似をするでしょう。

 だから拒絶よりまず、受け入れることを。もはや意地のようなものだった。あっという間の日々でろくに悲しむこともできなかった私は、ふいに胸中をかすめたお母さんの教えに逆らいたくなかったのだ。なぜか溢れてきた涙を止める余裕もなく、震えながら手を伸ばす。
 刹那、一転して強い力で手を捕まれ、勢いよく引き寄せられた。ぞくりと背筋が冷えて視界がブレたのも束の間、近界民の空いた手が反応する間もなく私の胸へと沈んでいく。

「……あ」

 抉られた感覚がした。トリガーを取り出そうとしているんだろうか。刃がぐずりと私の中央を掬うような感覚。殺されると直感する。

 いやだ、もう、助けて、お母さん。

 助けを求めて伸ばした私の手が触れたのは、近界民の冷たく固い装甲だ。それを最後に、私はふっと意識を闇に沈めた。
 死んだのかな、と思った。けれど意識があることに気づき、重い身体をやっとの思いで起こせば、目の前には近界民の残骸。重なるように、大規模侵攻の後に転がっていた男性の死骸がフラッシュバックして気づく。

 ――あぁ、そうか。お母さんは大規模侵攻の日、あの男を殺したのか。

 それからはあっという間だった。トリオン反応を探知していたらしく、秘密裏に近界民の残骸は回収され、私は再びボーダーに保護された。研究室へと連れていかれ、様々な機器に繋がれたまま寝かされた私は、見下ろす城戸司令の顔をぼんやりと見上げる。

「この街で、私の許可なくトリガーを使うことは許さない」

 城戸司令の許可があったのなら、許されたのか。のろのろとした思考がめぐり、同時に計測機器から警告音がけたたましく鳴りはじめた。鬼怒田さんが焦ったように「トリオン反応に異常、危険ですぞ!」と声を荒立てているのが遠くに聞こえる。城戸司令はまったく動じることなく私を見下ろしたままだ。

「でなければ力ずくでも、それを我々に渡してもらうことになる」

 この人もまた、私を殺そうとしているのか。だってそのトリガーとやらは、私の心臓にあるらしいのに。
 浅い呼吸を繰り返す。じんわりと涙が滲んできて、けれど城戸司令の瞳にはずっと冷たい炎が宿ったままだ。意識をやってしまえれば、と考えると不意にフラッシュバックする近界民の残骸、男性の遺骸。
 私――の胸に遺るお母さん――は今度、この人も殺してしまうのだろうか。どういった理由があれ、ここまで後見人として私の面倒を見てくれた恩人を、なんの想いもなく。

 ――あなたを守る力になるから。

 そう言ってお母さんが遺してくれたのは、命を奪う力だったのかな。そんなこと、お母さんにさせたくないのに。

「……きど、しれい……」 

 そして私は、城戸さんにも死んでほしくない。けれど城戸さんが私を殺そうとすれば、お母さんは私を守ろうとしてくれる。だから、城戸さんが私を生かす理由さえあれば――

「私を、……ボーダーに、入れてください……」

 やっとの思いで言えば、城戸司令はわずかに眉を動かした。しばし私を見つめた後に小さく「それは」と問う。

「ブラックトリガー使いとして、私に協力するということか」

 城戸司令は鋭く細めた瞳で肯定を待っていた気がした。それが私を保護した裏の目的でもあるのだということは容易に想像がつく。けれど……私は首を横に振った。

「これは……私を襲う、奴らにしか……使えません」

 奴らがブラックトリガーを……私の命を狙うというのなら、お母さんの遺志のもと、戦わなければならないのだろう。けれど、お母さんの力で、これ以上なにかを……誰かを、犠牲にしたくはない。

「……私が許可をするとでも?」
「それなら――向こうの世界に捨ててください」

 城戸司令の眉間に深い皺が刻まれる。自分でも不思議なほど自然に言葉がこぼれでていく。

「……目が届かなければ……いいでしょう」

 人を射殺しそうな鋭い視線を一身に受けながら、私の心は次第に凪いでいく。口にするほどに気持ちの整理がついてきて、呼吸も楽になってきた。

「……では、取引としよう」

 城戸司令の提案から、最終的には取引が成立した。つまりは城戸司令の監視下――ボーダーに入隊することを許されたのだ。
 ただし無条件というわけではなかった。ブラックトリガーを限定的とはいえ使用するならば、ブラックトリガーの解析・研究に協力すること。特例となるため、保持していることは引き続き秘匿するように、とのことだ。

「先ほどの解析でわかったことだが、お前のトリガー内部にはトリオン……エネルギーが貯蔵されているらしい」
「……そうですか」
「お前がトリガーを使うのなら、我々がその性能を把握してからだ。いいな」

 城戸司令の言葉に「はい」と頷いて、それからはあっという間だった。
 鬼怒田さん指導のもとトリガーを使用し、解明された性能は三つ。トリオン構成物などからトリオンを吸収し、トリガー内部に蓄積、保持できること。なんらかの条件下で蓄積したトリオンを放出できること。その手段として、ボーダーで言うところのバイパーやハウンドのようなトリオン弾を撃ち出せることだ。
 ただ――ブラックトリガーがあの男性とトリオン兵になにをしたのかは、解析ができていない。

「お前は、その時のことを覚えていないのか」

 頷けば、城戸司令はそっと黙り込む。一緒に話を聴いていた鬼怒田さんも唸るばかりだ。

「少なくとも、トリオンの保有量が多いほど危険と言わざるを得ませんな。本人がどのように使用したのかわからん以上、反射で莫大なトリオンを放出するなど、なにが起こるか想像もできん」

 そんな鬼怒田さんの意見から、トリオンの貯蔵量を解析すべく定期的な計測検査を受けることを言いつけられた。またブラックトリガーの管理は鬼怒田さんに一任され、指示には従うこと、と。
 そうして秋になってようやく、私はボーダーに入隊することになったのだ。

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