城戸司令の部屋を後にして、迅さんが「お」と声を漏らす。いわく、今なら鬼怒田さんがつかまりそうとのことなので、今度は開発室へ。
「鬼怒田さん、お疲れ様です」
「水沢!? なんだ、退院しとったのか!」
頭のてっぺんからつま先までを確かめるように眺めたうえで、鬼怒田さんは「無事ならよかったわい」と言ってくれた。大規模侵攻の後処理、その真っ只中で倒れてしまったのに。申し訳なくて「ご心配をおかけしました」と頭を下げれば、鬼怒田さんはふんと鼻を鳴らす。
「まったく、貴重なデータは取れたがな。なにかあってからでは遅い」
「……はい」
「あ〜、それでさっき城戸さんと話したんだけど」
鬼怒田さんのお叱りの言葉を甘んじて受けていれば、迅さんが割って入った。さっきの――つまりは、ブラックトリガーを使っていきたいという――話をすると、鬼怒田さんは目を丸くする。
「……なんじゃ、もう使いたくないと泣き言を言うかと思ったわい」
「えぇ……?」
「その気になったのなら、こっちとしても研究を進められる」
城戸司令ほどではないにしろ驚きはあったようだが、鬼怒田さんはブラックトリガーを使うことに好反応だ。デスクの上に山積みになったあれやこれをかき分けて、数枚の束を取り出したかと思えば私に手渡す。
見てもいいということだろうと流し読めば、内容は今回のブラックトリガーの活動停止についてだった。そうして目に留まったのは――
「おまえのトリガーは、そもそも戦闘用に作られておらんだろう」
「……え、っと、戦えない、ってことですか?」
「トリオン弾を撃ち出せる以上、攻撃の手段はあるが……トリオンの吸収、貯蔵機能との兼ね合いを考えると不可解な点が多い」
手元の書類には、難しい言葉で似たようなことが書いてある。トリオン器官をひとつだけを持つはずの人間が、このトリガーによって、まるでふたつ持っているかのような状態になってしまう。これが意図的であるならば、戦闘を行うことは元来の目的ではないのだろう、と。
「とはいえ……今回のように機能停止してしまえば、さらうことだって簡単じゃろうて。身を守れるように、なんとかせんといかん」
だいたい目を通し終えたのがわかったのか、鬼怒田さんは返せと言わんばかりの仕草をする。私が素直に書類を返せば今度、鬼怒田さんは受け取った書類をデスクに放り、おもむろに引き出しを開けはじめた。今度は握りこぶしを差し出されたので、受け取るように両手を受け皿にして待てば――ぽとり、と転がったもの。
「……レプリカ?」
「換装体に紛れておったのか、研究室に落ちてたぞ」
瞬間、ぞわりと言いようのない寒気が背筋を駆けあがる。どうして、ここに? 病院で呼びかけても応えなかったのはここにいたから? うんともすんとも言わずに手の中に転がってることが怖くて、すうと血の気が引いていく。
隣で迅さんが「和音」と呼んでいる。とても、静かな声で。
「レプリカ先生は、いなくなったんだ」
「…………え?」
いなくなった、という言葉が不可解で聞き返すが、返事はない。鬼怒田さんは今度、研究室を指さして話を続ける。
「おまえの荷物はそのまま置いてある。とっとと持って帰れ」
「あ、はい。すみません」
「こっちも忙しいんでな、しばらく休んどるように」
言われるがまま荷物を引き取って、追い出されるかのように開発室を後にする。手の中には、いまだぴくりとも動かないレプリカ。大事に鞄にしまったあとで、おそるおそる迅さんに向き直る。
「……このあとは玉狛でしたっけ」
「……あぁ、そうだな。そろそろレイジさんが迎えに来てくれる」
迅さんの瞳が一瞬揺らいだものの、「行こうか」と言われたので後をついていく。レプリカのことは……聞かないでおいたほうがいいのだろう、と思ったから。ただ、そうなると誰に聞けばいいのか。まさか、空閑君に聞くわけにもいかないだろうに。
§
迎えに来てくれたレイジさんに連れられて、玉狛支部へとやってきた。今日のお昼はかきたまうどん。おなかいっぱいになると眠くなってきたもので、そろそろ帰ろうとした――昼寝する前に、入院中は満足に入れなかったからお風呂にゆっくり入りたい――のだが、待ったの声がかかる。服は貸すからとお湯を張ってくれ、入院中の分とあわせて洗濯までしてくれると。さらには、休む部屋まで用意してくれていたとか。
「夜も食べてくだろ?」
「え、っと、いいんですか……?」
「食えるなら食ってけ。まぁ、今は休んだほうがいい。時間になったら呼びにくる」
「……はい……」
ずいぶんと至れり尽くせりな歓待を受けてしまった。……なんだか、足止めされているような? なんて穿った見方をしてしまうくらいには、あれもこれも面倒を見てくれている。
用意された部屋のベッドはお日さまの香りがして、ほう、と息をつく。静かだ。どうやら大規模侵攻であちこちに影響が出ていて、立て直しの目途がついたら休みも取るようにとの指示が出ているらしい。だからだろうか、玉狛支部も昼間は人が少ないようだ。
「……ふぁ……」
あくびをひとつ。気だるさに引きずられるようにまどろんでいたら、意識が落ちた。
――ふっと手のひらに温もりが宿る。
自然と瞼が開くが、部屋の中は薄暗くてよく見えない。夢だろうか、夜だろうか、意識もぼんやりとしたまま。けれど指先をわずかに握られている感触に、自然と名前を呼んでいた。
「……空閑君……?」
ぼんやりと人影が動いたような。刹那に見えた――黒髪に、違うと気づいて飛び起きた。向こうも驚いたようで、烏丸君はきょとんとした顔で私を見ている。
「ほんとに起きましたね」
「……は、い……?」
響いた低い声はやはり烏丸君のものだが、なるほど、改めて見るとシルエットは少し空閑君に似ているかも……なんて現実逃避。しかし、どうして烏丸君がいるのか。呆然としているうち、するりと手を離されて……なら、やはり手を握られていたのは現実らしい。
状況を整理していると、烏丸君は混乱したままの私を眺めて小さく息をつく。
「責めるなら迅さんに言ってくださいね」
「え、なにを……?」
「起きなかったら手を握ればいいって入れ知恵したの、あの人です」
「そう、なんだ……?」
「すみません、宇佐美先輩を待ったほうがいいかとも思ったんですが」
珍しく口数の多い烏丸君の話を、寝ぼけた頭で聞いて整理する。
さすがに女子が寝ている部屋に起こしに入るのは女子がいいだろうとはなったが、まず小南は今日夕飯には来ないらしい。栞は空閑君と一緒にオペレータールームにこもって今も仕事中で、ごはんは後回しの予定。千佳ちゃんは三雲君の病室につきっきりとなれば、今いる玉狛女性陣は全滅だ。
「で、一番無難なのはイケメンだろうと俺が」
「貧乏くじ引いたわけね……申し訳ない」
ずいぶんと深く寝入ってしまっていたらしい。恥ずかしいところを見られてしまったな、と思うが時すでに遅し。ともかく「起こしてくれてありがとう」とお礼を言って伸びをすると、じとりとこちらを見つめる烏丸君。
「……寝癖? なにかついてる?」
「二人ってそういう仲なんですか?」
二人というのは……と、しばし逡巡して思い出したさっきの醜態。いくら寝ぼけていたとはいえ、手を握られて口をついて出た名前は空閑君だった。それを聞いた烏丸くんが、私たちを"そういう"仲だと考えてしまうのも無理はないだろう。
「……違います……誤解しないであげて……」
「……水沢さんって変なとこ鈍いですよね」
「え?」
「だから宇佐美先輩に抜けてるって言われるんですよ」
烏丸君はいつもどおりのポーカーフェイスのままだ。しれっと鈍いと言われてしまったのだが、どういう意図か。寝起きの頭ではとても回らなくて「そうかなぁ……」と返すのがやっとだ。
烏丸君はふいに立ち上がって背中を向ける。そのまま「行きましょう」と言われたので、私も寝起きの身体を叱咤してベッドから下りた。もうすぐ夕飯の時間だろうと思うと、さすがに寝すぎてしまったな。二人でのんびりと食堂に向かっていると、烏丸君が「ちなみに」と口を開く。
「今日はトマトリゾットにしましたよ。消化にいいものって言われたんで」
「え、誰に……?」
「レイジさんです」
「……気を遣ってもらって……」
もしかして、お昼がうどんだったのも私を気遣ってくれたのかな。退院したばかりの人間に気を遣うなというのも無理な話か。今は皆の心遣いをありがたく受けとっておこうと思うと……与えられる優しさに、なんだか泣きたくなってしまう。
「……烏丸君も、ありがとね」
「いえ、たいしたことじゃないです」
自然とそう返せるのは、さすがイケメンというべきか。ふ、っと笑ってしまったが、烏丸君は気にしていないようだ。
食堂に入るやいなや、トマトのいい香りが鼻をくすぐる。だからだろうか、くぅ、と小さくおなかが鳴ってしまった。聞かれてないといいな……と思っていると、配膳をしていたらしいレイジさんがこちらに気づいたようだ。
「京介、宇佐美達は?」
「後で食べるからいいと言われました。手が離せないからって」
「……あいつらも、まったく……」
常日頃から私の食生活を心配してくれるレイジさんのことだ。食事抜きに思うところがあるようで、眉間を押さえて溜息をついている。
「しょうがない、俺たちだけでも先に食うぞ」
「はい」
「水沢も、食えるだけ食ってけ」
お言葉に甘えて、用意されていた食卓につく。ほかほかと湯気があがるトマトリゾットを目の前にして、両手を合わせて「いただきます」の挨拶。さっそくスプーンでひとすくいを口に運ぶと、さっぱりした味でするすると胃袋に落ちていくようだ。
今日は昼も夜も玉狛でご飯をいただいているので、なんだか健康になった気分だ。そうご飯を食べている私とは対照的に、なにやら二人がじいっとこちらを見ている。
「……えっと、あの、やっぱりなにか付いてる……?」
昼寝させてもらってそのまま来たから、と不安になっていると、烏丸君は真顔のまま一言。
「水沢さん、やつれました?」
「え? そ、そんなことはないと思うけど……」
「顔色は少しマシになったな」
レイジさんがしみじみと呟いているが、だから昼寝を勧められたのだろうか。自覚がないので困っていると、レイジさんは「もっとウチに飯を食いにこい」とまで言い出す始末だ。いちおう、自活のために独り暮らしをしているはずなのだが……。
これは反省しないといけないな、と思いつつ。二人からの心配のまなざしに応えるように、トマトリゾットの完食を目指して私はせっせとスプーンを口に運び続けた。