恋バナから始まって、ボーダーの話題はもちろん学校の話題でも盛り上がりつくした女子会は、紆余曲折を経て夕飯へと落ち着いた。とはいってもお菓子も食べすぎてしまったし、サンドイッチを軽くつまむ程度。
さっくりと食べ終えて、さすがにお開きにしようと片付けに取り組んでいる最中だった。千佳ちゃんがお手洗いに席を外し、小南がレイジさんへと帰りの足の交渉に向かい、食堂に残されたのは私と栞の二人だけ。
「……ねぇ和音、さっきのことなんだけどさ」
蛇口から途切れることなく流れ続ける水の音に、かき消されてしまいそうな声。どうにか聞き取った私は「うん?」と相槌を打って続きを促す。さっきのこと、の中身を考えていると、栞は食器をスポンジで擦りながら、少しためらった後にゆったりと口を開いた。
「応援はしてもいいかな」
聞かれると同時に泡まみれの食器が差し出されて、返事もできずそれを受け取る。下手を打たないよう慎重に「……なんの?」と訊ねかえす。栞は一度部屋の入り口を見やって、誰も来ないことを確認したのだろう、続けられた言葉。
「……遊真くんのこと、さ」
思わず手先が緩んで、食器をシンクへと落としてしまった。運よく割れることも欠けることもなかったのは、よかったけれど。動揺してしまったことはバレてしまっただろうか。
たぶん、聞く前から栞は察していたんだろう。チームメイトの千佳ちゃんや、隠し事の苦手な小南がいないときに切り出すくらいには。私も慎重に、言葉を選びつつ栞に訊ねる。
「……応援なんて、どうして?」
「ねぇ、覚えてる? 昔、迅さんと付き合ってるのかって噂になったこと」
聞きかえされる声と同時に食器が渡されて、今度は相槌を返しつつもきちんと受け取れた。泡を流水で落としながら「そんなこともあったね」と頷く。
“いつでもおいで”と言われた私には、そのとおりに訪ねることができなかった。それでも迅さんは、特訓をしてからも私をちょくちょくと夕飯に誘い、玉狛に連れて帰ったものだ。それを茶化すような声も少なからずあった。
栞も懐かしむ様子で「あのときの和音はさ、」と言葉を続ける。
「なにそれ……って呆れてる感じだったんだけど」
「いや、まぁ、だって迅さんとそういう話にはならないし……」
「だから、遊真くんとは考えちゃうんだなーって思ってね」
ぎく、としたのは図星だからだろう。なにより、下心を指摘されたような居心地の悪さもある。私はうまい返しが思いつかず、黙ったまま食器を洗う作業を続けるだけだ。
栞は最後にシンクを軽く流しながら、小さな声で「うまくいくといいなって、思ってるよ」と呟いた。私がどういう返事をするのであれ、栞の意志は変わらないようだ。だって栞は、友達に好きな人がいるってなったら応援せずにはいられないだろうから。
「あのね、栞」
声をかけたのと、栞が蛇口を閉めたのはほぼ同時だった。途端に静まりかえる食堂で、私はおそるおそる栞へと声をかける。
「……私はまだ、よくわかってないから……気にしないで」
空閑君への気持ちはただ、好きなだけのもの。付き合うだとか、そういう先を見ているわけでもないのだから。
栞が「……そうなの?」と私をうかがう声色は心配そうなものだった。気を遣わせるつもりもなかったし、私は「それにほら、玉狛内でそういう話、迷惑になっちゃうから」と続ける。
そうだ、私が空閑君を好きだとなれば今日みたいに冷やかしを受けるかもしれない。それは空閑君にとっても迷惑な話だろう。
――でも、空閑君なら「いいよべつに」って軽く、それこそ興味もなく受けながしてしまえるんだろうか。それくらい、空閑君にとっては取るに足らないことで――
「うさみ、和音、終わったー?」
唐突に食堂の扉が大きく開き、小南の声が響きわたる。どうやら小南が交渉を追えて戻ってきたようだ。すっかり考え事も吹き飛んでしまって、私が「終わったよ」と返せば小南も「こっちも大丈夫」と満足気な笑み。お手洗いに行っていた千佳ちゃんも戻ってきて、再び四人が一堂に会した。
お茶会の片付けは終わった。各々帰り支度も済んでいるとなれば、幹事の栞はぱちんと両手を合わせてにっこりと笑顔。
「じゃあ、これで――」
「うお、なんだ?」
どき、と心臓が跳ねる。栞の言葉が、空閑君の驚いたような声に遮られた。
「遊真? 夕飯はもうないわよ?」
「それは大丈夫」
突然の登場にうろたえることもなく、空閑君に声をかけたのは小南だった。やはり師弟関係ゆえに慣れているからだろう。皆の気持ちを代弁するように「じゃあ、どうしたの?」とも訊ねてくれる。
空閑君いわく「チカの帰りを心配したオサムに頼まれた」とのこと。大規模侵攻のあととなれば千佳ちゃんの帰りが心配なのも当然だろう。しかし私達も、なにも考えず夕飯終わりまで女子会を満喫したわけでもない。
「だから、あたしたちも帰りはレイジさんに頼むことにしたのよ!」
びしり、と小南が示した先は空閑君の背後に立つレイジさん。現れてそうそうに「車の用意ならできてるぞ」と言うもので、空閑君も状況を把握したらしい。ひとつ頷くと「それは安心だ」と納得した様子。
そうなると空閑君はまた暇になるのかな……と、脳裏を過ぎったのをどうにか振り払う。いけない、また欲が出てしまいそう。堪えるためにも黙っていると、栞が「それならさ、」と話を切り出す。
「遊真くん、和音送ってってよ」
「おお?」
「――はい?」
思わず栞を凝視するけど、私の視線などどこ吹く風。栞は私に一瞥もくれることなく、空閑君に満面の笑みで事情を説明しはじめる。
理由は、私が明日の早朝から防衛任務のシフトに入ったからだ。後輩の千佳ちゃんから順にレイジさんに送っていってもらうと、どうしても私の帰宅時間が遅くなる。別に歩いて帰ってもよかったのだけど、小南には「あんたも危ないでしょ」と却下されていたのだ。まぁ、少しくらい帰りが遅くなっても安全に帰れるならと、私も納得していたのだけれど。
「遊真くんもいるなら安心だし、どうかな?」
「ふむ。暇だし、べつにいいよ」
空閑君がいるなら話は別らしく、空閑君の了承を見届けた栞は「じゃあ私たちは帰ろうか〜」と音頭を取った。小南、千佳ちゃんからレイジさんまで、ぞろぞろと食堂を出ていってしまう。
追いかけることもできず取り残されてしまった私。思わず空閑君を見つめるけど、当人は不思議そうに首を傾げてみせるだけ。
「どうした? 帰らないのか?」
「……ええと」
ここにきて一人でも帰れると突っぱねてしまうのも変だろう。普通ならば、暇とはいっても……と遠慮できるものの、私は空閑君が夜に時間を持てあます事情を知ってしまっている。
じわり、心の奥から滲んだ下心。だから、と言い訳ができるのなら選択肢はひとつだけだ。
「……お願いします」
「おぉ、任された」
にかりと笑う空閑君に安堵。廊下を指して「じゃあ、行こう」と言うので、頷いて後を追う。たん、たん、たんたん、とゆっくりとした足音を重ねつつ、玄関で靴を履き替えて外へ。
暗闇の向こうで、うっすらとレイジさんたちが歩いているのが見えた。堤防道路に停めてある車に向かっているのだろう皆を遠目から眺めていると――するり、自然な仕草で手が繋がれる。
「ほら、和音ちゃんはこっちだろ」
ゆるりと引かれて、導かれるように一歩足を踏み出す。そのまま二人、足音を重ねて帰り道を進む。
――やっぱり、遊真くんと付き合ってるんですか……?
千佳ちゃんに屈託のない瞳で問われた声が脳裏をよぎる。たぶん私も、目の前で男女が自然に手を繋いで一緒に帰る姿を見かけたら同じことを思うだろう。理由もなく手を繋ぐ関係は、やっぱり恋人が一番に浮かんでしまうから。
私達の"これ"は理由があるもの。手を繋げば大丈夫なんだろうと、空閑君の心配からくる行動のはず……だけど。
「空閑君は――」
どうして、手、繋いでくれたの? と、あのときのように問いかけることはできない。空閑君に気にかけてもらえることが嬉しい。だから"手を繋がなくても大丈夫"の言葉はウソになるかもしれない。嘘だと見抜いた空閑君はどう思うだろうかと考えると……怖くて。
零れそうになった心をどうにか飲み込んで、気を取りなおして口を開く。
「……普段の夜は、なにしてるの?」
「うーん? ……戦術の復習とか……?」
私の手には温かい空閑君の手が重なっていて、歩くのに合わせてゆらゆらと揺れる。その重みを咎めることなく、他愛ないやりとりをして意識を逸らす。
これは特別なことじゃない。空閑君にとっては意味のないことで、私にとってもそう。
ゆったりとした足取りで進む帰り道が、なるべく長く続いてほしい。そう考えてしまうほど、私はこの居心地の良さに甘えていて、空閑君の時間をもらえることを嬉しく思ってしまう。じっとりと纏わりつくような罪悪感を振り払うように、私は一歩一歩を踏みしめて進むのだった。