とっぷりと夜も更けて日付を跨いでしまった。人のいない研究室の一角で、聞きなれた計測機器の電子音がリズムを奏でる。淡々としたその音は、今の私には優しい子守唄のようだった。吐き気や気持ち悪さ、混乱や動揺がゆっくりと解けていく。
いっぽうの鬼怒田さんは難しい顔をしていて、少しの違和感も逃さないようにデータを睨んだままだ。私の報告を受けて、トリオン体内部の解析をしようとしているが――なかなか、難しいようだ。
「……はあ。水沢、もういい」
鬼怒田さんは、いよいよ計測装置から私を解放した。どことなく投げやりな雰囲気を感じて、おずおずと様子をうかがう。
「どうです、か」
「少なくとも、トリオンの貯蔵量にたいした変化は見られん。内部に干渉されたと思われるとはいえ……もともとがよくわかっておらんのだ、これ以上解析をしても現段階ではなんとも言えん」
これまでトリオン体への――解析も含む――干渉は、トラブルの原因になりかねないとして避けられていた。だからか、これ以上は解析を続ける意味がないと判断したらしい。鬼怒田さんが「お前はもう帰れ」と告げる。
私はようやく換装を解くも、だるさで身体が重く、ため息をひとつ。それでもどうにか帰ろうと腰を上げようとしたのだが――ノックの音が響いて、動きを止めた。
鬼怒田さんが入室を促すと、研究室の扉を開いたのは城戸司令だった。だるい身体に鞭を打ち、どうにか姿勢を正せば城戸司令は私を見下ろして静かに口を開く。
「回収は滞りなく完了している」
「……ありがとうございます」
「このような状況下の被験体を回収できたのは二度目だが……」
抑揚のない声は温かさを感じられなくて、だからこそ冷酷に結果がつきつけられる。
「解析不能、とのことだ」
事実を告げ終えた城戸司令は、口を真一文字に結ぶ。
私があの残骸を作り出したのは間違いないはず。けれど、トリオン反応が解析できないため、どのようなトリガーの結果かがわからない。私の記憶もないとなれば手がかりもない。
「しばらく、お前を防衛任務から外す」
「……はい」
城戸司令の指示に頷いた私を一瞥すると、城戸司令は鬼怒田さんへと視線をうつす。二言三言のやり取りのあとで、再び城戸司令が「水沢」と呼ぶので、反射で「はい」と返事をする。
「もう夜も遅い。送っていくから来なさい」
「……お願いします」
ちょっとだけ、見慣れた城戸さんの顔を思い出して息をついた。ボーダーの最高司令官である城戸司令に対する恐怖は拭えないものの、後見人である城戸さんには、少なからず安心感を思い出せる気がするのだ。
連れていかれた先で各々が乗り込むやいなや、城戸さんは深夜の三門市へ颯爽と車を走らせる。もともと口数が多いほうでもなく、道中の会話もほとんどない。だから、あっという間に家に着いてしまったもので「ありがとうございました」とお礼を告げる。そうして車を降りようとしたのだけれど、「水沢」と声がかかった。
「……しっかり休むように」
「はい」
素直に頷けば、城戸さんはすぐにフロントガラスの向こうへと視線を戻してしまった。私がしっかりとドアを閉めれば、少しして車はゆっくりと速度を上げ、夜の町並みへと消えていく。
「……おやすみなさい、城戸さん」
言いそびれた、なんていまさらだ。私は早足に家へと入り、すぐにベッドへと倒れこむ。
軋むスプリングの感覚で脳内がぐらつく。頭が重い。やらなければいけないこともあったはずなのに、なにも考えられない……考えたくない。ぼんやりとした頭の中で、這う様な声が脳裏に蘇る。
――我らの任務について、知る必要はない。
奴らは、私の体内にあるブラックトリガーを奪おうとしているのだと思っていた。それは私の心臓を奪うことと同義で、だから私は抵抗してきた……はずだった。
今回だって、奴の手は私のトリオン供給器官に手をかけていたはずだ。容易いとまで言ってのけたのに、私のブラックトリガーは奪われることもなかった。そして――
「最悪……」
思い出して、涙が滲んでくる。まさか、またしてもやらかしてしまうだなんて。今回は人的被害がなかったからよかったものの、一歩間違えれば一緒にいた空閑君がどうなっていたことか。不甲斐ない自分に嫌気がさして、胸に詰まったモヤモヤが次から次へと涙を生み出すかのようだ。
「……空閑君、大丈夫かな」
『ユーマなら問題はない』
知らない声が聞こえてきて、思わずベッドから跳ね起きる。聞き慣れないそれは誰のものか、どこにいるのかと警戒したのも束の間、少しして『驚かせてすまない』という声とともに、眼の前に黒くて丸いなにかが現れる。
『私はレプリカの分身体だ。あのあと、ユーマの指示を受けて和音についてきていた』
「……空閑君が……?」
部屋が暗いために気づくのが遅れたが、よくよく見れば、黒い豆粒のような風貌にはレプリカの面影がある。私が知っている声より高いのはサイズの問題なのだろう。ぷかぷかと浮きながら『和音は大丈夫か』と心配してくれているようだ。
ぽろ、と最後の一粒が頬を滑る。泣いたのもバレてるんだろう。それとなく目尻に溜まった涙を拭うが、レプリカはぷかぷかと静かに漂ったままだ。この状態で大丈夫と言うのも説得力がないだろうし、おそるおそる「怪我とかはないよ」とだけ返す。
「それより、空閑君の指示って……」
『また体調を崩すのではないかとユーマが心配していた。それで、様子を見にきたのだが……』
顔色をうかがうようなレプリカに、おずおずとお願いをする。
「……泣いたのは、空閑君に言わないでくれる?」
『承知した』
間髪入れずに頷いてくれたあたりレプリカも、悪かったとは思っているらしい。先に声をかけてくれればよかったのにとも思うが、先ほどまで城戸司令もいたのだし、タイミングがなかったのかも。仕方がないので、これはレプリカと私だけの秘密にしてもらおう。
ふう、と深呼吸をひとつ。取り乱したところを見られてしまったので、気持ちを落ち着けてからレプリカに向き直る。
「……ねぇ、レプリカも空閑君とずっと一緒にいたよね?」
『ああ』
「それなら……あのとき、私がなにをしてたのかも、見てた?」
おそるおそる訊ねれば、レプリカは『うむ』と相槌をひとつ。いわく――人型近界民が、和音のトリオン体内部でトリガーを発動させたようだ。突如として和音のトリオン体の形が変わり、和音と近界民は囲われてしまった。そのため中の状態は確認できず、ほどなくして拘束が解かれ、変わらぬ和音と近界民の残骸が残っていた――とのこと。
「……そっか」
空閑君にまで危害が及ぶようなことがあれば……と思っていたが杞憂だったらしい。ほっと息をついていると、レプリカが不思議そうに『覚えていないのか』と訊ねる。肯定し、「ボーダーでも、なんだったのか解析できないって言われたよ」と続ければ、レプリカは静かに『そうか』と頷いた。
ひと区切りついて……自然と溜息が漏れる。
「……奴らの目的って、なんなんだろう」
『現時点では不可解な点が多すぎるな』
レプリカですら見当がつかないというのなら、私が考えたところで意味もないだろう。けれど、空閑君はハッキリと“回収が目的ではない”と言っていた。ならば、奴らは私を殺そうとしているわけではないのかもしれない。だとしたら――
「…………どうしたらいいんだろ」
思わず零してしまった言葉を聞いて、レプリカは不思議そうに私の様子をうかがっている。黙って寄り添ってくれているのがわかったので、私は自然と気持ちを吐露していた。
「……お母さんは、私を守るためにトリガーを遺してくれたでしょ? なのに……奴らが私を殺そうとしていないのなら……」
くっと喉が詰まる。それでもレプリカは黙ったままだ。なんだか泣いてしまいそうで、けれど涙を見せたくなくて、代わりに言葉を絞り出す。
「まるで、ただお母さんが誰かを殺してしまうようで、嫌なんだよ……」
本当はあの――大規模侵攻の――時も、あの人は私を殺そうとしていたわけではなかったのだろうか。ならば、お母さんはなぜ、あの人を……殺してしまったのだろう。
じわりと涙が滲んで止める間もなく再び、ひと粒がぽろりと零れ落ちてしまう。慌てて拭うが、堰を切ったように次から次へと溢れてきて止まらなくなってしまった。必死で深呼吸を繰り返して涙を止めようとしても、なかなか収まらない。
そのうち、ずっと黙っていたレプリカが『和音』と声をあげる。
『少しだけ、私達の話をしてもいいだろうか』
まだ涙がほろほろと溢れてくるものの、おずおずと顔を上げる。私の真正面を陣取ったレプリカに頷けば、レプリカはゆっくりと話をはじめたのだ。