身支度も整えたし、そろそろ本部に向かおうか。レプリカはどうするんだろうと、声をかけようとして――瞬間、背筋を駆けあがる悪寒に動きを止める。
「……レプリカ」
『どうした?』
「奴らの反応はないよね?」
嫌な予感がする。真っ先に浮かんだ可能性をレプリカに訊ねると、しばらくの沈黙のあとで『反応はない』と返答。だとしたらこれは、なんの予感だろうか。まさか大規模侵攻の前触れか。
『本部に行くのだろう。私も行こう』
「……うん、よろしくね」
自ら同行を申し出たレプリカと共に家を出る。ずっと不安で仕方がなくて、本部へ向かう足取りも自然と早足になる。一番近い連絡通路へと入り、足音が響く通路を淡々と進み続ける間も胸騒ぎが落ち着かない。どうしたものか。
ようやく本部に着いた――と思えば、不意にチチチチと聞きなれない音が鳴りはじめる。緊急召集だ。やはりというべきか、敵襲がはじまったのだろう。身体に力が入ったのも束の間、すぐにレプリカが『和音』と私を呼び止めた。
『迅から通信が入った』
「え?」
『戦闘態勢に入るのは待て、今は本部で待機しろ、と』
「……えぇ……?」
意気込んだ出鼻をくじかれたような気持ちで困惑ばかりだ。というか、指揮系統的には迅さんからの指示に従っていい立場でもないんだけど……。
と、思えば分身レプリカがうにゅん、と分裂する。
『水沢。迅より連絡を受けている。本部にいるのなら、そのまま待機でいい』
「し、忍田本部長……?」
『もとより鬼怒田室長からも、不確定要素が多すぎるゆえ、できるかぎり戦線に出さないよう希望があった。敵の出方により戦闘を指示するが、今は待機しておくように』
「……水沢、了解」
応答すれば、通信が切れたのだろう、分身レプリカの分身がまたうにゅると吸収されていく。
「……レプリカ、私専任のオペレーターみたいだね……」
『もとより、そのつもりで和音についてきている』
「そ、そっか。ありがとう……」
レプリカとのやりとりや、本部長からの本格的な待機の指示により、なんだか気が抜けてしまった。さっきまでの妙な胸騒ぎも消えているし、とりあえずは――どうしようか。
待機の指示とはいえ、忍田本部長は場合により戦闘の指示をするとも言っていた。であれば焦っても気を揉んでも仕方がないので、今はともかく、どこで待機をするかだ。
「レプリカ、なにかあったら教えてね」
『うむ』
私はそれだけレプリカに頼んでから、通い慣れた通路を歩く。こういうときはやはり、過ごし慣れた場所が一番だ。つまり、向かう先は開発室。
有事においては、開発室の技術者たちも戦場にでるわけではない。かといって、いつ対応の必要な事態が起こるかわからないので、ほどよい緊張感が室内に漂っている。今も、扉が開いたことで反応した人々が、私だとわかるやいなや「おつかれさま」と安堵した笑顔を見せるくらいだ。
「水沢さん、こっちでいいの?」
「待機命令が出てるので……指示があるまではここにいます」
「そっか、了解」
おそらくは、いつでも指示通り動けるようにとの心づもりなのだろう。技術者たちは各々研究室を出たり入ったり、忙しくしているようだ。私は邪魔にならないように隅を陣取って、そっとレプリカへと声をかける。
「状況はどう?」
『うむ……』
返事から、状況はあまり芳しくないのだろうか。レプリカは『順を追って話そう』と提案してくれる。
いわく、最初は大量のトリオン兵がいくつかの群れを作って、市街地の方向へ向かって侵攻をはじめた。隊員たちがそれぞれ対処していると、新型トリオン兵――ラービットというらしい――が現れた。トリガー使いの捕獲を目的として作られたそれに、諏訪隊の一人が捕獲されたという。
『今、風間隊が救出を試みている』
大丈夫だろうか。迂闊なことは言えないので聞くばかりだが、レプリカもまた淡々と状況を追ってくれる。
新型に対抗するにはB級単隊では危ぶまれるため、B級は合同するよう指示が出たという。トリオン兵は着々と侵攻を続けているが、順次排除を進めていくようだ。
『――イルガーが近い』
「え?」
『和音、衝撃に備えろ』
レプリカの注意に、反射で頭を下げて抱える。間をおいて――地鳴りのような音と、地震のような揺れが響く。
「な、なに……?」
『爆撃型トリオン兵、イルガーの攻撃だ』
「基地に爆撃を……!?」
『うむ。だが、基地に損傷はない。たいしたものだ』
レプリカは感心したような口振りだが、とんでもないことだ。まさか基地にも攻撃を仕掛けてくるだなんて。
『和音、もう一体だ』
ほとんど間をおかずに知らされ、再び身体を丸めて待機。変わらず、遠くから爆音が響いてくるが、さきほどと同じく衝撃はそこまででもない。おそらく、トリオン兵の爆撃があったのは反対側の区画だったのだろう。
もう爆撃は来ないのだろうか、おそるおそる体勢を戻す。すると、通りかかった技術者の人が声をかけてくれた。
「水沢さん、大丈夫?」
「大丈夫です」
「よかった。これからちょっと騒がしくなるよ。隊員がひとり、トリオンキューブにされてしまったから、急いで解析を進めなきゃ」
「わかりました」
さっきレプリカの話にも出ていた、新型に捕獲されてしまった人なのだろう。バタバタと慌ただしいのを見守りながら、私はひたすら待機を続ける。
レプリカいわく、どうやらラービットの目標はC級隊員なのではないか、ということ。今は市街地のほうで一般人の避難誘導にあたっていたC級にラービットが集中しはじめ、間もなく小南たち玉狛第一が現着するとのことだ。
身近な友人たちの話だからだろうか、じわじわと募る焦燥感を溜息で誤魔化す。
「……もどかしいね。なにもできないのは」
『気にすることはない。和音にも、やるべきことがあるのだろう』
「…………今は、待機だね」
『そうだ』
本部長からの指示には従うべきだ。しかし。そもそも
待機となったのはブラックトリガーの影響が大きい。不確定要素であり、暴走されては作戦の支障になり、戦闘としての能力が高いわけでもない。だからこうして待機を余儀なくされている。
……自分がもっと戦えたらよかったのだろうか。脳裏を過ぎる後悔に頭を振る。それができたのなら、訓練生時代にあれほど苦労はしていない。迅さんが、嫌がる私を奮起させてくれたからこそ、どうにか今までやってこれたのだから。
『……ふむ』
「……? レプリカ、どうかした?」
『いや……迅も動いている。戦況が大きく動きそうだ』
状況を確認しながらも、段々と妙な感覚に胸騒ぎがする。これはなんだか、ブラックトリガーが不安定なときとよく似ている感覚。心臓が軋むような、熱を持つような……嫌な感じだ。
「……レプリカ、ちょっと移動しようか」
『ふむ、構わないが……』
「なんだろう、なんか変なんだ」
私の違和感を尊重してくれたのだろう、レプリカは『了解した』と返事をする。私は腰を上げ、いまだトリオンキューブの解析に勤しむ技術者の人々の邪魔にならないよう部屋を後にした。
心臓の熱を頼りに、本部内の通路を歩いて気配を探る。まだ微かなもので、方向に確信があるわけでもないから、ゆっくりと。
『和音、なにかが近い』
レプリカの緊迫した声色に、反射でトリガーホルダーを握る。ブラックトリガーの使用許可は下りていない。瞬時にノーマルトリガーで換装を済ませると同時に――警報。
『和音。基地内部に侵入者のようだ』
「どこ?」
『敵は通気口から侵入したらしい。近いぞ』
『こちら忍田。水沢、応答せよ』
「こちら水沢。今は――」
通信室の近くに、と報告しかけたところで爆音。近い。いや、むしろ通路の向こう側で砂塵が舞っている。通路の壁を破壊して、そのまま通信室へと侵入したのだろう。
レプリカが『和音』と言葉少なに報告する。レプリカのサポートだろうか、通信室内の未識別トリオン反応へのマーキング。しかし、近くにオペレーターも多くいる。
『……やむを得ない。水沢、交戦を許可する。付近のオペレーターほか職員の避難が最優先だ。うまく誘導してくれ』
「了解」
レプリカのフォローを受けて、壊された壁を通すように弾道を引く。
「変化弾」
数発撃ち込むが、手応えなしだ。むしろ着弾した音もない。妙な感じだ。
弾丸が契機となったのか、通信室の扉が開く。中からオペレーターたちが走りだしていくのを見送りながら、気をひくためにも変化弾をさらに数発撃ちこむ。やはり手応えなし。
――瞬間、妙な気配を感じてその場から飛びのいた。急に突き出してきた刃は、敵のものだろうか。
「あぁ? なんだ、また生意気に避けやがって……」
通信室から悠然に現れた黒髪の男。――角つき。しかも、黒い角だ。
「今度は女か。どっちにしろハズレだな」
こっちは最悪の当たりを引いてしまったらしい。トリガーキューブを割った残弾はもう少し残っているのだが、撃ち込んだところで意味がないだろうことも想像がつく。
『こちら風間だ。さっきソイツと戦ったデータを送る』
通信が入り、データを共有してくれたらしい。了解を返せば、データを受け取っていたらしいレプリカがすでに解析を進めている様子。
『和音、この男のトリオン体は液体状に変化する。また、おそらくは気体にもなりうる可能性がある』
『ってことは、このまま引いたほうがよさそうだね』
内部通信でレプリカに確認をとれば、『それでいこう』との返事。重ねて忍田本部長からは『職員には避難を呼びかけている。しばらく耐えてくれ』との指示があった。
ならば――と、また反射で飛びのいた。避けた先にまた刃が飛び出してきて、掠りながらも後退していく。
「つっまんねーなぁ。猿らしく芸のひとつでも見せてみろよぉ?」
敵の本拠地に単身乗り込んだのは自信があるからだろうか。はたまた蛮勇からか。いずれにせよ、私を見下してくれているなら有難い。
「……変化弾」
「猿のひとつ覚えが、つまんねーんだよ!」
どぽん、と水音がして弾丸が吸収されている……いや、無効化されているようだ。トリオン体が液状化しているとなると、ブレードはもちろん弾丸も効果は臨めない。
――また、嫌な感覚がして地を蹴った。こいつのブレードは予想だにしないところから生えてくる。だが、おそらくは私のブラックトリガーが――トリオンの吸収機構により――妙な気配を察知し、間一髪で避けられている。
さて、そうは言ってもこのままではジリ貧だ。さらにはトリオン体が液状化する以上、狭い通路の中、敵の懐に飛び込むのは悪手でしかない。ならば、少なくとも私には、後退する以外に選択肢がないわけで。
「ったく、怯えた猿は逃げるのが上手だなァ?」
脳裏を過ぎるのは迅さんの言葉。反射で避けるまではどうにかなると思うんだよね、と言っていた。ブラックトリガー相手にまともな勝負になるとは思えないが、囮となって逃げ続けるだけならなんとかなる、と信じるしかないのだろう。
「……いつまで持つか、見ててやるよ」
これ以上は持ちそうにない。どうか、避難が少しでも進んでいますように。祈りながら私は、再び地を蹴った。