はっと目が覚めて、あまりに明るい室内に呆然とする。
慌てて枕元の端末に手を伸ばして時間を見れば、朝というには遅すぎる。というか、これから支度をして学校に着くころには午前の授業が終わる時間だろう。
「……なんで……?」
寝坊というのもはばかられるほど寝過ごしている。アラームをセットし忘れたわけではないはずだけど、鳴った記憶も止めた記憶もない。特別に夜更かししたわけでもない。目に留まったのは端末に表示されている、出水くんからの『任務のはず、って言っといたぞ』というメッセージ。
『和音、起きたのか』
普段は姿を見せない分身レプリカまでもが、ぷかぷかとやってきて声をかけてくる始末だ。おそるおそる「おはよう」と言えば、レプリカは『うむ』と静かな声を響かせる。
『体調が悪いのか? ずいぶんと眠りこんでいた』
「ううん、そんなつもりはないんだけど……」
頭がスッキリしているだけに、現状に理解が追いつかないというか、実感が湧かない。けれど時刻を見なおしても間違いではなさそうだ。とりあえずは凝り固まった体を解すように伸ばす。遅刻もここまで来ると、焦りを通り越して諦めの境地だ。
『なにか異常があるのかもしれない。本部で計測を受けてきたほうがいいのではないか』
「……そうしようかな」
とりあえずは、出水くんからのメッセージに『ありがとう』と返信しておく。このあと本部に寄るのなら、出水くんの言い訳もあながち嘘にはならないだろう。とりあえず、これで学校のことはいいとして。
あとの問題はレプリカか。今回もなにか空閑君からの用事かと、傍に寄り添うように浮いている姿を見上げて声をかける。
「空閑君は大丈夫?」
『……異常はないが、気になることでも?』
「え? いや、空閑君になにかあったから、声をかけてくれたのかなって」
『むしろ和音になにかあったのか、ユーマに報告すべきかで迷っていたところだ』
レプリカを心配させてしまうほど寝ぎたないとは恥ずかしいばかりだ。おそるおそる「……ごめん……ただの寝坊だと思うんだけど……」と言えば、レプリカは『それならそれで構わない』と頷いている。
ともかく、たまにはそういう日もあるだろうと開き直るしかない。いい加減に出かける支度をしようとベッドから下りて、買い置きしてあったゼリー飲料へと手をのばす。ごく自然な朝のルーティンに、レプリカは『ふむ』と唸った。
『和音が食事を横着するというのは、事実のようだな』
「……空閑君に告げ口しないでね」
『善処しよう』
食事を横着している、なんてことをレプリカにまで言われてしまうとは。レイジさんといい空閑君といい、責められているような気がして居心地が悪い。こういうところが、空閑君に『自分を粗末にする』だなんて言われてしまう所以なのだろうか。
――じゃあ、空閑君は?
「あのさ、レプリカ……ちょっと、訊いてもいい?」
ふわふわと待機しているレプリカは『なんだ?』と私をうかがう。思わず声をかけてしまったが、訊いてもいいのかな。迷いはしたけれど、それでも確かめたい気持ちのほうが勝っている。こわごわと「答えづらかったら、いいんだけど」と前置きをして、口を開いた。
「死にかけた空閑君の身体って……治す方法はあるの?」
レプリカは静かに浮いたままだ。それから、ぽつりと呟きが落ちる。
『私はそれを調べるために日本にきたのだが……めぼしいものは見つかっていない』
私もまた、静かに「そっか」と相槌を打つだけ。
空閑君はずるい。私のことを粗末にしているだなんて言える立場じゃないだろう。それなら空閑君だって、自分を粗末にしないよう、身体を治す方法を探すべきじゃないか。
「……空閑君は、治す方法を探すこと、諦めちゃったの?」
『いや、そもそもユーマがこちらに来た目的は、ブラックトリガーからユーゴを蘇らせるためだ』
「――え!?」
『しかし、和音も、迅もブラックトリガーを持っていただろう。ボーダーの技術でもそれは無理だとわかっている』
驚いて大きな声を出してしまったのに、レプリカは動じる様子もない。あっという間に膨み、一瞬で萎んだ希望。そのせいで跳ねた心臓を落ち着けるように深呼吸を繰り返しながら、そうだよね、と自分に言い聞かせる。レプリカは『しかし』と話を続ける。
『結果としてユーマは、オサムたちと共に遠征を目指すという新たな目的を得られた。日本に来た甲斐があったというものだ』
「――いいの? レプリカは空閑君を治したかったんでしょう?」
『決めるのは私ではない、ユーマ自身だ』
「…………そっか」
言い切ったレプリカは、本当に悔いがないのだろう。ならば私が言えることはなにもない。だから、空閑君はこのまま、遠征部隊を目指すという目標に向かって日々を過ごしていくのだろう。
――なんでだろ。今、すごく、空閑君に会いたい。
空閑君は、死にかけた身体になにを思っているのだろう。眠れない夜はどう過ごしているのだろうか。私に過去を話してくれた空閑君は微笑んでいたけれど、思い出すと切なくて、無性に寂しさを感じてしまう。
空閑君の手に、もう一度触れたい。私を心配して手を繋いでくれた空閑君のように、私も空閑君へと手を伸ばすことは、許されるのだろうか。
――もしかして、この気持ちを、人は『恋しい』と言うのかもしれない。
「……あ」
『和音?』
そう無意識のうちに、いよいよ私は心の奥に燻っていたものに名前を与えてしまったのだ。
目の前には、変わらずぷかぷかと浮かぶレプリカがいる。この気持ちはどう映るのかと、さらに居た堪れない気持ちが募る。
「どうしよう、私、空閑君が、好き……なのかもしれなくて」
『ふむ』
「……あ、いや……でも、ごめん、聞かなかったことにして……」
あちらこちらの心が紡がれて結びついた『恋』という言葉に混乱してしまう。そんなまさか、を繰り返してここまで来たのだ。好き……であることに、特別な意味はなかったはず。そうだ、恋しいだなんて、命の終わりを怖がっている気持ちを勘違いしているだけかもしれない。
それなのに動揺して、勘違いさせるようなことをレプリカに口走ってしまった。後の祭りとは思うも、レプリカのことだから、頼めば聞かなかったことにしてくれるだろう。そう思ったのに、レプリカは穏やかに『なぜだ?』と問うてきた。
「えっと……だって、レプリカも迷惑じゃない?」
『私が?』
「その……さっきだって言ってたでしょ? 空閑君には今、遠征を目指すって目的があるわけで……それには私の気持ちってたぶん、邪魔になっちゃう、と思う……」
考えを整理するより先に気持ちが溢れてしまったもので、自分でもうまい言葉が見つからない。けれど、今みたいに会いたいと思ってしまう気持ちの行く末は、空閑君の時間を奪いかねないことのはず。このまま膨らんでいけば、空閑君の目標の邪魔になりうるだろう。
レプリカもまた、私の意図を汲みきれずに困惑しているようだった。それでも、少ししてレプリカは穏やかな声色で答える。
『少なくとも私は、和音がユーマを想うことを迷惑だとは思わない』
思わず「え?」と間抜けな声が漏れてしまった。……いい、のだろうか。妙な感覚に困惑していると、レプリカは『それに、ユーマも』と続ける。
『和音に対して、そのようには考えるとは思えない』
「……そう、かな」
お目付け役であるレプリカのお墨付きがあると、少しくすぐったい気持ちになる。そうだといいな……なんて浮かれてしまうのは、やっぱり好きだからだろうか。
きっと、これまでのたくさんのことが空閑君に惹かれていたからなのだ、と言えてしまうのだろう。どことなく浮ついたままの私に、レプリカは寄り添ったまま話を続ける。
『むしろ、和音のほうこそいいのか?』
「……いいって、なにが?」
『ユーマは決して不老不死というわけではない。いずれ……』
言葉を濁し、続きを明言しないのはレプリカの優しさなのだろう。嬉しくて、思わずふふ、と笑いがこぼれてしまった。驚いたようにレプリカが私を見やるので、ただ、思うがままに口を開く。
「心配してくれてありがとう。……でも、命の限りは誰にだってあるものだよ」
『……』
「お母さんだって、あんなに早く死んじゃうなんて思ってなかったもん」
近界の世界がどれほど厳しいものでも、私が過ごしてきた世界は違った。だから、お母さんがいなくなっちゃうのなんてまだまだ先だと、考えたこともなかった。
「だから……空閑君と一緒にいられる時間が短いとして、だから好きにならない……なんてできないよ」
『…………そうか。それなら、私からもひとつ、いいだろうか』
レプリカが神妙に切り出すので「なに?」と先を促す。レプリカは少し間をおいて、それから優しい声色で告げるのだ。
『どうか、ユーマに選ばせてやってほしい』
「……なにを?」
『現時点では、私にもわからない。ユーマがなにを望むのかは、ユーマにしかわからないからな』
レプリカは、私なんかよりずっと空閑君のことを知っている。だから、意味のある願いなのだろうと素直に頷いた。レプリカは満足気に『うむ』と唸るので、きっと、それでよかったのだろう。
ふう、と息をつく。突然の寝坊はもちろんだけど、まさかこんな話をレプリカとすることになるなんて思っていなかった。
「……ごめんね、話し込んじゃって」
『私は構わないが、時間は大丈夫か?』
「うーん、……もう、いまさらだよねぇ……」
さすがに、このまま家でだらだらと過ごすわけにもいかない。気持ちの整理もついたことだし、私はようやく重い腰を上げる。さぁ、はやく支度をすませないと。
もう、始まりが目の前まで来ているなんてことに気づいていなかったのだ。