翌朝、寝ぼけながらも朝ごはん、と伸ばした手が空を切る。
「……あれ、ない?」
手軽だからという言い訳で常備していたゼリー飲料を切らしていたようだ。まぁいっか、と朝食は早々に諦めることに。とはいえ、学校でおなかが鳴っちゃったら嫌だなぁ。行く途中でコンビニに寄っていこうか。ついでに夕飯も適当に……。
――と、考えて昨夜のことを思い出した。
「…………ほんとに、どうしよう」
いちおうは冷蔵庫を見るものの、たいしたものは残っていない。買い出しに行きたいが、玉狛にも寄ることを考えると……。
いや、今日は学校のあとで鬼怒田さんのところに顔を出せば用事は終わりだ。それなら本部の食堂に寄っていけばいいか。約束した手前、玉狛に顔を出さないというのも気まずいし。
「……うわ、時間」
視界の端で捉えた時刻は、そろそろ家を出る頃合いだ。私は急いで支度をすませ、約束していたファイルが鞄に入っていることを確認する。
「よし、じゃあ、行ってきます」
返事はない。それでも習慣になっている挨拶をすませ、私は急いで家を出た。もちろん、施錠することも忘れずに。
ボーダーに入る前からここに住みはじめて、そろそろ二年になる。後見人に後押しされてはじめた一人暮らしだったが、それなりには過ごせているはず。
ただ、食事をなおざりにしがちなもので、一年くらい前からたびたび玉狛にお世話になっている。昨日もお世話になったばかりだし、今日は顔を出すだけにしないと。さすがに連日玉狛にお邪魔するというのも、ちょっと気恥ずかしいし。
「水沢〜」
「……あ、おはよう、出水君」
ふいに名前を呼ばれ、振り返れば出水君が歩いてきた。昨夜に『明日は行くから』とメッセージを受信していたものの、顔を見ると改めて、遠征から帰ってきたんだなぁとほっとする。
「ほい、これ」
「え?」
「礼の菓子」
出水君は手に提げたコンビニ袋をそのまま私へと押しやる。約束していたことだし、素直に「ありがとう」と受け取れば「おう」とぶっきらぼうな返事。
「ノート、今いる?」
「いや、教室ついてからでいーや」
言うやいなや、くぁあ、と大きな欠伸。さすがに疲れてるのかな、と思っていると今度は「おーい」という声のあと、出水君の背中をぐんと小突いて隣へと並ぶ男子。
「米屋君、おはよう」
「はよ。珍しい組み合わせじゃん」
言われるとおり、クラスメイトとはいえ朝の登下校が一緒になることは稀だ。出水君と米屋君は一緒につるんでいるようだけど、そこに女子一人で混じるつもりもさらさらない。
他愛もない会話が続き、なんやかんやと教室までやってきた。あとは約束どおり出水君にノートを渡してそれっきり。ボーダー隊員、しかも精鋭A級部隊のメンバーたる二人と並ぶには肩身が狭い。
だというのに、生徒にとって長い一日の終わりを告げる終業の鐘が鳴り響いたあと、二人はまた私の元へやってくる。
「水沢〜、これ二人分ってマジ?」
おのおのが帰り支度をすませて、ぱらぱらと教室を後にする放課後の風景。私も例にもれず帰り支度をしていたのだが、背後から声をかけられて手を止める。
振り返って見れば、出水君に渡したはずのファイルを掲げる米屋君。ここしばらくの授業内容をまとめなおしたルーズリーフが挟んであるものだ。
「米屋君は、使うならコピー取ってくれればいいかなって」
「えぇ? こいつはいつもノートもらってるじゃん?」
そう米屋くんに指さされた出水君は、しれっとした顔で米屋君からファイルを取り返し、さっさとカバンにしまっている。自分のものだ、と言わんばかり。コピーさせてあげるつもりはないのだろうか、とはいえ……。
「米屋君、たいしてノート使わないでしょ……?」
「うわ、たしかに」
米屋君はケラケラと笑っているが、出水君はため息をついている。うん、冬休み明け最後のテストも心配だよね……。きっと隊長の三輪君からもカミナリが落ちると思うんだけど、男子同士のことなので放っておくとする。
まぁ別に、ノートを作らなかった理由は……手間がかかるから面倒だった、というのが本音なのだけど。出水君は遠征があるからと事前に頼まれていたのでいいとして、それに加えて急な任務につく米屋君に三度目のノートを作るのは、さすがに。
そんなことを考えていたら、帰り支度が終わったらしい出水君が「水沢は?」と声を上げる。
「今日も行くんじゃねーの?」
「え?」
「鬼怒田さんとこ」
話題が自分へと向けられて少し驚く。けど、今日も鬼怒田さんの所に顔を出さなければいけないのは事実。おずおず「そうだけど……」と返せば「早く行こうぜ」と。
「ほら、槍バカもおいてくぞ」
「なんだよ〜、今日は久々にバトろうぜって話じゃん?」
どうやら二人は個人ランク戦の約束をしているようで、米屋君もいよいよ鞄を肩にかけて準備万端といった様子だ。二人の視線を受けておずおずと私も鞄を持てば出水君が「そいえばさ〜」と話を続ける。
「緑川に、はやく部隊に入れって言われたんだって?」
「えっ?」
出水君と米屋君が歩きだしてしまうが、話題は私に振られたものだ。二人に私が混じるのは場違いのようだけど、後を追いつつ一緒に昇降口へ向かう。
「緑川君に会ったの?」
「まぁなー。B級ソロプレイヤーの語呂がいいから、とか意味わかんない! って文句言ってたぞ」
あの時は計測中だったこともあって、無理やり話を誤魔化しちゃったからなぁ。米屋君は「あいつ、対抗心燃やしてんだろ」なんて呟いている。
上履きから履き替えても話は続き、このままボーダーに行くような雰囲気になりそうだがいいのだろうか。ここまできて、わざわざ別行動というのも……と考えているうち、今度は米屋君から「だって水沢さー」と話が続く。
「迅さんの弟子ってマジ?」
「……なんかウワサになってるの?」
「いや? なんか話の流れで迅さんから聞いた。緑川も一緒に」
……迅さん、人気者っていう自覚があるのなら、もう少し話題と相手を選んでくれないだろうか。てっきりウワサを耳にした緑川君が迅さんに確認した流れかと思ったら、迅さんが自ら話題に上げていただなんて。
出水君はその時一緒にいなかったのか、興味深そうに「へー」と声を上げている。
「でも、なんで迅さん? おまえ、おれと同じだろ?」
「そうだけど、なんていうのかな……逃げ方を教わったっていうか……」
出水君が疑問に思うとおり、本来なら同じポジションだとか同じトリガーを使っているからこそ師事するはず。けれど私はバイパー使いだし、迅さんは元スコーピオン使いのS級。どう説明しようかとしどろもどろになっていると、米屋君もまた首を傾げている。
「それで迅さんって、どういうコネなんだ?」
コネ……と言われてしまうほど、迅さんって近寄りがたい人なんだろうか。まさか、お互いブラックトリガーを持っていた縁で、なんて言えるはずもない。
「うぅん……コネというか……なんだろうね……」
曖昧に言葉を濁すと、出水君が「ま、いろいろあるんだなー」と話を流してくれる。
最初の頃は人並みにいろいろと聞かれていた気がするけど、私が曖昧に誤魔化してばかりいるうちに、あまり聞かないでくれるようになった。ボーダー隊員だからと一般人に対して秘密にすることは多くあるが、隊員同士……しかもクラスメイト相手に隠し事というのは、どうしようもなく疚しさが募る。
「……緑川君、つまんなそうにしてたよ。相手してあげたら?」
「そうしてーけど、今日は防衛任務らしいからな〜」
話題を変えたことを気にすることなく、出水君は話を続けてくれる。申し訳ない反面、二人のこういうおおらかさに助けられている。だからこそ、気負わずに話していられるのだ。
「とりあえず弾バカ、練習相手になれよ」
「上等、蜂の巣にしてくれる」
二人の他愛のないやり取りを聞きながら、本部に到着して隊室に向かう二人に別れを告げる。残った私は、いつもどおり技術開発局へ。早く玉狛に行くためにも、さっさと計測を済ませようと足を急がせた。