ゴールを変えたら再出発
 火曜日の朝一番に、迅さんからメッセージが入っていた。

『おれの代わりに、メガネくんのお見舞い行ってくんない?』
「……なんで……?」

 思わず素で疑問の声が上がってしまったが、そのままメッセージを交わすこといわく……三雲君の意識が戻ったのだという。まだ退院の目途はたっていないものの、ともかくは快方に向かっているとのことで胸を撫で下ろす。
 迅さんの“代わりに”という言い分は気になったが……お見舞いに行きたい気持ちもあったので引き受けることにする。学校が終わって病院へと足を運び、聞いていた病室へ。

「こんにちは……」
「お、和音ちゃんだ」

 想像していたのとは違う、聞きなれた空閑君の声に驚く。空閑君もお見舞いに来ていたのか、と病室を見ればベッドに座る三雲君もいて、なにやらわき腹を抑えている様子。

「だ、大丈夫……!?」
「……あ、はい」
「どうしよう、誰か呼んだほうがいい?」
「大丈夫ですよ。外に出ていて、少し疲れただけなので……」

 ふぅ、と息をついているが、三雲君は笑顔を作ってくれる。傍に立てかけられている松葉づえは外出に使っていたものだろうか。意識が戻ったばかりのはずなのに、無理をするものだとはらはらしてしまう。
 ともかく、病み上がりで疲れてしまう気持ちはとてもよくわかる。これは早くおいとましようと、慌てて紙包みを取り出した。

「ごめんね。あの、これ、お見舞いの品なんだけど……」
「あ……すみません、ありがとうございます」
「ううん、大変なところごめんね」

 それじゃあ、と切り上げてしまおうと思ったのだけれど、タイミング悪く次の来訪者が来たらしい。背後から「あら?」と女性の声が聞こえたので振り返る。すらりと背の高い黒髪の女性が、不思議そうな顔で私を見下ろしているではないか。

「あなたも、ボーダーの人?」
「は、はい」

 もしかして、三雲君のご家族の方だろうか。そう私が推測したように、女性も三雲君の持つ紙包みで、私がお見舞いに来ただろうことを察したのだろう。女性はしずしずと頭を下げて――

「お見舞いありがとう。いつも息子がお世話になっております」
「……む、息子ぉ……!?」

 驚きのあまり声がひっくり返ってしまって、反射で自分の口を塞ぐ。ただでさえ病院なのだから、大声なんてもってのほかだ。いやでも、さすがにちょっと、こんな綺麗な女性から「息子」の言葉が出たのは許容できなかった。失礼をしてしまったと、慌てて私も頭を下げる。

「す、すみません。こちらこそ、お世話になってます……」

 一拍置いてから頭を上げれば、凛とした表情のまま見下ろされている。うぅ、すごい圧。綺麗な女性に黙って見つめられるのは居心地が悪い。
 ちらりと三雲君に視線をやれば、三雲君は慣れた様子で「母です」と頷く。三雲君って、空閑君と同じで中三って聞いていたような気がするんだけど。十五歳の息子がいるお母さんが、目の前のこの女性……としみじみ眺めてしまう。
 妙な空気が流れてしまったが、今度は三雲君のお母さんの後ろからひょっこり「こんにちは」と千佳ちゃんが顔を出す。

「あっ、千佳ちゃん! こんにちは」
「よかった、退院されてたんですね」

 ――間。後ろから三雲くんの「え?」の声が聞こえてくる。

「水沢先輩はもう大丈夫なんですか?」
「入院中の三雲君よりは、よっぽど元気だよ……!」

 今となっては、大規模侵攻後の入院騒動は恥のほうが強い。それなのに大怪我で意識不明の重体だった三雲君とあわせて心配されるのは、とても居た堪れない。
 いっぽうで千佳ちゃんは、ほんわかした笑顔で「元気になったみたいでよかったです」と自分事のように喜んでくれる。いわく、同じ病院なものだから病室を覗きにきてくれたようだが、私が寝ていたらしく、顔を合わせることもなかったのだとか。

「修くんの病室にずっといたので、退院されてたのも知らなくて……」
「私は構わないんだけど……ずっと病院に?」
「……私と一緒に、千佳ちゃんはずっと修に付き添っていてくれていたのよね」

 三雲君につきっきりだったのか……と驚いていると、なにやら察しのいい三雲君のお母さんがそのまま昔話をしてくれる。なんでも、千佳ちゃんのお兄さんが三雲君の家庭教師だったのだと。だから千佳ちゃんと三雲君は昔からの知り合いで、今日も千佳ちゃんと三雲君のお母さんの二人で病院に来たのだとか。
 そうして最後に、三雲君のお母さんが「でも」と話を切り出す。

「修も目が覚めたことだし、今日はもう帰りましょうか、千佳ちゃん」
「はい」
「私も帰ります。長居してしまってすみません」

 三雲君とお母さんとにそれぞれ頭を下げれば、三雲君のお母さんは「いいえ、お見舞いありがとう」と返してくれる。三雲君も「ありがとうございました」と頭を下げてくれ、恐縮しっぱなしだ。そうして各々が帰るという話になったからだろう、空閑君も――

「じゃあ、おれも帰るか」

 そう言って、当たり前のように私の手をするりと取る空閑君。

「ちょうど、和音ちゃんに用もあったし」

 そんなことをしれっと言ってのける空閑君に、動揺している私のほうが間違ってるのだろうか。空閑君が「またな」と言えば、三雲君は焦った様にしながらも「あぁ」と普段通りの声色で返事をしているし、千佳ちゃんも「またね」と言っている。つられて私も「それじゃあ……」と声をかけながらも空閑君に手を引っ張られて病室を後にした。

「く、空閑君?」
「ん? 今日は玉狛行かないのか?」

 呼び止めても、空閑君はあくまで手を繋いでいることには触れず、平然としているではないか。私はあたふたとしながらも「行くつもりはなかったけど……」と返すのがやっとだ。
 すると空閑君は「じゃあ、途中まで」と言ってゆるゆると歩き出した。もちろん、手は繋いだまま。病院からやっと出たあとも離されることなく、私は空閑君につられるように玉狛方向への道を寄り添って歩く。

「レプリカのことなんだけどさ」
「……え?」
「ちびレプリカが残ってるかぎり、あいつは死んでないってことらしい」

 あぁ、解析が終わっていたのか。空閑君の用事というのは、まだ未確定だったそのことを、私に伝えてくれようとしていたらしい。

「……それなら、よかった」

 今度は、やっと素直によかったと言うことができた。空閑君も「おう」と笑顔を返してくれて、ずいぶんと元気になったみたい。ひと安心だと息をついていると、今度はいたずらっぽく笑みを深めた空閑君が「だから」と続ける。

「和音ちゃんも、おれと特訓しようよ」
「……えぇ?」
「急いでA級目指さないとだからな」

 爛々と輝く瞳は、どことなくクラスメイトを彷彿とさせる。やっぱり空閑君も生き生きと戦うんだなぁ、と眩しいくらいだ。そんな空閑君に水を差すのは申し訳ないのだけど……。

「私じゃ、空閑君の練習相手は務まらないんじゃないかなぁ……」
「なんで? 前にオサムと訓練してたやつ、おれともやろうよ」
「……私がかわすだけ、のやつ?」
「おう。迅さんも小南先輩も、和音ちゃんは避けるの上手って言ってたぞ」

 言われて、私の脳裏を過ぎるのは二人に散々しごかれたときのことだ。個人ランク戦なら断れるけど、玉狛の訓練室ではちょくちょく使わせてもらうこともあるので、玉狛メンバーの後輩である空閑君に断るのも忍びない。

「…………時間があえば、ね……」
「大丈夫だぞ。夜はだいたい暇だから」

 生き生きとした空閑君に、まぁいいかと諦めることにする。私にも空閑君に協力できることがあるのなら嬉しいし、それが特訓だというならなおさら。はやく遠征部隊に選ばれるように、そしてレプリカを迎えにいけるように、頑張る空閑君を応援したい。
 そんな会話をしているうちに、あっという間に遠目ながら玉狛が見えてきた。すっかりと引き連れられてここまで来てしまった。堪え性のない足だなぁ、と思うも後の祭りだ。

「和音ちゃん、やっぱり玉狛に行くか?」
「……ううん、今日は帰る」
「なんで?」
「入院してた間の学校の課題もあるし、鬼怒田さんからも大規模侵攻でのブラックトリガーについて報告書を出せってせっつかれてるし……」

 うぅ、めんどくさい。めんどくさいけどやらないわけにもいかない。玉狛に行きたい気持ちはあっても、行ったら絶対どれもやらないのは目に見えてる。

「家じゃないとやらないから、帰る……!」
「ふむ、じゃあまた今度だな」

 残念そうに唇を尖らせる空閑君に、なるほど、これはさっそく訓練室に連れ込もうとしてたんじゃないかと察した。危ない。これで帰るための理由がウソだったら、きっと言いくるめられて訓練室に引きずり込まれていたところだ。
 するりと手が離される。途端に手のひらが冷えたような妙な感覚に寂しさを感じながらも、私は笑顔を空閑君に向ける。

「じゃあ、またね」
「おう、またな」

 空閑君はそう言って片手を挙げると、踝を返してそのまま玉狛の方向へ歩いていく。背中が遠ざかっていくのを見送るより先に、私も自宅への道へと足を踏み出した。
 あぁ、知らなかったな。一緒に玉狛に行けないのが、こんなに名残惜しいなんて。
 気づけば私は、とっくに初めての世界へと足を踏み出していたのかもしれない。手を引かれて踏み込んだ、その世界の中心には空閑君がいる。空閑君がいると嬉しくて、空閑君がいないと寂しくて、空閑君のことを想うと幸せな世界。

「……もう、敵わないなぁ……」

 ねぇ、だから。いつか"ホント"に言える、その日まで。

 ――好きだよ、空閑君。


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サヨナラの引力

 

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