朝起きて、端末に残る通知に目をやる。メッセージの送り主は出水君だ。
『前のテスト範囲、まだ持ってるか?』
米屋君を反面教師にしているのか、出水君はどちらかといえば真面目なほうらしい。この前まで遠征に行ってたこともあるし、早めに対策しておきたいということのようだ。
そうして、ぽつぽつとメッセージのやりとりをしている間に受信したメッセージが目に留まる。
『太刀川さんが、お礼にランク戦させてくんね〜かな、ってぼやいてた』
――私、大規模侵攻で太刀川さんに助けてもらったというのに、まだお礼をしていなかった。
記憶が確かなら……ブラックトリガーの機能障害で動けなくなってしまった私を、太刀川さんが本部に連れ帰ってくれたはず。鬼怒田さんに話を聞いたにもかかわらず、そのあとでまた倒れたり入院したり、てんやわんやのうちに記憶からすっかり抜け落ちていた。
『今日、隊室にお邪魔してもいい? 大規模侵攻のときのお礼してなかったし』
『ランク戦すんの?』
『それはしないけど……』
軽口を叩きつつ、とんとん拍子に話が進んでいく。結果として夕方には太刀川隊室にお邪魔する約束を取り付けて、ついでに手土産のリクエストも聞いた。キリのいいところで会話をスタンプで切り上げ、私はいよいよ活動を開始することにした。
§
「おーい、水沢、こっち」
太刀川隊の隊室に向かう道すがら、これから会うはずの出水君に呼び止められた。買い物帰りらしく手にジュースを持っていて、これから隊室に戻るところのようだ。
「お、鹿のやじゃん。ラッキー」
「リクエストしたのは出水君でしょ」
「いや、マジで買ってきてくれると思わなかった」
私の手にぶら下がった紙袋に気づくあたり目ざとい。ついこの間も三輪隊に渡したばかりだが、お礼なんだから奮発してもいいだろう。手土産に人気だから、被りは仕方ないということにしておく。
出水君は「じゃー行こーぜ」と言って先陣を切る。隊室が集まっている区画はあまり行く機会がないので、一人じゃないのは安心だ。他愛のない話をしつつも歩いていると、だんだんと辺りに人が少なくなってきた。それを狙いすましたかのように、出水君が「それでさ」と世間話を続ける。
「小耳に挟んだんだけど、緑川と付き合ってるってマジ?」
「……嘘でしょ?」
「なにがだよ。米屋っていう話も聞いたけど」
「ウワサでしょ……信じたの?」
「いや? でも、マジだったらおもしれーじゃん」
出水君は平然としているが、ウワサされているほうは堪ったもんじゃないんだけど……。しかし、相手が米屋君の可能性までウワサされているのは驚きだ。注目されていると、ちょっとしたことでも憶測を呼ぶのだろうか。
「つうか緑川に聞いたら『なんでそんな話になってるの!?』って文句言ってたしな。米屋は米屋で『すげー、オレも候補になったのか』っておもしろがってたけど」
「……出水君も候補になるかもよ」
「なんでだよ」
「緑川君はともかく米屋君は、この前一緒に本部に来たくらいしか心当たりないもん」
「まじか、なんでもありだな」
そのとおり、と肩を落とす。まさか、一緒にランク戦したからとウワサされたわけでもないだろうし。とはいえ、学校帰りに一緒になっただけのことでも付き合ってると疑われるのは困ったものだ。
出水君は「ま、聞かれたら否定しとくわ」と言ってくれたので「お願いします」とだけ返しておく。さすがに、今日こうして太刀川隊に行くだけでウワサになってほしくはないが、注目を浴びている今はなにが火種になってもおかしくはないのだし。
そんな会話の間に、気づけば太刀川隊隊室についていたらしい。出水君はなんの前フリもなく扉を開く。
「戻りましたー」
「おかえりー」
ゲームの真っ最中らしい国近先輩が間延びした声で出水君を出迎えるので、おずおず「お邪魔します」と声をかける。気付いたらしい国近先輩は「あれ?」とゲームを止めて、こちらを振り返った。ぱちり、目が合うやいなや国近先輩はパタパタとやってくる。
「えーと、水沢ちゃんだったっけ?」
「はい。お疲れ様です」
「いらっしゃーい」
とろんとした瞳はとても優しくて、出水君の鋭い猫目とは対照的だ。にこにこ笑顔で挨拶してくれる国近先輩の雰囲気につられてほわほわしていると、出水君が「あれ?」と不思議そうに声をあげる。
「柚宇さん、太刀川さんは?」
「えっとね〜、うしろにいるよ〜」
うしろ? と思った瞬間、両肩をがしりと捕まれる衝撃。思わず「ひっ」と引きつった声を上げるけど、目の前の国近先輩は笑顔のままだ。平然とした「太刀川さん、おかえり〜」と間延びした挨拶が、私の背後へと向けられている。
こわごわ振り返れば、獲物を見つけたと言わんばかりの太刀川さんの笑顔があった。
「よーう腹黒チビ。待たせたな」
「お、おつかれさま、です」
一気に背筋が冷えた。蛇に睨まれた蛙とはまさにこのこと。固まっていたら、出水君が「とりあえず、中に入ろうぜ」と助け舟を出してくれた。おかげで、太刀川さんの両手が渋々といった様子で肩から離れていく。
いったん解放されて安堵するものの、太刀川さんが隣をすり抜ける気配にすらどぎまぎしてしまう。出水君に促されるままに中へと通されて、国近先輩に勧められるままソファへ。少し距離をとりつつも隣に座ってくれた出水君を心の支えにして、向かいにどっかりと座る太刀川さんにおそるおそる手土産を差し出した。
「あの、遅くなりましたが、大規模侵攻の時はありがとうございました」
「……なんだっけ?」
「えぇと、動けない私を抱えて、本部に連れて帰ってくださったと聞いてます……」
太刀川さんは顎髭を撫でながら思い出している様子だったが、少しして「あぁ、あれか」と合点がいったらしい。遠慮なく受け取ってくれて、目の前で豪快に包装を破る様を見て、ひと安心。
「入院したって聞いたけど、もう大丈夫なのか?」
「はい。様子見のためってだけでしたから」
そんな会話の後ろで国近先輩が「どうぞ〜」とお茶を出してくれる。太刀川さんは当然のようにお茶をひと口飲み、さっそく開けたどら焼きにかぶりつきはじめた。隣の出水君もいつの間にか食べ始めていて「やっぱうまいなー」と満足げ。A級一位はこんなにマイペースなのかと眺めながら私もひと口お茶をいただく。
まどろんだ空気に油断していると、唐突に太刀川さんの視線がぎらついた。
「さて、ひと息ついたら戦るか」
「……はい?」
「準備運動もしてきたしな。迅とも訓練してるんだろ? もちろん、俺とも戦るよな」
それは疑問ではなく断定だ。慌てて「む、無理です!」と止めれば、太刀川さんの眉間にぎゅうとシワが寄る。急いで「城戸司令から、隊員相手に使うのは禁止されています!」と最高権力者の名前を出すと、太刀川さんは不思議そうに首を傾げた。
「迅はいいのか?」
「迅さんには防衛任務のフォローをしてもらってるんです。訓練っていうのは近界民相手の防衛任務のことで、太刀川さんが考えてるのとは違いますから」
必死で説明を重ねれば、太刀川さんはようやく理解してくれたようだ。小さく「ちっ、つまんねぇ」と愚痴っていたのは聞かなかったことにして。とりあえずは危機回避できたと息をつく。
いっぽう、出水君は「今そんなことしてんの?」と不思議そうにしている。私が「練習しないと、わからないことばっかりだからね」と返事をすれば、出水君は「そっか」と笑ってくれた。
出水君、病院でのこと覚えてるかな。それでも今は太刀川さんを刺激しないように、手合わせしよう、という話はしないでいてくれますように。