貴女が私の制御線
「和音が来てるって本当!?」

 もうすぐ完食、というところで扉が開くと同時に食堂に響いた小南の声。突然のことに驚いていた私と視線がばっちり合うやいなや、小南はずかずかと入ってきた。そうして私の向かいに立ったと思えば、机に手をおいて身を乗り出してくる。

「和音、あんた、大丈夫なんでしょうね!?」
「え、あ、はい、大丈夫……」

 あまりの勢いに圧倒されてしまうが、小南は私が食事中だというのも気づいたようで身を引いた。ほっと息をついていると、ひとあし先に食べ終わっていた烏丸君は不思議そうな顔。

「つうか小南先輩、知らなかったんですか?」
「知らないわよ! 急に迅から防衛任務代わるって連絡が来て、和音がいるからって言い出したのよあいつ!!」

 ぎゃいぎゃいと賑やかな二人を尻目にようやく最後のひとくちをすくう。頑張ったな……思ったより量が多かったし。リゾットでおなかが膨れちゃった、なんて考えつつ、ひっそり「ごちそうさま」の挨拶をすませる。
 レイジさんに「静かにしろ」と一喝された小南はすんと勢いを落とした。小南も元気そうだなぁ、なんて眺めていたら、小南からふたたび「和音!」と鋭い一声が飛んでくる。

「ちょっと待ってなさい! あんたには聞きたいことが山ほどあるのよ!」

 つまりは、まだ帰るなということだろう。それは別にいいんだけど、小南はレイジさんと烏丸君に「女同士の話だから! 二人は解散!」と宣言している。なんだか嫌な予感がするなぁと思いつつ、なんの話か見当もつかないので見守るしかない。
 するとレイジさんが「小南」と呼びかける。

「長くなるなら、先に水沢に荷物を返すから借りてくぞ」
「……そういうことなら、いいわよ」
「水沢。悪いが、洗ったものの確認だけしてくれないか」
「あ、はい」

 そういえばお風呂を借りるとき、洗濯物を任せてしまったんだった。慌てて食器を下げようとしたら、烏丸君が「こっちはやっときますんで」と制止をかける。本当に至れり尽くせりで恐縮しっぱなしだが、おずおず「お願いします」と任せて、私はレイジさんの後をついて食堂を出る。

「あの、部屋に置いてある荷物を取りに行ってますね」
「わかった。そっちに持っていくから待ってろ」

 いったんは別れて、ベッドを借りていた部屋へ。預けた洗濯もの以外の荷物を確認していれば、すぐにレイジさんがビニール袋に下げてやってくる。中身を見せながら「間違いないか?」と確認されたので「大丈夫です」と頷く。さすがに下着類は任せていないとはいえ、洋服を洗濯されるのは気恥ずかしいものがあるな、なんて。
 ふと、レイジさんが部屋のデスクに見知らぬ衣類を置いたのが目についた。

「レイジさん、それは?」
「遊真の分だ」
「……どうしてここに?」

 聞きながら、なんとなく嫌な予感。はっとしたレイジさんがばつの悪そうな顔をしたから、なおさら。

「……この客間は、今ほとんど遊真が使ってる」
「…………ベッド、借りちゃいましたけど」
「あいつは普段ベッド使ってないみたいだからな。断ってあるし、シーツも変えてある」

 は、恥ずかしい……! 不可抗力とはいえ、まさか、空閑君の部屋のベッドで寝てしまうなんて。
 レイジさんはあたふたとしながらも「すまない」だとか「気にするだろうと言わなかったんだが」だとか言っている。いや、そりゃ気にしますよ……! さすがに人のベッドで寝るなんて、なんというか、申し訳ないにもほどがある。

「……レイジさん」
「な、なんだ」
「洗濯していただいたうえで申し訳ないんですが、あの、シーツはまた変えておいていただけると、その……ありがたいです……」
「すまん。明日にはやっておく」

 うぅ、大丈夫だろうか。レイジさんが言うには空閑君はベッドを使っていないらしいし、空閑君自身も寝ないといっていたから、大丈夫だと思いたい。
 瞬間的に熱くなった頬を手の甲で冷やしながら、私は渋々と荷物をまとめて立ちあがった。これ以上、空閑君の部屋に長居するのはさすがに心臓に悪い。レイジさんは部屋に戻るというので別れて、私は食堂で待っているだろう小南の元へ。
 しかし、食堂の扉を開いて目に入ったのは、ダイニングテーブルに腰かけてトマトリゾットを美味しそうに頬張っている……やつれた栞だった。

「お〜? 和音、元気かね〜?」
「……元気だよ。栞こそ……大丈夫?」
「まぁまぁ、かな〜。あともうちょいなんだけど、なかなかねぇ〜」

 どうやら、知らぬ間に栞がご飯に上がってきたようだ。それなら空閑君は一緒じゃないのだろうかと食堂を見回していると、気がついたのか栞が「遊真くんなら屋上だよ〜」と話を続ける。じゃあ小南は……と、確かめるより先にキッチンから小南がマグカップを持って現れる。

「ちょうどよかったわ。ほら、あんたのぶん」
「え、ありがとう」
「そっち、座んなさいよ」

 小南はそう言ってソファを示すので、荷物を隅にやってから、言われるがままにソファに腰かける。目の前にマグカップを置かれたものの、小南はソファに座ることなく、仁王立ちで私の前に立ったままだ。
 さすがに異様な光景が気になったのか、ダイニングテーブルに座る栞は「どうかした?」と興味深くこちらを伺っている。私としても小南の意図が読めなくて、おそるおそる「な、なんでしょうか……」と訊ねるだけ。そうして小南は、いよいよ重い口を開く。

「和音」
「はい」
「そろそろ白状してもいいんじゃないの?」

 ずいぶんと物騒な言葉が飛び出してきた。いったいなんのことだろうかと、おそるおそる「心当たりがないんだけど……」と伺えば、小南の眉間の皺が深くなっていく。

「隠してること、ないわけ?」

 ぴく、と肩が震えてしまった。隠し事がない……わけではない、と自覚しているからなおさらだ。もちろん小南もそれを見逃すわけがない。

「換装体で三日間も機能停止したままなんて、ボーダーのトリガーでそんなの聞いたこともないわ」
「……そう、なんだ……」
「あんたがブラックトリガー持ってるってこと、さすがに隠しきれないわよ」

 ――ひゅっと息を呑んだ。まさか、ブラックトリガーを持っていると明言されてしまうとは。
 驚いて二の句が継げないままでいると、後ろで栞が「こなみも知ってたの?」と驚いている。なんでも、実は小南だけは私が玉狛に来るときには聞いていたらしい。迅さんから、万が一の保険として栞を守るように呼ばれたのが発端だとか。

「あの時は何事もなかったから、たいしたことないじゃないと思ってたのに……今回は機能停止なんて、いったいどういうつもり?」

 小南の厳しい眼差しは、そのまま私の不出来さを責めているかのようだ。

「……ごめん、なさい」

 謝罪の言葉を絞り出すのがやっとだった。改めて、鬼怒田さんの、身を守れるようにしないといけない、の意図が身に沁みる。でなければ、なにが起こるかわからないというのに。
 項垂れたままでいると、栞が慌てたように「ちょっとちょっと!」と席を立ち、私と小南の間に割って入る。

「こなみ、顔が怖いってば」
「怒ってるんだから仕方ないでしょ」
「和音の事情だってわからないんだから、もうちょっとさぁ……」
「事情なんて、なにかあってからじゃ遅いのよ!?」

 激昂する小南の声は、雷のように私の心を打つ。激しい怒りは、悲しみや不安の裏返しだ。そう……“なにか”があってからでは、遅い。

「あの、ね。城戸司令とも、鬼怒田さんとも話したよ。今後はもう少し、使い慣れていきたいって」

 思ったより静かな声で話せていることに自分でも驚いた。呼応するように小南も、肩の力を抜いてふぅと息をつく。そのまま、ようやく小南がソファへと腰を落とし、栞もソファに腰かける。

「っていうかあんた、今まで使ってこなかったわけ?」
「トリガーを狙われたときだけは、使ってたよ」
「……待って、トリガーを狙われてるって、なに?」

 小南が、今度は怪訝そうに眉間に皺を寄せる。栞も不思議そうな顔をしているので、私はようやくこれまでの――私とお母さんの――事情を話すことにする。
 四年前の大規模侵攻の時に、お母さんがブラックトリガーを作ったこと。それが私の体内に宿っていること。だからボーダーに秘密裏に保護されたこと。トリガーを狙う近界民に襲われてから、上層部と取引のうえボーダーに入隊したこと。その取り決めのひとつとして、私の事情を隠していたことまで。

「……なによ、それ」

 思わず零れてしまったかのような、小南の小さな一言が落ちた。なにに驚いているのか判断に迷う。いっぽうの栞は思うところがあるようで、少し考えるような仕草のあとで「あのさ」とおそるおそるといった声が上がった。

「今回の活動体のまま機能停止っていうのは……?」
「その、私もちゃんとわかってるわけじゃないんだけど……」

 私のブラックトリガーはトリオンの吸収、蓄積、放出機能を持っていること。けれど蓄積量には限界があり、今回のような緊急時には自らトリオン体の機能を破壊してしまうらしいこと。だから換装を解くこともできず、三日間の自己修復機能を経て目が覚めたら、生身に影響が出てしまっていたことを話すが、栞も小南も難しい顔のままだ。

「……溜めすぎると危ないってこと、かな?」
「なら、なんで普段からブラックトリガー使わないのよ」
「その……危ないときに、……意識がなくなっちゃって、どんなトリガーが発動してるか、まだわかってないから……」

 責められるだろう、とわかって口にすることは怖い。それでも、いまさら逃げるわけにもいかず、必死で言葉を吐き出した。二人が「え?」だの「はぁ?」だの、怪訝そうな声が返ってきて――涙が出そうだ。あげく小南にいたっては、またしても鋭い視線で私を睨みはじめたから、なおさら。

「あんた、それ、今までそんな危ないトリガー使ってたってこと?」

 小南の低い声は怒りに満ちていて、迫力に圧倒されるばかりだ。使えなければ危ないと叱られるし、使おうかと思えば危ないと言われるしで、本当に、二進も三進もいかない。

「……ごめんなさい。だから、狙われたときにしか使わないようにしてたの。でないと……皆になにかがあったら困るってのは、わかってる……つもり、で」
「――違うでしょ!?」

 再び小南の怒声が食堂に響く。勢いのまま立ちあがったらしい小南に驚いて目を丸くしていると、小南はびしりと私を指さして声を荒立てる。

「あたしは、和音の話をしてるの!」
「……私?」

 興奮しきりの小南を、栞がなだめるように名前を呼ぶ。けれど目もくれず、小南の目は真っ直ぐに私を射抜いたままだ。

「意識がないって、意味わかってるの!? それこそ、あんたの身が危なくなっても、なにもできないってことじゃない!」
「……それは、そうかもだけど……」
「わかってないでしょ! あんたが危ないって言ってんの!!」
「え? いや、今回だって起動停止したくらいで……それより、周りの人たちをなにか、巻き込んじゃったら……」

 小南は怒涛の勢いであれやこれやと言うが、私はしどろもどろに答えるのがやっとだ。なのに小南の怒りは収まる様子もなく、ぴしゃりと私の話を遮る。

「そんなの、あたしがいくらでもぶちのめして止めてやるわよ!!」

 一切の迷いなくぶつけられた言葉に、まるで時間が止まったようだった。
 小南が強いのは、よく知っている。迅さんに稽古をつけてもらったあとで、小南にも散々に負かされたのだから。そんな小南が、ためらいもなく「止める」と言い切ったのだ。だから小南ならきっと、本当にそうしてくれるんだろう。

「……ほんと?」

 意識するより先にすうっと涙が溢れて、頬を滑っていったのがわかった。途端に小南の勢いがなくなっていく。

「……和音?」
「…………そっか、小南がそう言ってくれるなら、安心だね」

 ぽろ、ぽろ、と溢れる涙が止まらなくて困ってしまう。小南は慌てて駆け寄ってきてくれたし、栞はあたふたとティッシュを取ってきてくれて、二人の優しい気遣いに頬が緩む。そう力が抜けるほど、涙は次から次へと溢れてきてしまう。

「ごめん……。このブラックトリガーってなんなのか、わかってなくて……。だから、誰かを傷つけちゃったら、って……」

 最後、怖くて、と口にする声が震えてしまって、涙がまた堰を切った様に止まらなくなる。すると二人が、それぞれ背中に手を添えてくれたり、頭を撫でてくれたりと、温もりをわけてくれる。

「……バカね。あんたにそんなこと、できるわけないじゃない」
「そうだよ。むしろ、和音になにかあるかもってほうが怖いよ」

 頭上から柔らかい声が降ってくる。二人の温もりに包まれてしまえば、なぜあれだけ怖かったのかが不思議なくらいだ。
 少しして涙も落ち着いてきた頃、私はようやく顔を上げられた。小南の、呆れながらも優しく笑う顔。栞の、安心したように私を見守り微笑む顔。二人の顔を見て――

「……待っててくれて、聞いてくれて、ありがとう」

 万感の思いを込めて告げれば、二人はやっぱり笑顔を返してくれる。やっと、話せた。聞いてもまだ、友達でいてくれるんだって、二人の笑顔から伝わってくる。温かさに滲む涙を拭って、私はやっと笑顔を返せたのだ。


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