機密事項である私のブラックトリガーに関して、いくつか決まり事がある。そのうちのひとつが、ブラックトリガーの使用後は必ず鬼怒田さんの計測を受けることだ。
それに伴って、鬼怒田さんには状況に応じて私に計測を強制できる権限がある。かれこれ三日目……四日目になるだろうか、計測の日々が続くのはこれが理由だ。前例にない挙動に警戒し、心配だからと毎日、現状確認と記録をしてくれている。それは、わかっているのだけど。
『今日の測定は夜に行う』
学校が終わった足で本部に来たというのに、まさかの通告に肩を落とす。鬼怒田さん、忙しいのかな……。いやまぁ、忙しいとは言っていたけれど。
「……どうしよう」
もともと計測中は暇だし、クラスメイトのノート作りをするつもりではいた。今日は運よく、早めに配られた冬休みの課題も少しある。時間を潰すことに困りはしないだろう。
とはいえ夜から測定を行うとなると、解放されるのも遅くなる。もともと本部で夕飯を摂るのは気が進まないのだけど、それ以前の問題として、遅くなりすぎると食堂が閉まっちゃうかもしれない。
こうなったら、と私は端末を取り出して、迅さんの連絡先を探す。
『今日の夜、お邪魔してもいいですか?』
送信をタップ。返事を待つ時間はいくらでもあるので、まずはラウンジへと向かう。
訓練生や本部隊員たちが自由に利用するこの場所は、いつ来ても賑やかだ。部隊での打ち合わせが行われたり、訓練生同士で交流したりをよく見かける。
私は長く席を占領することになるから、隅のほうに空いている席に陣取った。まずはノートをまとめる続きでもしようか。いったん端末を取り出して……と、受信していたらしい返事が目に留まる。
『宇佐美に言っとく。来るときは気をつけろよ』
栞もいるんだ、よかった。安堵しつつ『了解です』と返事を送れば、安心して課題に取り組めるというもの。
緑川君に妬まれるほどではないと思っているけれど、迅さんに目をかけてもらっている自覚はある。事情があって独り暮らしをしている、という名目はあれど……玉狛支部での夕飯の席に混ぜてもらえるようになった、最初のきっかけは迅さんだから。
今日の夕飯はなんだろうな、と楽しみにしつつ、私はノート作りと課題に集中して取り組みはじめた。
§
結局、想定より早く鬼怒田さんからの連絡を受けて技術開発局へ。いつもの測定を済ませる頃には案の定、日がとっぷりと暮れた後だった。
おなかも空いたことだし、連絡通路を早めに出て、警戒区域を最短経路で横切っていく。警戒区域内でもわざわざ迂回する必要がないのはボーダー隊員の特権とも言えるだろう。近界民が出たところで問題はないし、普通なら巡回している防衛任務中の隊員に任せればいいし。
――けれど、今日は少し違ったらしい。
「……戦闘?」
耳を澄ませば、間違いなく進行方向から木霊してきている。近界民がいる時の音とは毛色が違うから、防衛任務とは思えないけれど……。
それなら誰が、なにと戦っているのか。確認しようと換装してレーダーを起動してみれば、ボーダー隊員が幾人も探知に引っかかって呆然とする。
「……え、なんで……?」
レーダー上の配置と動きに呼応して響いてくる戦闘音。これ、隊員同士で争っているようにしか見えないのだけど……どういう状況だろうか。
動けないでいると、ピ、と通信を知らせる音が耳元で鳴った。
『よう、和音。夜の散歩は危ないぞ?』
どうやら迅さんが、私の探知にいち早く気づいたらしい。むしろ、ここを通りすがると視えていたのかも。声をかけてもらえてよかった、と安堵しつつ状況を訊ねることにする。
『そっちに行く途中なんですけど、何事ですか?』
『ちょっと今揉めてるんだよ』
……隊員同士の争いって規則上マズイんじゃなかっただろうか。警戒区域内とはいえ堂々と戦闘しているということは、上層部も黙認しているということ? なにより、迅さんがその争いに介入しているのが腑に落ちない。
『おまえがそのままこっち来たらマズイから、換装解いて迂回してくれ』
『……玉狛には行っていいんですか?』
『あぁ、会わせたかったからちょうどいい』
誰に、とは言わない迅さん。けれど私は不思議と、脳裏にあの白髪の近界民少年を思い浮かべていた。
『じゃ、切るぞ。巻き込まれるなよ』
『了解』
通信を終えて、すぐに換装を解いた。彼らの争いに関わるつもりはないという意思表示も兼ねて。
少し遠回りになるが仕方ないと、私は玉狛への迂回路を急ぐ。そうそうに警戒区域を出て、しばらく川沿いを歩き続ければ見えてくる玉狛支部。上階に明かりがついているので、認証端末にトリガーを当ててそそくさと中へと入る。
「……こんばんはー」
おずおずと声をかけてみても、薄暗い玄関に虚しく響くだけだ。ほとんどのメンバーは帰宅しただろう時間だし応答もない。私はそうそうに階段へと足をかける。
上っていけば、ガラス越しに漏れる光が廊下を照らす扉がひとつ。ノックして開けば、見慣れた顔がこちらを振り向いた。
「あ、和音! 遅かったね〜」
「……おつかれさま。なんか、いろいろと間が悪くてね……」
栞の顔を見て安心したからか、どっと疲れが湧いてきた。さっそくソファを拝借しようとすると、見慣れない眼鏡の少年と――あの夜の近界民少年が一堂に会しているではないか。
「そうだ、せっかくだし紹介するね」
栞はさっと立ち上がり、私の隣へとやってくる。きょとんと呆けた眼鏡の少年と、平然とした顔の近界民少年の視線を受けて、私は背筋を伸ばした。
「こっちは本部所属のB級ソロプレイヤー、水沢和音、アタシと同学年だよ」
「初めまして、水沢和音です」
玉狛ではなく『本部所属』というのに驚いたのだろう。眼鏡少年は困惑した表情のまま「はじめまして」と会釈する。近界民少年は、目を細めつつ唇を尖らせて「ふむ」となぜか満足気。
栞は今度、私に彼らを紹介しようと体を翻す。先に示したのは眼鏡少年だ。
「こっちは、ウチで部隊を組むことになった三雲修くんと」
「空閑遊真。背は低いけど十五歳です。よろしく、おねーさん」
栞の紹介を遮って、近界民少年が自ら名乗りでた。蛍光灯の下で見る白髪と紅の瞳は、あの夜ほど鋭くはない。けれどニヒルな笑顔はそのままで、私を『おねーさん』と呼んでみせるあたり、向こうも覚えてはいるのだろう。
深く追及することはせず「よろしく」と挨拶を返せば、互いの自己紹介も終わりだ。栞は「さてと」と方向転換。
「じゃあアタシは和音のご飯、用意するね」
「よろしくお願いしまーす」
すぐそばの台所へ向かう栞を見送って、私は栞が座っていたソファを拝借することにする。目の前のローテーブルには、お茶請けに用意されたマカロンがあるけれど……夕飯前は我慢しないと。
手持ち無沙汰になってしまい、さてどうしようかと二人の様子をうかがう。やはりと言うべきか、最初に声をかけてきたのは近界民少年――空閑君だった。
「なぁ、和音ちゃん」
自己紹介もすんだからか、呼び方を変えることにしたらしい。ちゃん付けで呼ばれるのは少しくすぐったいけど、まぁ、親しみやすい感じならいいかな。三雲君が少しばかりぎょっとしているがともかく、呼び方には言及せず「なに?」と返事をする。
「B級ソロプレイヤーってなんだ?」
首を傾げる空閑君に返せる答えは決まりきっている。正隊員に昇格して一年くらいは経つけれど、部隊に入ってないんだよ、と。
規律上、A級に上がるには部隊でランク戦を勝ち上がる必要がある。部隊は最低でも、戦闘員とオペレーターの二人以上。だから、私はずっとB級なんだと説明すれば、三雲君も不思議そうに首を捻る。
「どうして、部隊に入らないんですか?」
「――使えない隊員だからだよ」
言葉の意味をわかりかねてか「はぁ、」という三雲君の生返事を聞き流す。正確には答えられないから。空閑君も――機密事項と関係していると察しているのか――追及する素振りはない。
だから私は「それより」と、無理矢理に話題を変えて栞が戻ってくるのを待つことにした。会話の最中もずっと様子をうかがうような紅い視線を感じながら、どうにか話題を繋げれば少しして、栞が夕飯を用意して戻ってくる。
「それにしても、玉狛に新人なんてビッグニュースだね」
引き続き彼らを話題の中心へ。栞が言うには、あともう一人『チカちゃん』が玉狛に入って、三人で遠征を目的として部隊を組むことになったらしい。
――わざわざ向こうから来た空閑くんが、どうして?
不思議には思ったが、あまり踏み込むのも野暮だろうと触れないでおく。
そうして食事をいただいた流れで一緒に団欒していると、ふいに扉が開く音。一番扉に近かった栞が「あ」と声を上げる。
「迅さん、おかえり〜」
栞に続いて「おつかれさまです」と言う三雲君の声も続く。疲れたように「ふぃーす」と返答する迅さん。
戦闘中に通りすがったばかりなもので、本当に疲れてるのだろうな、なんて思ってしまう。もちろん、そんなことに触れるわけにはいかないので黙っていると、迅さんは私にも自然に笑いかけてくる。
「和音も、今日の飯はどうだった?」
「おいしかったですよ。ごちそうさまです」
いちおう、夕飯を打診したのは迅さんなので言い回しに合わせてお礼を返す。迅さんが「おう」と返事をしながらも机の上のマカロンに手を伸ばしているのを黙って見守った。
「最近いなかったけど、どうしてたの?」
「あっちこっちで大人気なんだよ、実力派エリートは」
もぎゅもぎゅと頬にマカロンを詰めながら尋ねる空閑君に、口癖の実力派エリートを強調して答える迅さん。そのまま、玉狛事情のやりとりが交わされるので、お茶を啜りつつ眺める。
大人気とはよく言ったものだ。緑川くんに懐かれているようなものなら平和だが、さっきまで身内相手と戦っていたのも大人気とでも言うつもりか。この場ではおくびにも出さないあたり、戦闘の原因は十中八九――
と、ぼうっとしていたら一瞬だけ、迅さんが鋭い視線を私に向ける。
「おいで、和音」
名指しされ、ひょいひょいと手招きされたので首を傾げて理由をうかがう。けれど迅さんは答えず、私の返事も確認せずに「じゃ、おやすみ〜〜」と言って扉も閉めず部屋を出ていった。どうやら事情があるらしい。
私も「ちょっと行ってくるね」と席を立ち、自室に戻るだろう迅さんの後を追った。