冬至が過ぎたとはいえ、日が暮れるのは早いまま。景色が茜色に染まりつつある中を歩く私たちの手は、なぜか繋がれている。
「……そういえば、栞たちは?」
「ボスたちと帰ったよ」
「三雲君も?」
「チカの合同訓練が終わって、レイジさんたちと帰った」
そうして一人残った空閑君は、なぜ私を玉狛に連れてくる担当になったのだろうか。思うところはあれど、空閑君がいて嬉しいと思う自分もいて心が揺れる。
同じように、繋いだ手もゆらゆらと揺れている。玉狛に向かう足取りも普段と変わりなく、そうすることが自然であるかのようだ。けれど冬の寒さで際立つ、繋がれた手の熱が気にかかる。とはいえ、そんなことを話題にできるはずもなく。
「……今日の会議、さ」
「うん?」
「忍田さんって、空閑君のお父さんのこと知ってるの?」
「らしいな。ボスも知ってたし、昔の知り合いらしい」
なにとはなく「そっか」と相槌を打つ。ほかにも気になったことはあったような気がするが、頭のほとんどは繋がれた手の熱を意識していて気もそぞろだ。
誰かと手を繋いで歩く、なんて普段はそうないこと。……いや、遠い記憶の彼方で、お友達と手を繋ぎましょうと先生に言われたことや、お母さんに手を引かれていたことはあるはずだけど。
手をゆるく握られている感覚や熱に慣れていなくて、思考があちらこちらへ惑うばかり。会話の糸口を探して焦りはじめた頃、今度は空閑君が話を振ってきた。
「和音ちゃんは、休みの間もごはん食べてたか?」
「……えぇ?」
「レイジさんが心配してた」
「そ、そんなに……?」
ただでさえ思考が覚束ないというのに、突然そんな話題を出されても困ってしまう。けれど空閑君の口振りは、ごはんにお邪魔するたびにレイジさんが心配するのとよく似ていた。だから私は考える余裕もなく、いつものように――
「普通に食べてたと思う、けど……」
「……つまんないウソつくね」
「…………あっ」
――気づいたときには遅かった。レイジさんが思うような『普通に』ご飯を食べる生活をしていた自信はない。とはいえ、人間は食べなければ生きていけないもの。私とて例外ではなく、なにかしらを口にしていたという点では間違いないからとの答え。
空閑君はそれを『ウソ』だと言い切った。それが、前に話してくれた『嘘を見抜くサイドエフェクト』によるものなのか。
「……食べてはいたよ」
「うん、それはわかった」
「…………ちゃんとは、食べれてないかもだけど」
「うん、そういうのがわかるんだ」
思わず「なるほど……」と頷いてしまえば、空閑君はふすりと笑った。私がサイドエフェクトに合点がいったこともわかったのだろう。空閑君は「たぶん、おれじゃなくてもわかったと思うよ」なんて言ってみせる。
栞にもわかりやすいと言われているし、もしかして、レイジさんにもバレていたんだろうか。だから、いつもご飯を食べているかと聞かれるのかもしれないな……なんて。
ふいに、空閑君の静かな声が響く。
「和音ちゃんは、ほっとくと自分をソマツにするからな」
「…………え?」
思っていたより重い言葉に面食らう。自分を粗末にする、だなんて初めて言われた。
「……大袈裟じゃない?」
「そうか? レイジさんは『たしかにな』って言ってたけど」
「どんな話してたの……」
空閑君にレイジさんへのおつかいを頼んだのは失敗だったのかもしれない。お金のことだから、早めに渡せたほうがいいだろうと思ったのに……自分がそんな形で話題に上がるだなんて考えてもみなかった。
空閑君とレイジさんが言う『粗末にする』というのはなんだろう。ほんの少しご飯を横着するくらいで……なんて拗ねても仕方がない。けれど、どことなくモヤモヤとした気持ちが拭いきれない。
「……空閑君も、休み中のご飯は大丈夫だったの?」
「うむ。はんばーがーとやらも気に入った」
嬉しそうな笑顔で「あれもサンドイッチみたいだな」なんて話しているけれど、ハンバーガーって立派なジャンクフードじゃないかな。そんな空閑君にご飯の話で怒られるの、やっぱり納得いかないなぁ。
ふぅ、と溜息をついたあと、玉狛まであと少しだと気づく。堤防への階段を上り、川沿いを歩けばもうすぐそこ。空閑君のほうが一段先を登っていて、繋いだ手でまるで引っ張りあげられているかのようだ。
「……あのさ」
きっと、もやもやした気持ちの名残が私の背を押したのだと思う。玉狛に着けばきっと、この手は離れてしまう。そうしたら、もう意味を訊ねることはできなくなってしまう気がしたから。
空閑君は足を止めてゆったりと振り返り――階段のぶん、今は空閑君のほうが背が高いから――私を見下ろす。緩く首を傾げて「どうした?」と問う表情は普段と変わらない。
「――どうして、手、繋いでたんだっけ?」
夕日の眩しさと、日が暮れつつある薄暗さの狭間で空閑君の表情はぼんやりとしか見えない。それでも、普段と変わらない声色で「そういえば」とぽつり、言葉を落とす。
「丸いおっちゃんに呼ばれてたろ。大丈夫だったのか?」
「……丸いおっちゃん……?」
しばし考えて、もしかして鬼怒田さんのことだろうか、と気づく。鬼怒田さんに呼ばれて、大丈夫だったかと……心配されている?
私が主旨を理解できていないのがわかったのか、空閑君はぼんやりとした顔のまま話を続ける。
「前も、調子が悪いときにあのおっちゃんのところに行ってただろ」
「……たぶん」
「今日は、あーすとやらはいいのか?」
空閑君の話から単語をぽつりぽつりと拾って、ようやく合点がいった。
先月まで続いていたブラックトリガーの不調は、保有しているトリオン量が限界に近いからではないか、というのがレプリカの推論だった。だから、アース機構とやらが発動していたのではないか。結果として私にも悪影響を及ぼしていそうだと、迅さんからのアドバイスもあって私は鬼怒田さんの元に足を運んでいた。
逆説的に、鬼怒田さんのところに呼ばれるくらいだから、まだ調子が悪いのではないか? と推測した空閑君は、アースが発動するであろうと見越して私の手をとり……そのままになっていた、ということだろうか。
「よくわからんが、こうしたら楽になるんだろ?」
そう言った空閑君が、優しく笑うのを見た。瞬間、どぐりと心臓が疼いて、堕ちる。
「……心配してくれて、ありがとう」
どうして手を繋いでいたんだろうと、浮ついていたのが嘘のようだ。緊張が緩んで、湧いてくるのは嬉しさ。このままではいけない、と深く息を吸ってから熱を吐き出す。
向こうの世界では、やはり文化が違うのだろうか。こんなことを平然としてしまったら、相手によっては支障が出てしまうはずなのに。なにより私も、甘えてしまうわけにはいかない。
「――でも、誰かがいるかもしれないときは手を繋いでてくれなくても大丈夫だよ」
「ふむ?」
「好きな子とか気になってる子とかに見られちゃったり……私と付き合ってるって誤解されちゃったら、空閑君が困るでしょ?」
遠回しな言い方で伝わるのだろうか。けれど、こういうことは誤解されかねないこと。手を繋いで歩くだなんて、デートと見間違えられてもおかしくはないのだ。
見上げた空閑君は、きょとりとした視線を私に向けて押し黙る。私の言わんとしていることを考えているのだろうか。やっと口を開いた空閑君は、怪訝そうな表情のまま――
「おれたちって付き合ってるのか?」
「……へ?」
突然、予想の遥か斜め上をいった問いかけに、間抜けにもぽかりと口が開く。素っ頓狂な疑問を理解するのに手間取ったものの、聞いていることはいたく単純なもの。
私はよくわからない不安を感じながらも「付き合ってない、よね?」と確かめるようにうかがう。空閑君は、きょとんとした表情のまま頷いた。
「うむ。誤解はしてないから、いいんじゃないのか?」
いいのか……いいのかな? どうして?
私が口を挟むより先に、空閑君は「ほら、行こう」と手をゆるく引く。促されるままに私は階段をひとつずつ上がり、堤防へと登り切れば夕日が山際の近くまで降りてきているではないか。
「もう日が暮れるな」
「……そうだね」
玉狛に向かう足が少しだけ早く感じるのは、暗くなる前に玉狛に着いてしまおうという焦りからか、それとも。
ねぇ、空閑君。私はね、気になる子に、誤解されたら困るんじゃないのかな、って言いたかったんだよ。だから、私が誤解してなかったからって、それじゃ意味がないんだよ。
そんなこと言えるわけない。踏み込めるはずがない。だってこれ以上はもう、ウソになるから。