――話してしまった、と息をつく。ふっと空閑君が動く気配を感じて、反応が怖くて背筋が震えた。
「トリガーを使った時の記憶がない……」
問いかけというより呟くように落とされた空閑君の言葉に、小さく「うん」と頷く。覚えているのは、殺されると思ったことだけ。次に思い出せるのは、すべてが終わった後のこと。最中のことはなにひとつ記憶にない。
だから……怖い、と思われてしまわないだろうか。おそるおそる様子をうかがうと、空閑君はなにか考えている様子。それから唐突に、左手を差し出して口を開いた。
「レプリカ」
『心得た』
人差し指の黒い指輪から、にゅるんと同じ色の球が飛び出す。次第になにかを象ってぷかりと浮き、目があったような……?
『初めまして、和音。私の名はレプリカ。ユーマのお目付け役だ』
「……はじ、めまして?」
意思があるようで、話しかけられて面食らう。なんだろう、これ。ユーマと言うのは空閑君のことか。レプリカ、さんは私の前でふよふよと漂い、少し間をおいてから話を切り出される。
『そのトリガーと、追う者たちに心当たりがある』
「……本当ですか?」
『うむ。望むのなら話すことができるが』
「教えてください、レプリカさん!」
思ってもみない提案に前のめりに食いつくと、空閑君が「え」と声を上げた。なにかまずかったか、ドキリとして空閑君を見れば、間をおいて頬を緩めているではないか。困惑していると、空閑君はくつくつと笑いながら口を開く。
「レプリカ……さん、って呼ぶやつ、初めて見た」
『うむ』
「え、あ、えっと……?」
いけなかったかと焦っていると、レプリカさんから『畏まる必要はない』と言葉を重ねられる。おずおず「わ、わかった」と砕けた口調で再度頷けば、満足気な唸り声。改めて私は姿勢を正してレプリカに向き直る。
『私が持つ近界の記録によれば――……』
――技術者の国、ミカニコスではトリオンを蓄積するトリガーの研究を行っていたと聞いた。つまりは人間の持つトリオン器官の働きを、人工的に再現することを目指したもの。技術的な詳細は機密事項となっていたが、研究者がひとつ気になる話を零していた。
過去最高傑作のトリガーが、適合者によって持ち去られ行方不明だと。
「……それが……?」
『母君のトリガーだった可能性がある』
トリオンの蓄積という目的と、私のトリガーの保有性能。適合者に持ち去られたということと、向こうから逃げてきたというお母さん。偶然の一致にしても、可能性はゼロではない。
『当時、私が聞いた名はアゼナミア――女神の加護を意味するトリガーだ』
このトリガーにも名前があったのか。アゼナミア、と心の中で唱えれば、心臓がとくりと呼応する。トリオン器官を模したトリガーだと思えば、トリオン器官と同じく心臓付近に存在するということも自然なのかもしれない。
そこまでは腹落ちしたものの、ならば……と新たな疑問が浮かぶ。
「……どうして、お母さんは逃げてきたんだろう」
記憶が確かなら、これは“わが国の至宝”だと男が言っていた。それほどに重要なトリガーは、なぜお母さんに与えられていたのか。そうして持ち出したとなると、お母さんは与えられた役目を放棄したということになる。
漠然とした不安を抱く私に、空閑君は「昔のことで、あんま覚えてないんだが」と前置いてから話を切り出す。
「実験から逃げ出したんだろう、って言われてたよ」
「……実験?」
まるで聞いてきたと言わんばかりの空閑君から出た“実験”の言葉に呆けていると、レプリカはどこか言いづらそうに『うむ……』と唸る。
『当時、貯蔵したトリオンを放出する際、出力の調整に苦労したと聞いた』
「それで、設定されてる性能で操作されちゃうから、意識が追いつかないんだと。和音ちゃんが覚えてないって、それじゃないか?」
背筋がぞっと冷える。もしこのトリガーがそうだとしたら、私は意識のない時に大量のトリオンを――なんらかの形で――使っているのだろう。
少なくともトリオン弾で放出しているわけではない、というのはわかっている。大規模侵攻の時は記憶にないが、高校になったばかりの時の事件では、辺りにそのような痕跡は残っていなかったからだ。
なら、いったい私はその時、なにをしているのだろうか。言いようのない不安に襲われるが、レプリカは『ところで』と話を変える。
『和音が保持しているトリオンは、ボーダーに供給しているのか?』
「……ううん。できなかった」
緩く首を振る。トリオンが貯蔵されていると判明したあと、技術開発室では私のトリオンを抽出できるか検証をはじめた。近界民をトリオンに還元し蓄えているように、私のトリオンも有効活用できないかと考えるのは自然な流れだ。
結局わかったことはトリオンのみ抽出することはできないということ。代わりに、換装している間なら、なにかのきっかけでトリオン弾が撃てるようになるようだ、ということ。
「……お母さんだったら、できたのかな」
あるいは、できなかったから逃げ出したのか。なんて、今の私には知る由もないけれど。
いっぽうで、空閑君には思うところがあるようで「ふむ」と唸りつつ私を伺う。
「でも、和音ちゃんもトリオンを集めて、ためてるってことだろ?」
私が頷いて肯定を示すと、空閑君はレプリカへと目配せをする。するとレプリカがぱくりと口(?)を開き、にょろんと謎のコードが現れた。垂れ下がったそれをぎゅうと握り込んだ空閑君は、もう片方の手を私に差し出す。
「おれの手、握ってみてよ」
「……はい?」
『トリガーの吸収性能を確認したい』
「えっと……?」
躊躇った私を見て、レプリカは『和音に害はない』と付け加える。とはいえ「換装は城戸司令の許可が必要なんだけど……」と言えば、レプリカは『そのままでいい』と告げる。
不思議ではあるけど、私が知らないことを知っていた二人なら、なにか考えがあるのだろう。私は大人しく空閑君の指先をそっとつかむ。温かい、とぼんやりと感じたのも束の間――
どぐりと心臓が疼いた刹那、それは激流に変わった。
「「!?」」
目を見張ったものの、同じく驚いた表情を浮かべる空閑君が見える。
振り払うことも、振り払われることもなく微かに繋がれた指先を伝って、なにかが通り抜けていく。熱くなった心臓がどぐり、どぐりと唸るたびに、指先から空閑君の手に熱が吸い込まれていくような、妙な感覚だ。
呆然としていると、ほんの数秒で流れが止まったように感じた。吹き抜ける風が、やけに冷たく手の甲を撫でているようだ。
「今の、おれのトリオンを吸ってたのか?」
「……ううん、なんか違う。たぶん逆」
意識が飲み込まれてしまうかと思った。突然のことに跳ねた心臓が、どくどくと疼いて落ち着かない。
呆然とするあまり空閑君の手を放すこともできず、空閑君も繋いだ手を不思議そうに眺めるばかり。最中、レプリカがぴくりと身体を揺らした。
『……トリオンの計測値が妙だ』
レプリカはふわりと空閑君を伺うような素振りで『違和感はないか』と問う。それをきっかけに私達の手はようやく離れ、空閑君は手をぐっぱと動かしたり首を回してみたりしつつ「へーき」と告げる。
「だ、大丈夫? なんか苦しいとかない?」
「おれは平気だよ。和音ちゃんは平気なの?」
「うん、むしろ少し楽になったくらいだけど……」
どちらかといえば、この前の太刀川隊との模擬戦闘の後に近い感覚だった気がする。反撃にトリオン弾を吐き出した後の、体が軽くなるような。それに、動悸があっという間に凪いでいる。
『……この件は私でも分析してみよう』
レプリカはその言葉を最後に、しゅるんと指輪の中に戻っていった。見届けて、思わず――ため息がもれる。
「……ごめんね、付き合わせちゃって……」
覚悟を決めて切り出したものの、話してみればあっという間だった。とはいえ、初めて話すことばかりで疲れてしまったし、なにより予想だにしていなかった展開で気疲れしてしまった。
だというのに、空閑君は私の話を――ただ、普通に――聞いてくれて、頭が下がる思いだ。さらにはレプリカに声をかけ、私のブラックトリガーの話まで教えてくれたのだから。俯いた私を、空閑君は心配そうに覗きこんでくる。
「大丈夫か?」
「……うん……でも、今日はもう帰るよ」
そろそろレイジさん達がランニングから帰ってくる頃だろう。のんびりしたかったけど、今はとてもそんな気持ちではない。空閑君は「そっか」と言って縁から下りると、私の傍に立つ。
「和音ちゃんは運がいいな」
「……え?」
「おれとレプリカだったからよかったけど……ほかの奴だったら、もっと狙われてたかもよ」
こてんと首を傾げながら、呆れたような、それでも優しさを含んだ笑みを見せる空閑君。私はのろのろと逡巡し……たしかに、なんて思ってしまった。空閑君もブラックトリガーに価値を見出せば、この場で私の心臓ごとトリガーを奪うことだってできるかもしれないのに。
「……そこまで考えてなかった」
「やっぱり、栞ちゃんが抜けてるってだけはある」
からかうような声に反応することもできないで、ぼうっと空閑君を見つめる。不思議だ、と思う。話し終えてみればあっけなく、私はそもそも、どうして過去を人に話したくなかったのかと疑問に思えてしまうくらい。
でも、私のお母さんと同じ近界民で、私のブラックトリガーのことも知っていて――話したくないことを聞かないでいてくれる空閑君。だからこそ全部話せてしまったんだろう、なんて北風と太陽のようだ。
「……長くなっちゃったけど……話聞いてくれて、ありがとう」
話せてよかった。そんな気持ちのままお礼を伝えれば、空閑君はにかりと笑う。
「どんなトリガーかを聞いちゃったのは、ちょっともったいなかったな」
「……使わないからね」
「うむ、残念だ。戦ってみたかった」
今の話を聞いて、そんな感想が出てくるのだから大物と言わざるを得ない。いや、空閑君もブラックトリガーを持っているからこそだろうか。
それでも、空閑君は違和感もなく自然に、私のそばにいる。伺う視線に気づいたのだろうか、ぱちりと目が合った。
「じゃ、帰るか」
ふわりと優しい笑顔を見せてくれた空閑君を見て、とくん、と小さく心臓が鳴る。
心の奥になにかが落ちてきたような錯覚。だけど私は、まさかと振り払う。だって――気づいてしまったら手遅れだから。