棚からチケット舞い落ちた
『……和音。起きろ、和音』

 繰り返し私を呼ぶ声は聞こえるものの、眠気がひどくて目が開ききらないままだ。徹夜で生活リズムを崩してから、いまだ朝にきちんと起きる生活には戻れていない。

「ううん……、れぷりか……?」
『ユーマが呼んでいる』

 唸ったままの私をおいて、レプリカは『繋げるぞ』と声をかける。やっとの思いで薄っすらと目を開けば、ぷかりと分裂したレプリカ。一昨日にも見た、空閑君によく似たそれが『和音ちゃん』と呼んでいるではないか。眠い頭に高い音が響いて、私はまた目を閉じながら返事をする。

「はー、い……和音ちゃん、です……」
『なんだ、ねぼすけなんだな』
「うぅん……どうしたの……」

 寝返りをうって端末を手にとり、やっとの思いで時間を確認する。時計は七時をちょっと過ぎたところを示していて、起きたくないなぁと嘆息。特に予定も立てていない日だったし、最近いろいろあったから休みたい気持ちが強いのだ。私はまた目を瞑ってベッドへと突っ伏す。
 もちろん、そんな気持ちはレプリカの向こうの空閑君には伝わらないのだろう。変わらず頭に響く高音で『実は、』と話がはじまった。

『エイガとやらのチケットをもらったが、今日までしか使えないらしい』
「へぇ……」
『ネンマツとやらで、オサムもチカも皆忙しいと言われてな』
「……そうだろうねぇ……」
『そしたら、和音ちゃんが一緒に行ってくれると迅さんが教えてくれた』

 ……迅さん、なんということを吹き込んだんだ。確かに今日は予定がなかったけど、眠れるならいくらでも眠りたいくらいなのに。それを朝一番に叩き起こされるとは思ってもみないわけで。

『というわけで、エイガにつれてってくれ』
「んん……もっかいだけ、寝かせてくれるなら……」
『わかった。じゃあ玉狛で待ってるから、よろしくな』

 挨拶を最後に、再び部屋の中が静かになる。どうにか目を開けば、ひとりぷかぷかと浮くレプリカが私を覗き込んでいるだけ。
 なんか、映画を一緒に見に行こうと誘われたような。私は夢見心地のまま、けれど頭はしっかりと、仮眠時間と玉狛に行くまで、それから映画館に行くまでのざっくりとしたスケジュールを組んで逆算する。

「……れぷりか……」
『うむ』
「二時間したら起こして……」

 私は目覚ましをレプリカに託し、襲いくる眠気に身をゆだねて沈む。頭のどこかで、眠いながらも予定を立てた夢の中の自分すごいな、なんて考えながら。
 ――しかし、驚くことに夢ではなかったのである。

『和音、起きろ』

 今度はタイミングが良かったのか、呼びかける声ですんなりと意識が覚醒した。ついさっき寝落ちたような気がするが、眠気がなくなったあたり仮眠のわりに熟睡できたようだ。

「おはよう、レプリカ。起こすなんてどうしたの?」
『……確認するが、ユーマと映画に行くのではなかったか』
「……え? なんか、そんな夢は見た気がするけど……」

 間。ぷかぷかと浮かんでいるレプリカは黙ったままこちらを向いていて、まさかと口を開く。

「…………夢じゃない?」
『うむ。和音は朝に弱いのだな』

 ぐ、と言葉に詰まるが、寝ぼけていた以上なにも言い返せない。私は慌てて身体を起こして出かける支度をはじめることにする。合間でレプリカに、もらったチケットの映画タイトルを空閑君に聞いてもらったり、それをもとに上映スケジュールを確認したりを忘れずに。
 そうして家を出て、ようやく玉狛支部までやってきた。出入り口にうっすらと人影が見えたのは空閑君のようだ。レプリカに頃合いを聞いて待ってくれていたのだろう、私に気づくと手を挙げてくれる。

「よ、遅かったな」
「お待たせしました……」
「いいよ、別に。それより楽しみだ」

 空閑君は私を咎めることもなく「ほら、はやく行こう」と急かしている。好奇心旺盛なんだなぁ、なんて。どうせなら友達と楽しめたらよかったのに、とは思うが、年末年始は親族でのあれこれが立て込みやすい時期だから仕方ないか。
 気持ちを切り替えて、私も空閑君に応える。
 
「じゃあ、案内しましょうか」
「うむ、よろしく頼むぞ和音ちゃん」

 そうして、建前としては空閑君を映画館へと案内する……実質的にはデートが実現してしまったのである。

§

「ふぉ……まだ耳がくわんくわんするぞ……」
「大きい音に慣れてないと、そうなるかもね」

 動物との家族愛が描かれた映画は感動的で、私は涙を堪えるのに一生懸命だった。だから隣の空閑君にまでは意識がいかなかったのだけど、どうやら映画館での音響にやられてしまったらしい。今もむずがゆそうな顔で耳を押さえているあたり名残が抜けないようだ。
 
「人の声があんなに大きいのは気持ち悪いな」
「最初はびっくりするけど、意外と慣れるよ」
「そうなのか? じゃあなんで和音ちゃんは泣いてたんだ?」
「……それは音にびっくりしたとかじゃないからね……」

 なんと、あの暗闇でも目ざといものだ。気恥ずかしいながらも「ちょっと……感動しただけで……」と言えば、空閑君は「なるほど」と神妙に頷く。
 映画のチケットは、もともと小南が嵐山さんからもらったものらしい。鞄の底に仕舞われていたのがひょんな拍子で発掘され、空閑君の興味を惹いたようだ。好奇心旺盛な空閑君のお気に召したようで「いやぁ、おもしろかった」と満足気な表情。
 かと思えば、ふいにきょとんとした顔で「和音ちゃん」と振り返った。

「おなかすいてきた。なにか食べよう」
「えぇ!? ポップコーン食べたのに……?」

 映画館といえばポップコーンだろうと案内したら、初めて見るのだろう、空閑君は目をきらきらと輝かせながら塩味とキャラメル味のセットを買っていた。映画が始まるまでにしょっぱさと甘さを堪能し、鑑賞中に食べきってゴミを捨てているところまで見ているが……さらに食事を要求されるとは。
 時間としては遅いお昼にちょうどいいけれど、「和音ちゃんもどうぞ」と空閑君がポップコーンをわけてくれていたもので、それほどおなかは空いていない。どうしたものか……と悩んでいたからか、空閑君は「和音ちゃんが食べたいのでいいぞ」と融通をきかせてくれる。

「……じゃあ、サンドイッチとかでもいい?」
「おう。どこか食べれるところがあるのか?」
「うん、いこっか」
 
 了承を得たので、連れたって慣れたチェーン店へ。ピークを過ぎたのかお客さんはまばらだが、店内には列ができていたので最後尾へと並んだ。順番に従ってゆるゆると進んでいくと、次第に見えてきたショーケースと店員さんが作っていくサンドイッチに、空閑君の目が輝きはじめる。

「レイジさんのサンドイッチと違う……?」
「うーん、基本は同じはずだけど……」

 サンドイッチとしてよく見るのは食パンに挟んだもの。けれど、こういったお店のサンドイッチはコッペパンのような、バゲットのようなパンを用いることが多いから違うように見えるのかも。
 これは注文が大変かもしれない……と心配になったもので、興味津々の空閑君に先を譲ることにした。注文方法を手短に説明しつつ、店員さんからの案内も受けて好き嫌いやら辛いのが平気かやら、後に並ぶ私からもフォローをしてどうにか無事に会計へと辿り着く。
 さて、これで一安心だと思った直後、レジの前に立った空閑君が私を示しながら店員さんへと声をかけた。

「二人分、おれが払う」
「はい、承知しました」

 え、と驚きの声を上げる間もなく、レジの人は私の注文を受けていた店員さんに内容の確認をしている。セットのドリンクはなににするか、と最終確認をしたレジの人は合計金額を空閑君へと伝えてしまい、空閑君はすぐにお札を差し出してしまった。止められるはずもなく、あっという間に会計が終わってしまう。

「で、このあとは?」
「あ、っと、席に、移動しよっか」

 少なからず列ができている以上、妨げるわけにはいかないと慌てて店内へ。食事時のピークを過ぎたタイミングだったからか、存外すぐに空席が見つかったのでそそくさと腰を落ち着けたのだが――

「あ、あの、空閑君」
「ん? どうした?」
「――ご、ごめん、あの、お金……」

 慣れないことで戸惑いばかり、どうしたらいいのか困ってしまう。こういうのって先輩である私のほうが出したほうがよかったのかな。というか、レジでなんか、もっとうまく立ち回ったほうがよかったんじゃないかな。
 お金を払わせてしまったことに謝ることしかできない私だけど、空閑君はきょとんとした顔で私を見つめかえしたあと、「ふむ?」と不思議そうに首を傾げる。

「別に気にすることないよ。案内のお礼だ」
「え、いや、そんなお礼されるほどのことでは……」
「まぁまぁ。それより、はやく食べよう」

 空閑君は行儀良くぱちんと両手を合わせて「いただきます」と食事の挨拶。慌てて私も両手を合わせると、空閑君はひとあし先に完成したサンドイッチを手にとって大きな口でかぶりついた。もぐもぐと咀嚼するのに比例して空閑君が満足げな表情になり、ごくんと飲み込んで一言。

「しゃきしゃきの感覚とひとつずつ違う味が、口の中で集まって完成していくうまさ!」
「……食レポ……」

 思わず突っ込んでしまったが、空閑君はサンドイッチに夢中な様子。自分でカスタマイズしただけに思い入れもあるのだろうか、ともかく美味しそうに食べているので、ここにして良かったなと一安心だ。
 私もおそるおそる、ひと口齧りつく。なんだか緊張してしまって、美味しいはずなのに味わっている余裕がない。だってなんか、2人で映画を見に行って、こうしてお昼を奢ってもらうのってなんか、本当に――
 浮かびかけた言葉を、私はサンドイッチと一緒に必死になって飲み込んだ。


[26/110]

 

サヨナラの引力

 

ALICE+