「じゃあ、どうぞ」
「うむ、おじゃまします」
玄関扉を開いて招けば、両手に買い物袋をぶら下げた空閑君が遠慮なく足を踏み入れていく。
あのあと自宅の片付けをすませ、ついでに冷蔵庫の中身も確認してから家を出た私と、レプリカに連れられた空閑君とで最寄りのスーパーにて合流。約束どおり買い出しの荷物持ちを頼んで、連れだって我が家へとやってきた。
「荷物、床に置いちゃってくれる?」
「どこに?」
「扉の近くに冷蔵庫があるでしょ」
「ふむ、了解」
空閑君は入ってすぐのキッチンを横目に進んでいく。突き当たりにある扉のそばに置かれた冷蔵庫に気づいたようで、空閑君はここまで持ってきてくれた買い物袋を寄せるように床に置いてくれた。
後を追った私は空閑君を通り越し、正面の扉を開いて部屋へと招きいれる。
「どうぞ。そこ、座ってていいからね」
「うむ……しつれいします」
借りてきた猫のようにローテーブルの前の座布団へと腰を下ろす空閑君。物珍しそうに部屋を見回されると……ちょっとどぎまぎするが、部屋の中で目立つのはベッドくらいのもの。見られて困りそうなものはしっかりと隅のクローゼットに仕舞ってある。客人に飲み物だけ用意すれば、夕飯づくりに取り掛かるだけだ。
――と、思ったのだが。
「和音ちゃん、まだか?」
「まだだよ〜」
まるで餌を待つ雛鳥のように、キッチンの脇をひょこひょこと動き回る空閑君。視線はずっと私……正確には手元に向いていて、どうやらご飯づくりの予習をしているようだ。
「料理というのは奥が深いな……」
今夜は親子丼と豚汁というお肉多めの献立。買い出し中になにを作ろうかと相談してみたら、空閑君は「和音ちゃんの好きなものがいい」と言ってのけたのだ。ということで、卵料理が好きな私の希望と、育ちざかりの空閑君のためにお肉多めにできるメニューに決めた。
まだ具材を切ったり下処理したりの段階なのだけど、空閑君はじっくりと私の手元を見ている。それほど興味深い作業をしているつもりもないので不思議だ。
「玉狛でも皆、料理してるでしょ?」
「うん。でも、あんまり見てるときがないから」
空閑君はそう言って、ごぼうのささがきを水にさらしたものを興味深く見つめている。アクを抜くため、というのは説明が難しかったな……と振り返ってひと息。私としても玉狛に毎日通い詰めてるわけではないので、空閑君がなにに興味を惹かれているのか不思議で仕方ない。
私の部屋ということで人目を心配することもないからか、レプリカ本人もまたぷかりと浮かんでいる。豆粒レプリカとは違う、低めの落ち着いた声が台所に響く。
『ユーマ、あまり近づくと和音の邪魔になるぞ』
「わかってるよ」
レプリカに注意されながらも、調理の様子を観察するのはやめないらしい。まるで親の餌を待つ雛鳥みたい。だんだん可愛く見えてきた、と心のうちで思うのは自由だということにしておく。
それにしても賑やかだ。空閑君がたびたび「それは?」だの「なんだこれ」だの不思議そうにするので、その都度私が説明をして、レプリカが空閑君にもわかりやすく言い換えてくれての繰り返し。日本の文化に馴染むのも大変そうだが、空閑君は厭わず――むしろ新しいことに興味津々で、着々と学びを得ているようだ。今も、唐突に響いてきた沸騰音にびくりと反応している。
「うぉ、なんだ?」
「ふふ、炊飯器でお米を炊いてる音だよ」
「……いい匂いがしてきた」
「まだ炊き上がりまで時間がかかるけどね」
炊飯器がお米の準備を着々と進めてくれているので、私も料理を手早くすませてしまわないと。根菜類なんかは煮込むと時間がかかるけど、少量ならレンジでいくらか熱を入れておくほうが早いし、と調理を進めていく。
「……和音ちゃんはおもしろいな」
「ん、なにが?」
「女の子だったり、おねーさんだったり、今はおかーさんみたいだ」
くりくりとした紅い瞳が私を見つめる。からかっている雰囲気でもなく、ただ自然と零れでた感想のような呟きだ。どう受け取るのがいいんだろうと考えていると、空閑君は「嫌だったか?」と私の表情を伺う。
「ううん、そうじゃないけど」
「けど?」
「……喜んでいいのかな、と思って」
思わず笑ってしまうと、空閑君はうぅむと首を捻る。どうやら空閑君も感覚を持て余しているようで、適切な言葉が見つからないらしい。逡巡している様子をよそ目に、私は淡々と調理を続ける。
一転して静かな台所だ。まな板を包丁が叩く音、ごろごろと具材が転がる音や、蛇口から出てシンクの底を叩く水の音はしても、人の声はしない。会話がない静けさは、けれど温かいものだ。
そうして、いよいよ鍋が煮立つ音を立てはじめた頃、唐突に「わかった」と空閑君の声が落ちる。
「優しい感じがして、落ち着く」
空閑君の表情はさっきと変わらない。ぼうっとしているような、ただ湧いた感情をひとつ言葉にしただけみたいだ。
「……それは、嬉しいな」
「そうか」
私の返事を聞いて、空閑君はふっと吹き出すように息を吐き、顔を綻ばせる。瞬間、ぎゅうと胸が締め付けられるような心地がして、私もほうと息をついた。
落ち着く、というのは安心していることに似ている。だから、空閑君が今ここにいることで居心地がいいと思ってもらえるのなら――あぁ、またぎゅうと胸が締めつけられる。
「なぁ、まだか?」
「はいはい、もう少しね」
私の心情などつゆ知らず、空閑君はすぐに好奇心を隠しきれない顔で催促を重ねる。男の子だったり弟だったり、今はやっぱり餌を待つ雛のようだ。せっかくなら、と味噌を溶いた汁を小皿にすくって差し出せば、空閑君はひとくち啜って「うまい」と笑う。
親子丼の方も見れば、卵にほどよく火が通ってそうだ。お米は少し前に炊きあがった音がしたし、着々と仕上げへ。それぞれをよそってローテーブルに並べれば、それなりの見栄えの食卓になった。空閑君と向かい合って腰を下ろし、見合って手を合わせた。
「「いただきます」」
言うが早いか、空閑君はさっそうと丼を手に持って大口で食べはじめる。案の定熱かったようで、はふはふとしながらも味わうように咀嚼しているのが見てとれた。そうして飲み込むや否や――
「うん、うまい!」
「……落ち着いて食べないと、喉に詰まるよ」
「ニホン人はみんな料理がうまいな!」
「皆、かはわからないけどね……」
親子丼をいくらか食べたと思えば、豚汁も啜る空閑君。ほくほくとした顔ながらも豪快な食べっぷりに、作ったほうとして胸を撫で下ろす。
ふと気づけば、レプリカが姿を消している。食事を必要としないらしいし、どこかに戻ってしまったのだろうか。残された私たち二人だけの食事は静かで、お互いに咀嚼していれば話すこともなく、だけど温かい。合間でぽつりぽつりと「ごはん、作ってくれてありがとう」と「どういたしまして」なんて穏やかな会話を交わして、また箸を進める。
いよいよ静かな「ごちそうさま」で、食事の時間が終わってしまった。自然と腰を上げて食器を片づけようとしたのだが、ふいに空閑君から「待った」と止められる。
「片付けはおれもできるぞ」
「……え?」
「だから、おれがやる」
そう言うと、空閑君は机の上の食器を手際よく重ねて流しへと運んでいった。スポンジはどれか、洗剤はどれか、と聞かれたので答えれば、少しして蛇口を捻る音の後に水の流れる音が響いてきた。
「……玉狛でも、食器洗いしてるの?」
「訓練が終わってるときは、たまに。レイジさんに、働かざる者食うべからずだと言われたから教わったんだ」
ふふ、と笑ってしまうが、きっとそれは流しの音でかき消されてしまったのだろう。真剣な横顔はシンクを見下ろしている。不意に蛇口を閉めたと思えば、今度は一枚一枚を丁寧にスポンジで擦っている音が聞こえてきた。
――なんだか空閑君までお母さんになったみたいだ、なんて。
夕飯時を過ぎてまで、我が家で誰かと過ごすことは滅多にないことだ。だって皆にも帰る家があるし、ボーダー隊員なら任務だってある。それなのに今日は朝から晩まで空閑君が一緒だったもので、楽しかったな、と思う反面……終わりの予感がさみしい。
二人分の食器はあっという間に洗い終わったらしい。ふいに聞こえた「和音ちゃん」と呼ぶ声に、はっと意識を戻す。空閑君はぼうっとしていた私を見て「どうかしたのか?」と首を傾げている。
「……キッチンに立ってる人は皆お母さんに見えるのかもなって」
「だからか」
「なにが?」
「……なんだか、さみしそうな顔してた」
言い当てられて、どきりとした。いつもならそんなことないよって言えるのに、空閑君の紅い瞳に見つめられると、どうしてか本音が零れ落ちてしまう。
「一人はやっぱり寂しかったのかもねぇ」
「ひとり?」
「高校に入ってからは一人暮らしだったから――」
だから、と言葉を続けようとしてやめた。何度も寂しいと口にしてしまうと、気持ちが引きずられてしまいそうだ。これから空閑君を見送ろうという時に、帰りづらくしてしまうのは申し訳ない。
私は緩く首を振って「食器、洗ってくれてありがとう」と話を変えた。空閑君はあまり納得していないようだったけど、こくりと一度頷く。途切れてしまった会話。頃合いだろうと、もう遅いから……と告げようとした言葉が、空閑君に遮られる。
「あのさ。おれ、和音ちゃんに話してみたいことがあったんだ」
空閑君の瞳は真っ直ぐに私を見ていて、なんとなく、機をうかがっていたのだろうなと感じた。迷いなく、それでも考える猶予を与えるように「だから」と言葉を区切ったあと――ゆるく目を細めて私を伺う。
「もう少し、いてもいい?」
断る理由も見つからなくて、私は静かに頷いた。