「こんにちはー」
玉狛支部に足を踏み入れたものの、返事はない。陽太郎の出迎えすらもないとは。
話をする約束をしているから空閑君はいると思うのだけど……下か、上か。少し悩んで、上と賭けた私は食堂へと上がることにする。道中も人気がなく、ちょうどよすぎる。これはもしかして、と食堂に顔を出せば案の定、ソファに座る空閑君のほかにもうひとり。
「よう和音、なに飲む?」
「……あったかいのなら、なんでもいいです」
迅さんは「オーケー」と笑うとポットに手を伸ばす。私は空閑君が座るソファの向かいに腰を下ろして「皆は?」と聞いてみる。空閑君いわく「今はおれと迅さんだけ」とのこと。
ここまでお膳立てされたことに意味もなく溜息をついてしまう。同時に、迅さんの手によって目の前にことりと置かれたマグカップ。
「溜息はないだろ〜。実力派エリートがここまでもてなしてやったのに」
「それはまぁ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
お茶を出す、以上の歓待に感謝すべきなのはわかるのだけど、どうにも迅さんの根回しに警戒してしまう。まるで、これからのことに意味があるみたいだと思えてしまうから。
いっぽうで、空閑君も思うところがあるのか、くりくりとした瞳をこちらへ向けて伺う。
「どうする?」
「……迅さんだから大丈夫だよ」
ブラックトリガーのことを知っているから、とわかったのだろう。空閑君は軽く頷くと「レプリカ」と声をかけた。うにょん、と指輪から姿を現したレプリカは、ぷかぷかと眼前へ寄ってくる。
『……では、あくまで推論の域をでないのだが……』
そう前置きをしてから、レプリカは淡々と話をはじめる。
――基本、トリガーの出力はそのままトリオン器官の性能と言える。ブラックトリガー特有の出力向上はあっても、原理にさほど違いはない。
であるならば和音のブラックトリガーはトリオンを貯蓄すればするほど、トリガー性能の向上のため、トリオンの貯蔵量も増える可能性がある。とはいえ、実際には膨大なトリオンを貯蔵しつづける機構にもトリオンを消費すると推測できる。無尽蔵に貯蔵しつづけるということは非効率であるために……貯蔵量を調整する機構も備えているのが普通だろう。
「……調整、って……」
「で、それがこれじゃないかってことだ」
空閑君はそう言って手のひらを差し出してくれる。迷って、おそるおそる手を取れば、すぅと熱が吸われていくような感覚は憶えがあるものだった。
迅さんは呆気にとられたように目をぱちくりとさせながら私達を見守っているが、レプリカは『うむ』と相槌を打って話を続ける。
――ユーマに発動する理由は不明だ。だが、和音がこの現象を知らなかったということは、やはりボーダーの解析どおり、ブラックトリガーはトリオンを蓄積し続けているのだろう。出力が大きすぎると、制御は難しくなる可能性が高い。もしかすると、トリガーの強制停止ということも起こり得るのではないだろうか。
「……レプリカ先生の話聞いてると、アースとかヒューズみたいだな」
「トリガーは電化製品じゃないですよね……?」
「こっちの電化製品が向こうのトリガーみたいなところがあるからなぁ」
「へ、へぇ……?」
漏電した場合の電気の逃げ道として機能するアースと、規定量以上の電気が流れた場合に自ら断線して電気を止めるヒューズ。この電気をトリオンとして考えれば、なるほど、迅さんの例えにも一理あるのだろう。
電化製品に馴染みがないらしい空閑君は、不思議そうに首を傾げたまま迅さんへと訊ねる。
「迅さん、あーすとかひゅーず、ってなに?」
「アースってのは……そうだなぁ……連絡通路の裏口かな。いざって時に逃げられる道を作っておくんだ」
「ほうほう」
「ヒューズは器官の橋番って感じかな。大群が来たら橋を壊して通れなくする」
空閑君の中で腹落ちしたのか「なるほど」という相槌が返ってきた。人をトリオンに置き換えて、ぼんやりとしたイメージが掴めたのだろう。するとレプリカが『気になる点といえば』と話を付け足す。
――本来、トリガーを起動するのに必要なトリオン量はある程度決まっている。起動者のトリオン器官の性能に影響を受けるものではあるが……。
つまり、和音のブラックトリガーが『反射で』起動する点が気になる。意識がなくともトリガーが発動するという話をにわかには信じがたいが……活動停止状態はトリオン保有者として危険だ。なんらかの自衛策としての機能が働いている、と考えるのが妥当だろう。
迅さんは「なるほどねぇ」なんてぼやいている。私自身はトリガーのあれこれにそれほど詳しくないので、そういうものなのか……と唸るばかり。空閑君も「ふーん」と興味があるのかないのかわからない程度の相槌を打つだけ。
三者三様の反応を見て、レプリカが『さて』と話を切り替える。
『この話を急いだ理由だが、迅の言うアースのような機構が発動していることから推測すると、現状も身体に負荷がかかる蓄積量なのではないだろうか』
ふわふわと浮いているレプリカは私へと向き直ると、案じるような柔らかい声色で『体調は大丈夫か』と訊ねる。ひとまず、今は元気だから「大丈夫だよ」と頷いた。すると迅さんが「まさか」と口を開く。
「もしかして、和音が熱出したのって」
『意図外のトリオン放出で、肉体に負荷がかかった反動かもしれない』
他人事のように「へぇ……」と相槌を打つ。たしかに、昨日の発熱の原因に思い当たる節はない。風邪にしては、ほかの症状もなかったし。もしかしたら知恵熱だろうかと思ったくらいだ。
となると、今も空閑君へトリオンを漏電――イメージの話だけれど――したのだから、明日も調子を崩すかもしれないということ? どうせなら、今浮かんだことを試してみてもいいだろうか。
「ねぇレプリカ、ちょっと触ってもいい?」
私の提案に、空閑君と迅さんのきょとんとした表情が並ぶ。訊ねられた本人は『構わない』と返事をしてくれたので、お言葉に甘えて私はレプリカを両手で掴んだ。そのまま、ぎゅうと抱き込んで……間。
「……レプリカにトリオンいってる?」
『いや、そういう反応はない』
「だよね。レプリカにもアースは発動しないんだ」
レプリカも近界民だけど、特に反応はなし。それなら、どうして空閑君にはトリオンを流してしまうのだろう。
私が考えても意味のないことか、と息をつく。トリガー技術なんて詳しくは知らないし、普段使っているボーダーのトリガーについて、なんとなくの知識を持っているくらい。私に答えが出せるようなものでもない。
ぼうっとしていると、腕の中のレプリカがもぞりと動いた。まるで私を見上げているようだ。
「どちらにせよ、あまり無理はしないほうがいい」
「……わかった。ありがとね、レプリカ」
心配の言葉を素直に受け取って、私はレプリカを解放する。
ふと、部屋のどこかから電子音が響いてきた。発信源はと見回せば、反応したのは迅さんだ。端末を操作しつつ「おっ」と声を漏らすので様子を見守っていると、迅さんがこちらを向く。
「和音、鬼怒田さん大丈夫だって」
「……はい?」
急に話題を振られて首を傾げる。いわく、迅さんから鬼怒田さんに計測できるかどうか連絡しておいてくれたらしい。「和音が急に熱を出すなんて珍しいからな」なんて言っているけれど、根回しされているあたりに違和感。今日は、そんなことばかりだ。
とはいえ拒否するつもりはないので「わかりました」と頷く。すると迅さんは「ちなみに」と口を開く。
「レプリカ先生に教えたもらったことは、まだ言わないでおいてくれ」
「え、なんでですか?」
「遊真の正式入隊がまだだからな〜。ただでさえ揉めたあとだし、レプリカ先生の話で蒸し返すのは避けたいんだよ」
「……なるほど……」
頭をがしがしと搔きまわす迅さんの表情は、まさしく『めんどくさい』と言わんばかり。どうにか入隊を認めてもらったというのに、レプリカという不審な近界民まで連れているとなったら問題が再燃しかねない、と。
すると空閑君は驚いたように「もめたのか?」と口を挟んできた。初耳だったのだろうか。迅さんをちらりと見れば、にこやかな笑顔で「ちょっとな〜」なんて嘯いている。
「ま、そういうわけだから、本部行くぞ。おれもちょうど用事があるし」
階下から微かに「戻ったぞ」と声が聞こえてきた。レイジさんだろうか。空閑君が「お、オサムたちも帰ってきたかな」と呟いている。なるほど、もしかして皆でランニングにでも行ってたのかな。
「じゃあ遊真、今日の訓練も頑張れよ」
「了解。和音ちゃんもまたな」
「うん。レプリカも、ありがとね」
『またわかることがあれば連絡しよう』
それぞれに別れの挨拶を交わして立ちあがる。ここ数日で一気にブラックトリガーのあれやこれが話題になり、情報量の多さに頭がふわふわしている。浮ついた足取りで迅さんの後に続き、本部へと向かうことにした。