ここから始める、一歩目の
 防衛任務の開始時刻――より、三十分ほど早くに訪れた研究室。早朝から働く羽目になって申し訳ないのだが、鬼怒田さんは普段と変わらない様子で私へと書類を押し付ける。

「報告書を読んだがな……気になる点がいくつかある」

 突き返した書類のマーカーを引いてある箇所を指差しながら、鬼怒田さんはひとつひとつ質問していく。
 大規模侵攻の最中、ボーダーのトリガーが突然起動停止したときのこと。そのあと、ブラックトリガーが起動したときの状況。意識を失う前にどんなことがあったのかなど、情報をすり合わせて確認していく。
 ひととおり話を聞き終えたあとで、鬼怒田さんは大きなため息をついた。

「……医者から聞いた容態も合わせると、ともかく、換装体のまま機能停止する事態は避けたい」
「は、はい」
「前にも言ったとおり、今回の機能停止に至った原因がヒューズ機構なのだと仮定するが……」

 鬼怒田さんはガシガシと頭をかきながら、ため息交じりで話を続ける。

「本当にこれが『疑似トリオン器官』を目指したものだとすれば、欠陥品としか思えん」
「け、欠陥品、ですか」
「当たり前だ。少なくともこちらの意図どおりにトリオンが供給されないなんぞ、欠陥品以外に呼びようがない」

 私の持つイメージとはずいぶん食い違った感想だ。傑作だ、とか至宝だ、とか言われていたものが欠陥品だとは、どうしたものか。
 ――これもひとつの、私が知ろうとしなかったことなのだろうな、とぼんやり思う。

「まぁ、その話はまた今度だ。今日の防衛任務についてだが――」

 これまでも、奴らを探知した際にはブラックトリガーで迎撃していたが、使用そのものは短時間だった。大規模侵攻の時もそう。つまり防衛任務――原則、八時間に渡る――でブラックトリガーを使用することは、今までにない事例となる。

「トリオン量の推移は常にデータを取っておくが、おまえのほうでも気にかかることがあればすぐに報告するように」
「はい」
「些細なことでも構わん、普段と違うことは報告しろ。いいな」

 ずいぶんと念を押されたが、私自身も少し緊張しているので素直に頷く。鬼怒田さんは「よし、じゃあ行ってこい」と指示を出すので「了解」と返し、研究室を後にした。

「……で、調子はどうだ?」
「今のところは、特に……」

 のんびりと区域内を巡回しているうち、緊張が緩んできたのも自覚している。が、あまりに何事もなく、気疲れするよりはいいかと開き直った。
 迅さんが「こっちのほうかな〜」と向かう後を追い、現れた近界民を少しだけトリオン弾で足止めしてやれば、迅さんがサックリと処理してくれる。もともと迅さんは一人で任務を請けもっているし、私がいてもいなくても変わらない。
 だからだろう、迅さんは防衛任務の真っ只中であっても、緊張感なく日常会話を続けている。

「おまえのトリガー見てると、なんていうか、おまえに似合ってるよなぁ」
「え? そうですか?」
「うん。なんていうのかな……あんまり、撃ち抜こうっていう気がないんだよな」

 ……さて、これはどう受け取るべきか。似合っている、というのは褒め言葉のようだが……。

「でもそれ、相手によっては綺麗に当たるんだろうな、っていうのがわかる」
「……え、えぇ……?」
「無意識だったのか? まぁ、トリオン兵相手なら、狙う弾が撃てるみたいだから関係ないか」

 迅さんは私の戸惑いなどお構いなしだ。好きなように喋ったと思えば、ふいに「今度はあっちだ」なんて言って駆けはじめてしまう。
 ついていくしかない私だが、迅さんの背中に翻る青を眺めていると、ため息しか出てこない。迅さんはトリオン弾の特性を見抜いているのだろうか。当てる弾を撃つことはあれど、私が撃つのは“当たる”弾だというのを察しているような口ぶりだった。

「……迅さんって、私のブラックトリガーの性能とか、聞いてるんですか?」
「知らないよ。おれをなんだと思ってるの」
「いやぁ……」

 なんとなく疑い深くなってしまっていたようだ。迅さんは拗ねたように「さっきのは、ただのおれの感想」とだけ言って、また地を蹴る。
 自分のトリガーのことなのに、人に聞いてばかりというのも格好がつかないな、なんて。トリガーとはなにか、を知らない頃には鬼怒田さんに聞いてばかりだった。意識のない間のことは城戸司令から報告を聞いたり、トリガーの出自は空閑君とレプリカに聞いたり……と、そんなことばかり。

「……最初から、お母さんに訊ければよかったのかな」

 私に遺すより先にトリガーを持っていたお母さんに、トリガーについてもっと話を聞いていたら……と、いまさら考えても仕方ない。少なくとも中学生の頃の私が、話を聞いたからとトリガーで戦えたかと思えば……無理な相談だ。いまだって、戦闘能力のなさに落ち込んでばかりだというのに。
 そう沈みかけていた思考が、迅さんの呼び声でふっと浮上する。

「和音は、このあと学校に戻るのか?」

 迅さんは当たり前のように言うが、時間も時間だ。任務が終わって学校に行ったところで、六限に間に合うかどうか。もともと今日の日中が防衛任務で潰れると思っていたから、理由も添えて学校には連絡ずみ。

「……いえ、本部の食堂に寄ったら帰りますよ」

 ちょっと早いけど、夕飯としてなにか食べよう。そうしたら今日は、もう帰るだけでいいかな。
 なんとなくの予定を考えていると、迅さんは「そっか」と気のない相槌を打つ。なんでか引っかかって――今日は、玉狛に来いとは言わないのだな、なんて。いつも誘ってもらっている身で図々しいが、誘われないのは珍しい気すらしてしまう。
 まぁ、行ったところで気疲れしても仕方がないか。今日は防衛任務で頑張っているのだから、早めに帰って休もう、と気持ちを切り替え、引き続き防衛任務に取り組むことにした。

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サヨナラの引力

 

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