傷跡隠す月夜の下で
 すっかり話し込んでしまったものの、話がひと区切りついたところで穏やかな雰囲気を取り戻した。栞は夕飯の続きを食べはじめつつ、私はすっかり冷めてしまったお茶をいただきつつ。最近大変だったし、のんびりお茶会でもしたいね、なんて他愛もないやりとりが続く。

「さて、あたしはそろそろ帰るわ」

 お茶を飲み終えたのだろう小南がそう言って立ちあがる。マグカップを流しに下げる様子に、思わず「あ、私も……」と追従しようとすると、栞が「え〜」と不満そうな声をあげた。

「うぅ、アタシも帰りたいよ〜」
「いいじゃない、今日くらい帰りなさいよ。今の調子じゃもたないわよ」

 事情はよく知らないが、栞はずいぶんお疲れの様子。さすがに見かねて「あまり根を詰めすぎても効率悪いんじゃない?」と声をかければ、ぐったりとした「まぁね〜」が返ってくる。

「でも、遊真君がまだご飯食べてないからなぁ」
「そんなの和音に任せればいいじゃない」
「……え、私?」

 突然に仕事を振られて驚いていると、小南はにんまりとした笑顔で言うのだ。

「あたしたちに隠し事してたバツよ。夜道も遊真に送らせればいいし」
「なるほど〜。じゃあ和音に任せようかな〜」
「……えっと、あの、私は別にいいんだけど……」

 空閑君に帰りを送らせるというのはさすがに……と考えていると、小南はさっさと自分の分のマグカップを洗って食器干しに置いてしまった。栞も、帰るとなって元気が出たのかリゾットの残りをさっと食べ終えて小南に追従する。
 あれよあれよと言う間に片付けを終えた二人は、食堂の扉に手をかけて私に手を振る。

「じゃ、よろしくね」
「和音、おやすみ〜」
「お、おやすみ……」

 パタン、と呆気なく扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。取り残された私は呆然とするばかりだ。
 さて、どうしたものか。それほど遅い時間でもないので待ってもよかったのだが……まだ夕飯を食べていないという空閑君のことが気がかりだ。なにより、迅さんの言っていた"レプリカがいなくなった"という話もある。大丈夫だろうかと、一度気になるとそわそわして落ち着かない。
 意を決した私は自ら空閑君の元へ赴くことにした。屋上へ向かう階段を淡々と上っていくほど、どくどくと鳴る心臓が存在を主張しはじめる。窓越しに見えるのは、屋上の縁に腰かける空閑君の背中。私はいよいよ扉をノックしてから――開く。

「――やっぱり、和音ちゃんか」

 声をかけるより先に空閑君が振りかえって微笑んだ。普段どおりにも見える穏やかな笑顔にどきりとして、思わず歩み寄るのをためらってしまう。

「な、なんで……?」
「ノックするのは和音ちゃんくらいだよ」

 まさか、そんなところで区別されているとは思っていなかった。変にどぎまぎしてしまったが、空閑君は特に気にしていない様子で「どうした?」なんて話を続ける。

「えっと、栞が、今日はもう無理って帰っちゃったから……」
「そっか。……最近、無理させてたからな」

 空閑君の声はとても静かで、夜風にかき消されてしまいそうに儚い。いつもこうだったろうかと、なんだか不安になりながらも空閑君へとゆるゆる歩み寄っていく。

「……空閑君も、疲れてる?」
「ん? おれは平気だよ。もともと休まなくても大丈夫だしな」

 穏やかに笑う空閑君はいつもどおりに見えて、やっぱりなんだか違和感があった。静かすぎる、と言うべきか。声色は明るいのだが、なんだが元気がないように思えるのだ。
 眠らなくてもいい空閑君は、たぶん休息を必要としていない。生身の身体にあるような疲労とか、そういう感覚が薄いのかも。でも、だからといって疲れていないわけではないと思う。

「……三雲君も入院してて、大変だね」
「まぁ、そうだな。でも、死ななくてよかった」
「…………うん」

 空閑君の言葉が、とても重い。そういえば私にも、空閑君は"死ななくてよかった"と言ってくれた。……死にかけた空閑君は、どんな気持ちでその言葉を口にするんだろう。
 話題が途切れて、静かな時間が流れる。なにかないかと空閑君が座る向こうを見やれば、今もぽつぽつと明かりが並ぶボーダー本部が目立っていた。反面、本部近くの家屋が崩れているのも見えて、今回の大規模侵攻で被害にあったんだろうなと心が重くなる。

「……そういえば、和音ちゃんのとこにいたちびレプリカ、どうした?」

 ひやりと血の気が引くような感覚。まさか、空閑君から話題に出されるとは思っていなかった。ひと息おいて、私は平常心を心がけつつ返事をする。

「鞄に入ってるよ。大規模侵攻の間も、すごく助けてもらった」
「そっか。それならよかった」

 すぐに途切れる会話。空閑君の"よかった"は本心だと思うけれど、でも、それでいいのかな、と思う気持ちも湧いてしまう。だって、レプリカは――

「……いなくなっちゃったって、本当?」

 情けないほどに震えた声が出てしまった。聞いてはいけないと思っていたはずなのに、堪えきれなかった。助けてもらってよかったって、それだけでいいわけない。レプリカが無事じゃなかったら、ありがとうというお礼だって口にできないのに。
 空閑君は目を丸くして私を見ている。けれどそれも束の間、空閑君はまた目を細めて、穏やかな笑みをたたえて口を開いた。

「……ホントだよ」

 あぁ、レプリカは本当に――と考えが進むより先に、空閑君が「でも」と話を続ける。

「まだ生きてるみたいなんだ」
「……え?」
「それを、しおりちゃんに調べてもらってる」

 だから栞は、あんなに根を詰めていたのかと理解する。オペレータールームにこもって、ずっと解析をしていたのだろう。だって、どういう事情であれレプリカが――

「生きてるなら、また会えるかもしれんからな。遠征に行く目的が増えそうだ」

 ……よかった、と安堵してしまった。場違いなようにも感じるが、それでも可能性が途切れたわけじゃないのなら……希望があるのなら、やっぱり嬉しいことだから。
 とはいえ、かける言葉に迷ってしまう。まだ解析が終わったわけではないはずで、それなら、よかったねと言うのも違うような。頑張れ、というのも解析は栞が担当しているのだろうし、空閑君は待たなければいけない状況だから、なにを言うにも的外れな気がする。

「……和音ちゃんのほうはどうだったんだ? なんか、大変だったみたいだけど」

 言葉を選んでいるうち、今度は空閑君のほうから声をかけてくれる。レプリカのことだってあるのに、私にまで気を遣ってくれたのだろうか。穏やかなまなざしが私へと向けられている。
 じわり、と下心が滲んだ。空閑君が私を見てくれているのが嬉しい、なんて場違いな感情を持て余す。それでも、私はおそるおそる手のひらを差し出して。

「……確かめてもいい?」

 空閑君は差し出された手と私の顔を見比べて、やっぱり穏やかに微笑んだ。
 自然に握り返された手は温かくて、優しい体温が心地いい。手の大きさはあまり変わらないけど、空閑君の手に厚みがあるように感じるのは……男子の手だからなんだろう。
 感触を確かめながらも、特に変化がないことから私のブラックトリガーも大丈夫なのだろう。空閑君も特に違和感がなかったようで、そのまま話を続ける。

「和音ちゃんも入院してたんだろ。もう大丈夫なのか?」
「うん。ちゃんとご飯も食べられるようになったし、さっきも――」

 昼寝までしちゃったくらいだし、なんて続けようとして言葉に詰まる。芋づる式に思い出してしまった、空閑君のベッドを借りていたという事実をどうするべきか。
 私が中途半端に言いかけたことで、空閑君は不思議そうにしている。首を傾げて「和音ちゃん?」と様子をうかがわれているが、さすがに"なんでもない"とは言えないわけで……。

「……あの、その、ベッド借りちゃってごめんね……?」
「ん? いいよべつに、それくらい。おれはほとんど使ってないし」

 レイジさんと同じようなことを言っていて、空閑君も本当に気にしてなさそう。私としては、空閑君の部屋で空閑君のベッドで眠ってしまったあたりで恥ずかしくてたまらないんだけど、男子ってそういうの平気なのだろうか……。
 私はおそるおそる「あの、レイジさんにはまた、シーツ変えてもらうように頼んだから……」とだけ断っておく。空閑君は「ふーん、了解」と気のない返事をしていて、どうでもよさそう。

「っていうか、和音ちゃんは泊まってくんじゃないの? だから今日は部屋に入らないようにしようと思ってたんだが……」
「え、だ、大丈夫だよ!? ちゃんと帰るし、そのまえに空閑君の夕飯も温めなおすから……!」

 遠回しにそのまま空閑君の部屋で泊まってってもいい、みたいに聞こえて慌ててしまう。さすがに空閑君を追い出してしまうわけにもいかないし、なにより空閑君のベッドとわかって借りるのはさすがに無理だろう。恥ずかしくて、とても眠れそうにない。
 いっぽうの空閑君は、夕飯の言葉に思うところがあったらしい。間をおいて「そういえば……まだ食べてなかった」なんて呟いている。さすがに空閑君が心配だ。

「そろそろ食べられそう? 準備するよ?」
「……うむ、じゃあそうする」

 空閑君は――私と手を繋いだまま――身軽に縁から下りて、そのまま歩き出した。私も引かれるように食堂へとおりる。
 名残惜しいが、それでも「ご飯、温めるね」と言って手の力を緩めれば、空閑君も「よろしく頼む」と言って手を離した。キッチンへと向かって鍋を覗き込めば、烏丸くんの作ってくれたトマトリゾットは残り少ない。弱火にかければすぐにくつくつと言い出したので、温まったトマトリゾットをテーブルに座る空閑君の元へと運ぶ。

「……ほう、今日もうまそう」
「烏丸君特製のトマトリゾットだよ」
「うむ、いただきます」

 ひとくち含んで、ほうと息をつきながら「うまい」と呟く空閑君。私は食事をする空閑君を見守りつつ、一足先に後片付けをはじめる。さっさと片付けて、先に帰ってしまおう、と思ったのだが――

「ごちそうさま」
「…………え、もう?」

 やわらかいリゾットは飲むように食べられたらしく、あっという間に空になったお皿を下げに空閑君が流しへとやってくる。受け取って、とりあえずは食器を洗ってしまえば、空閑君が「じゃあ」と切り出して。

「送ってく。帰るんだろ?」
「え、っと……」
「和音ちゃんを一人で帰したなんて言ったら、こなみ先輩が怒るからな」

 にしし、と笑う空閑君はすっかり元気を取り戻したかのようだ。送ってもらうのは申し訳ないが、小南に言われていたこともあるし、空閑君がとばっちりを受けても申し訳ない。そう言い訳ができてしまえば「……お願いします」と頭を下げてしまって。
 洗い物も終わったので、足早に荷物をまとめていると空閑君がその量にちょっと驚いていた。病院帰りでそのまま来たから、というのに納得したようで、恐れ多くも荷物も半分以上持ってもらった。夜だからと、そうっと玄関へと下りて靴を履き替え、外に出れば――

「なぁ」

 ――するりと、手が絡めとられた。

「和音ちゃんの家、あっちだったっけ?」
「……うん、そうだよ」

 荷物を肩にかけながら、空閑君は道の向こうを指さす。もう片方の手は私の手を握っていて、そのまま当たり前のように歩き出してしまった。
 ……誰にも見られていないなら、いいかな。滲みだした下心はじわじわと思考を染めていく。隣に空閑君がいてくれるのが、送ってもらえるのが、話せることが嬉しい。そうして空閑君が笑う顔を見ていると、やっぱり心の奥からぶわりと、気持ちが溢れそうになるのだ。


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