伽藍堂へと背を向けて
 溢れ出した感情が、ひと欠片の言葉になって少女の口から零れ落ちる。

『……好き』

 この場には少女と少年しかいない。であれば、簡潔な告白は少女から少年に向けたもののはず。けれど少年は、そうと信じることができずに驚いて少女を見つめるばかり。
 だって少女はただ、呆けていただけだったから。まるで状況を理解していないかのように。告白したのは少女ではなかったかと、疑ってしまうほど。
 少年は聞き間違いではないかと、ためらいながらも口を開く。

『それは――』

 本当か。もしくは、どういう意味か。おそらく少年はそんなことを訊ねようとしたのだろう。けれど少年の声が耳に届くと、少女はようやく我に返る。
 気持ちが溢れてしまったのだと気づいた。自分が口にした言葉の意味、その重さに彼女は――

『ごめん!』

 後悔の表情に変わった少女は、逃げるように駆け出そうとする――ことが、できなかった。少年が反射的に少女の腕を引いたからだ。少女はどうすることもできなくなり、それでもと赤く染まった頬を隠そうと俯く。

『……、おれも』

 少年は一言、少女と同じように静かな言葉を落とした。意図するところは、同じ気持ちを持っているということ。
 気づいた少女はおそるおそる少年を見上げる。少年の揺らぐ瞳と赤く染まる頬。それが真実だと気づくと……少女の目尻から涙が溢れる。少年は少女の表情に安堵し、もう一度、今度は同じ言葉で胸の内を伝えるべく、口を開いた――

「……いいなぁ……」

 思わず感嘆の声がもれて安堵。余韻に浸ったまま、私は読んでいた本を脇へと置く。
 課題やら報告書から逃げるように手にとった本に、気づけば没頭してしまった。長く応援していた二人だからというのもあるが、おそらくは、前よりずっと自分事のように共感してしまうからだろう。
 だって、きっと幸せなんだと思うのだ。好きだと想う人に、好きだと想ってもらえることは。それが特別な好きなら、なおさら。

 ――じゃあ、私も?

 考えると胸がきゅうと切なくなって、わからなくなる。空閑君のことは……好き、だけど。
 だって空閑君は、私が勇気を出した昔話を初めて聞いてくれた人だ。そうしてブラックトリガーのこと、お母さんのことで心当たりがあるからと話をしてくれた人。それから……向こうの世界で生きた過去を、教えてくれた人。

「……友達、いや後輩かな……?」

 ボーダー隊員としては後輩だ。実際の年齢も、学年も下。でも戦闘経験は空閑君のほうが多いから、あんまり後輩という感じはしないかも。たぶん、空閑君も私のことを先輩だとか、年上だとかって意識してないだろうし。
 それに、目をかけている後輩と言えればいいけど、実際は逆だろう。ブラックトリガーのこともあって、空閑君に気にかけてもらっているのだと思う。だから、確認として手を――

「――あぁ〜、もう……!」

 思い出してしまえば頭が真っ白になってしまう。初めて手を繋いだときはなんともなかったし、帰り道に手を引かれたときだって平気だったのに。どうして今頃になって、思い出すと頭が熱くなって顔から火が出そうになっちゃうんだろう。
 今日だって、三雲君も千佳ちゃんも、三雲君のお母さんまでいたのに! 用事があるからって手を引く必要なんてないはず。空閑君はきっと特別な意味でそうしたわけじゃなくて、そうやって私を特訓に付き合わせようとしただけ。

 ――だから、空閑君が私を好きになってくれることなんて……。

 考えて、ぎゅうと胸が痛んだ。きっと物語の少女と少年にはハッピーエンドが待っている。紆余曲折あれど二人は試練を乗り越えて、より深く想い合うようになるんだろう。
 でも私と空閑君にそんな未来は訪れるはずもない。私が空閑君を好きだとしても……同じ気持ちを返してもらえるなんて思えない。

 ――それに、恋人ってなんだか、わからないし。

 友達でもなく、親友でもなく、後輩でも先輩でもない。恋人という関係には、なにがある? 気持ちが通じあうことに、どんな意味があるんだろうか。相手を想い、相手に想われることで、なにが変わるんだろう?
 なんだかなぁ、とためいきをひとつ。私にはまだ、わからないことばかりだ。特別に誰かを好きだと想う気持ちも、その行く先も。

「……だから、大丈夫かなぁ」

 ――空閑君が普通に好きなだけで、迷惑をかけなければ、それで。
 無理矢理に結論づけた頃、端末が震えた。どうやらメッセージを受信したらしい。確認すれば、差出人は小南だった。

『明日、忘れんじゃないわよ!』

 ふふ、と思わず笑ってしまう。ついこの間に約束を反故にしてしまったからか、念入りに連絡をくれたらしい。もちろん忘れてはいないので、たぷたぷと文字を打つ。

『大丈夫、楽しみにしてる』

 水曜日の放課後なら、いつもより時間があるよね。だからと、千佳ちゃんにも声をかけるねという栞に任せてセッティングされた女子会。一人ひとつお菓子を持ち寄ることを条件に、夕飯はちょっと軽めにしようと予定した日時は、もう明日に迫っている。

 ――明日、なんのお菓子を持っていこうかな。

 考えつつ、視界に入ったのは机の上に開きっぱなしの課題。あともう少しだし、終わったら報告書もいい加減仕上げないと。明後日には――初めて、ブラックトリガーを使った――防衛任務があるから、遅くとも明日には出せと言われているし。
 そうだ、私にだってやらなきゃいけないことがある。できるようになりたいことがある。だから。

「……頑張らないと」

 奮起して、ようやく気持ちを切り替える。机に向かって、まずは課題から。
 それが私の、最初の一歩。


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サヨナラの引力

 

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