結局、最後まで鬼怒田さんに声をかけられることはなかった。私のほうでもあまり違和感なく、早朝から続いた防衛任務は何事もなく終了した。
予定どおり本部の食堂へ。昼食時をすっかり過ぎてしまったので、選べるメニューが少し減っているのが残念だ。とはいえ夕飯時のピークになる前に、さっさとご飯をすませてしまいたい。私は会計を終えた昼食のトレーを持って、隅の二人用テーブルへとつく。
「……あの人が……」
「……まだ、S級じゃない……」
「……っていうか、事故ってさ……」
ひそひそと聞こえる話し声、ちらちらと向けられる視線。どうやら訓練生たちの注目を集めているようだ。
たしかC級の不安を取り除くために、私が換装したまま機能停止したのは昇級に向けたトリガー調整中の事故だった、という話にしたんだったか。あながちウソではないもので、S級に昇級するかも……というのが、C級の興味を引いているらしい。
「……ランク戦……」
「……いや、部隊には……」
「……ソロって……」
……さすがに、あまりの居心地の悪さに味わう余裕もない。黙々と食べるしかないが、それすらも見られているような気さえしてくる。一挙手一投足に注目されているような視線の数々に胃が痛くなりそうだ。
「……水沢。向かい、いいでしょ」
どれほど直接的な噂話だと、考えていたら反応が遅れた。名前を呼ばれたからと顔を上げる前に、了承もなく向かいの席についたのは――緑川君だ。
「……え、あ、どうぞ」
「こんな時間に昼食べてんの? 迅さんは? さっきまで防衛任務一緒だったんでしょ」
「……まぁ、えっと……?」
怒涛の質問に答えあぐねていると、訓練生達が少しざわめいた。呼応するように緑川君が、ふいと視線を逸らして辺りを見回しはじめる。びくついたらしいC級の子達のひそひそ声が止み、わざとらしく顔を背けられたので視線も散った。
「……緑川君はどうしたの? なにか用事?」
「とりあえず、食べ終わるまで待つよ」
緑川君はそう言って頬杖をついたままだ。視線は変わらず辺りに向いていて、ちょっとだけホッとする。あまり待たせるわけにもいかないし、黙々と食事の続きを食べ進めるばかり。
しかし、どうしたのだろう、と違和感が募る。なんだか元気がないような……というか、覇気がないというか。迅さんと防衛任務なんてずるい! くらいの一言はあってもよさそうだけど。
「……調子悪いの?」
「……なんで……別に普通だけど」
心外だ、と言わんばかり睨まれてしまったので、私は声をかけることを諦めた。話せることもないので、ごはんを必死に胃袋に押し込んでいく。
ようやく食事を終え、両手を合わせて「ごちそうさま」と口にすれば、緑川君はすっと席を立った。そうして私が返却口に返そうとしていたトレーをさっと手に取ったと思えば、すたすたと歩きだしてしまう。
「え、み、緑川君……!」
「さっさと行くよ」
「どこに……?」
「話があるんだ、場所変える」
「は、はい……」
口を挟む間もなく誘導され、緑川君に連れられるまま返却口を経由して食堂をあとにする。背中に刺さる視線が痛いが、置いていかれるわけにもいかないし。
休憩スペースに着くやいなや、緑川君は足を止めた。そうして呆れたような表情で振り返ったかと思えば、自販機を指さして首を傾げてみせる。
「で、これくらいの見返りはいいでしょ?」
「……うん、ありがとね」
緑川君が来てくれたおかげで、針のむしろのような場所でも、どうにかごはんを食べられた。あまつさえ食堂から逃げ出すこともできたとなると、これくらいのお礼は当然だろう。素直にお金を自販機へといれれば、緑川君は――なぜか、大きなため息をつく。
「……ほんと、バカみたい」
「え、えぇ……?」
呆れるを通り越して、怒られているかのようだ。私が困惑している間にも、緑川君はしれっと自販機のボタンを押して、さっさとジュースを取り出してしまった。しっかりともらうあたりは、ちゃっかりしている。
さておき、緑川君は「まったくさぁ……」なんてぼやきつつも、なにとはなくスペースの隅へと足を向ける。私もおそるおそる後を追うと、横目がこちらに向いた。
「B級ソロのくせに迅さんに目をかけられてるの、むかついてたんだけどさ」
じとりと、緑川君のまなざしが品定めでもするかのようにまとわりついている。
「S級つながりだったわけ? それもズルくない?」
「ず、ずるいと言われても……」
自ら望んでブラックトリガーを得たわけでもなく、欲しがっていたわけでもない。それをずるいと言われたところで、なんと返せばいいのやら。
とはいえ緑川君が言いたいのは、ブラックトリガーを理由に迅さんに目をかけられていることがずるい、ということだろう。その繋がりだって偶然の産物なわけで、羨ましがられても、私にはどうしようもない。
困っていると、緑川君は突然「まぁ、でもさ」と声の調子を変える。
「B級ソロだったのは、そういう理由だったってことでしょ」
「……まぁ、そうだね」
「いろいろ口出しして悪かったよ。ま、知らなかったから仕方ないと思うけど」
拗ねた様子はそのまま、それでもけろりと――謝罪してくれた、らしい。一言付け足さなくてもいいのにとは思うが、迅さんを慕っている手前、そこまでしおらしくもなれないのだろう。
「ふふ、ありがとね」
「……そこはお礼言うところじゃなくない?」
事情を知らなかったのだから、緑川君が気に病む必要もないのに。それでも悪かった、と言ってくれるんだなぁと、嬉しい気持ちが湧いてくる。
いっぽうの緑川君は、さらにバツの悪そうな顔で「それで?」と話を変えてくる。
「いつS級になるわけ?」
「いや、なれないと思うんだけど……」
「なんで?」
「……うまく戦えるわけじゃないからね」
先の大規模侵攻ですら、肝心のところで戦えなくなっているのだ。ハッキリとは言わなかったものの、緑川君はC級に広がっている事故の話と合点がいったらしい。噛みしめるように「ふーん……」と唸っている。
「なら、しばらくはまだB級ソロのまんまってこと?」
「そうなると思うよ」
「じゃあ、まだオレのほうが先輩でいいね」
にぃ、と強気な笑み。学年は私のほうが上であっても、戦力という点では緑川君のほうが上。同じ学校というわけでもないのだから、ことボーダーにおいては自分が先輩だ、という話だろう。異論はないので「そうだねぇ」と相槌を打てば、緑川君は今度、頬を膨らませて不機嫌そうな顔だ。
「ちょっとは悔しがりなよ」
「え、いや、実際に強いのは緑川君だし……」
「張り合いないなー。それもさ、水沢がS級に上がっちゃったら、証明できなくなっちゃうじゃん」
「それは、まぁ……?」
もともと、個人ランク戦はほぼやらないと言ってもいいくらい。せいぜいが、私の訓練生時代を知っている人から見て、弱い人という印象があるかどうか。とはいえ、S級への昇級見込みがあるということで、それなりの実力を期待されてしまう一面もあるようで。
「だから今のうちに、オレが水沢の先輩として、しっかり指導してあげないとね」
――え、と口から漏れた戸惑いの声は、緑川君に聞こえなかったのだろうか。つらつらと演説でもするかのごとく、話が続いていく。
「ただでさえ『弱くて当然』みたいな顔してさ。そんなんだからC級に舐められるんだよ。あんたがそんなんじゃ、迅さんのコケンにも関わるわけ」
「えぇと……あの、でも……」
脳裏を過ったのは――昔、小南にも似たようなことを言われたな、ということ。迅さんとの特訓を見ていた小南に「あんた、そんなんで生き残れると思ってんの?」と言われ、迅さんとの特訓が終わってからは小南にビシバシしごかれた記憶が蘇る。
おかげさまで強い人に対しても怯むことはなくなったが、あくまで逃げられる、というだけ。緑川君のいう弱くて当然、という考えは少なからず、それらの経験の結果だとも思う。
「……緑川君はポジションも違うわけだし、指導はありがたいけど、勝手が違うこともあるんじゃない……?」
「そんなこと言ってる場合? オレが付き合ってあげる、って言ってるんだからいいでしょ」
いいのだろうか……と、困惑していると、ぼそぼそとした声で「それに」と続きが聞こえてきた。
「あんたが弱いと、A級になった迅さんまで弱いみたいに勘違いするやつが出てくるの、むかつく」
……と、悔しそうにも聞こえる声色で呟くのが聞こえた。なるほど、とひとりごちる。緑川君の関心はどこまでも“憧れの迅さん”にあるのだ。
ただでさえ散々にウワサされていた私が大規模侵攻でもやらかしているのに、S級昇級予定なんて話が出ている。対して迅さんはS級から降格したままとなれば、事情を知らない訓練生からの風評被害が独り歩きすることもあるだろう。それが緑川君にとっては我慢ならないことだというのなら……私も、腹を括ろうか。
「……私ね、戦う、って考えるのが苦手なの」
奮起している緑川君にそんなことを話すのが申し訳なくて、控えめな声で切り出す。緑川君は想定内とでも言いたげに「そうっぽい」なんて相槌を打った。そこに嫌悪感はなく、おずおず「だから……」と覚悟を決める。
「……面倒だと思うけど、付き合ってくれる?」
緑川君は仕方なしと言わんばかりの身振りで「しょうがないからね」と頷いてくれた。
ブラックトリガーを使う経験が足りない、以前の問題として私に戦闘経験が足りないのは事実だ。トリオン兵相手にはどうにかなるとしても、人間相手にはそうもいかない。だから、ブラックトリガーを扱えるようになるために、できることはたくさんあるはず。
私は改めて「よろしくお願いします」と緑川君に頭を下げたのだった。