ドッペルゲンガーと影踏み遊び
 会話は今日からランク戦シーズンだと話題がうつり、太刀川隊も準備があるだろうと早めにおいとますることに。見送りを受けて足早に隊室を後にすれば、人気のない通路を通って帰るだけ。
 ――の、はずだったのだけど。

「……水沢か?」
「え……?」

 急に名前を呼ばれて、反射で足を止める。誰かと振り返って、思わず首を傾げてしまった。

「……か、風間さん……?」
「どうかしたのか」
「あ、いえ、太刀川隊にお邪魔して、帰るところでして……」

 普段は滅多に会話をしない相手なだけに、なんとなく肩に力が入ってしまう。悪いことはしていないのだが、静かな表情でこちらを見る赤い瞳はなにかを探っているようで、どぎまぎするばかり。
 風間さんは「そうか」と相槌を打つが、じぃっとこちらを見つめたままだ。なにか言わなきゃいけないことがあっただろうかと必死で考えていると、風間さんは「少しいいか」と話を続ける。急いでいるわけではないので「大丈夫です」と答えると――目の前で急に、頭が下げられた。

「大規模侵攻では、迷惑をかけた。すまない」
「え、は、はい!?」

 想像もしていなかった謝罪を受けて、何事かと驚いてしまう。すっと頭を上げた風間さんが説明してくれることには、つまるところ大規模侵攻で本部を襲撃した黒い角つきは、風間隊が仕留めそこねた敵だったと。そういえばあのとき、レプリカが風間さんから戦闘データをもらっていたような、と記憶を手繰り寄せる。

「……えぇと、でも、謝られるようなことは……!」
「入院したんだろう。木崎に聞いた」
「え? ……あ、それはまったく別件で、角つきとは関係ないので……!」

 なるほど、誤解が重なって謝罪されているのか。慌てて否定すれば風間さんは不審そうに「そうか」と頷くが、納得していないのだろう。間をおいて「だが、」と話を続ける。

「水沢が迎撃していなければ、非戦闘員により被害が出ていただろう」
「……それは、たまたまですし……」
「だが、対応したのはおまえだ。助かった。礼を言う」

 今度はお礼までされてしまった。あまり否定するばかりでも失礼だし、囮になったことも戦果だというのは二級戦功で認められている。だから私は、おずおずと「それは……よかったです」と受け入れることにした。
 風間さんは頭を下げた私を見届けて「それじゃあ」と話を切り上げた。自然と「おつかれさまです」と口にしていたのだが、風間さんも「ああ」と応えてくれて、去っていく背中を見送って息をつく。
 ……なんだか、突然のことでまだ心臓が落ち着かない。それでも気持ちは晴れ晴れとしている。

「……こちらこそ、ありがとうございました」

 言い損ねてしまった言葉を小さく呟いた。今度は、きちんと言えるといいのだけれど。
 さてと足早にその場を去りつつ考える。今日から始まるランク戦、三雲隊の初戦は夜からだと空閑君が言っていた。やっぱり、お世話になっている玉狛の後輩たちの試合だし興味はある。もう本部に来ているのだから、食堂で早めの夕食をとってしまおうか。そうして三雲隊のランク戦を見届けて帰ろう。
 そう決めて食堂へと足を向けたのだが……どうやら失敗だったらしい。


「……あの人……」

 ささやき声ですらギクリとしてしまう。たまたまタイミングが重なってしまっただけ、気にしすぎだろう。そう思いたくても、メニューを決めて列に並び注文し、会計を終えて席を探す頃にはちらちらと、こちらを気にする視線が向けられているように見える。

「……そうじゃない?……」
「…………ひとり……」
「……彼氏って……」

 ついさっき出水君から、米屋君まで候補に上がってると聞いたばかりだ。ウワサしている大半は訓練生のようだし、彼氏がうんぬん、というのはさすがに、私のことじゃないかと勘ぐっても仕方がないだろう。
 訓練生達も、ランク戦前に夕食を摂るために食堂に集まっているのだろうか。席に余裕があるわけでもないので、私は渋々と空いている席を見つけて腰を下ろす。本当は隅のほうが良かったけれど、この混雑状況では贅沢も言えない。急いで食べて、どこか時間つぶしをできる場所を見つけなければ。
 すると近くの訓練生だろうか、「っていうかさ」という声が聞こえてきた。

「緑川に勝った訓練生いるじゃん」
「あぁ、あの白い悪魔でしょ?」

 世間話だからだろうか、声量に遠慮がないため耳に届いてしまう。会話を盗み聞きするようで心苦しいのだが、一度聞こえてしまうと意識がそちらにいってしまって、嫌でも会話が頭に入ってきてしまう。

「そーそー、このまえも特級戦功取ってたじゃん」
「ただものじゃないよねー。なんだっけ、名前」
「クガだよ、空閑」

 空閑と名前を呼ぶときだけ、ひそめられた声。けれど意識していたからか、しっかり聞き取れてしまった。
 空閑君、やっぱり訓練生の間では有名らしい。緑川君に勝ったというのは個人ランク戦でもしたのだろうか。通り名が白い悪魔とは、なかなか恐れられている様子。そりゃあランク戦ロビーでも訓練生から距離を取られたり、避けられたりするはずだと、気を抜いていたのも束の間。

「そっちが本命らしいよ、眠り姫の彼氏」

 ――ドキ、と心臓が跳ねる。空閑君が、誰かの彼氏? そうウワサされるような女の子がいる、ということ?
 話が盛り上がっているからか、訓練生たちは声をひそめるのも忘れてしまっているようだ。難なく聞き取れる会話の続きを固唾をのんで待つばかり。

「えー、本当? なんか皆が違う人の話するし、信じられなーい」
「今度は本当だって! だって眠り姫と白い悪魔が手を繋いでたって聞いたもん」

 空閑君が手を繋いで歩くような女の子がいる、というのは本当なのだろうか。けれど緑川君や米屋君と付き合っているのでは? というウワサだって、付き合っていることは嘘でも根拠としている事実はあったはず。空閑君の場合は手を繋いでいたというのなら、信憑性は少なからずある。
 これ以上聞きたくないような、それでも知りたいような気持ちで夕食を摂る手が止まりつつあったのだが……。

「でも、眠り姫って太刀川さん……? にも抱えられてたじゃん」
「あれは大規模侵攻の時でしょ。動けなくなった眠り姫を連れてかえるのに、仕方なくって感じだし」

 ……いまさらだが、この眠り姫というのは誰を指しているのだろうか。なんだか雲行きが怪しくなってきた気がする。

「ウワサによると、緑川ともう一人……誰だっけ……? の前で、堂々と手を繋いでたって話だよ」
「えー、王子様じゃん! 眠り姫の騎士ってこと!?」
「王子か騎士かどっちかにしなよ」
「はー、やっぱS級候補ってチヤホヤされるのかなー。うらやましい〜」

 ……待って、待ってほしい。とても嫌な予感がする。S級候補、って私の知る限りで思い当たる人がいないんだけど。……私を除いて。
 結局、聞こえていた訓練生達の話題はそのまま流れてしまい、眠り姫とやらの真相は謎のままだ。気持ちを落ち着けようと残りの夕飯に手をつけるが、心臓がまだバクバクとしていて、とても味わう余裕などない。必死で飲み込みつつ、せめて少しでも冷静になろうと聞いたばかりの情報を整理する。
 彼氏なのでは、と疑われている人が複数人いる。大規模侵攻のとき、太刀川さんに抱えられている。空閑君と手を繋いでいるのを見られている。S級候補とされている。

「……ごちそうさまでした」

 静かに手を合わせて、席を立つ。食器を返却口へと戻し、私は足早に食堂を後にする。
 もし……もし、あの訓練生たちのウワサとやらが、どれも事実に基づくものだとしたら? 多少の誇張はあるかもしれないが、それでも、該当するのに私以外がいるのだろうか。こんなに条件が一致する人が、私以外にもう一人?

「…………帰ろ……」

 もし、あの眠り姫という呼称が私のことを示す隠語なのだとしたら。このあとのランク戦を見に行くと、彼氏の応援に来てたんじゃない? なんてウワサを補強することになってしまう。これから遠征部隊を目指していく三雲隊……ひいては空閑君を、そんな面倒なウワサに巻き込むわけにもいかないだろう。
 だというのに、私はちょっとだけ安心してしまったのだ。付き合っているんじゃないかと勘ぐるような相手が、私だったことに。

「……最低」

 はぁ、とため息をひとつ。誤解されちゃったら困るでしょ、なんて昔の私はよく言ったものだ。今では、私と誤解されてることが嬉しい、なんて下心ばかりなのに。
 ようやく本部を出れば、薄暗くなった空の下、冬の風が容赦なく吹き付けてくる。まるで責められているようで、私は罰を受けるかのように一人で帰路についたのだった。

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サヨナラの引力

 

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