朝日よ急いで沈んでしまえ
 空閑君の手を引きながら本部内を進み、連絡通路へと向かう。しばらくは人も来ないだろう。なにせ、ボーダー本部の人達にとって始業時間はまだ先だ。
 ……と、ならば空閑君はどうするんだったか。

「……空閑君、今日も学校行くの?」

 訊ねれば、空閑君は「うん」と返事をする。そうか、防衛任務の後でも学校に行くのか。空閑君は眠らなくても大丈夫だからなのだろうな。夜は暇だと言っている空閑君だが、正隊員になったことで防衛任務という選択肢ができたことは、きっといいことだ。
 ……そうなると、夜の暇つぶし相手としてもお役ごめんだろうか、なんて。

「和音ちゃんは、学校行くのか?」

 空閑君からの問いかけが、ゆっくりと頭の中に染みていくようだ。理解して、私は首を横に振る。

「……んーん、今日はお休みって伝えてある」
「へぇ」

 そうだ、今日はこのまま帰って眠るだけ。防衛任務だけでなく、トリガーの不調とまで言われてあれこれあったのだ、もう疲れてしまったし。
 気づけば連絡通路も抜けて外へと出た。朝焼けの中、淡々と足を進めていく。
 薄暗い道は玉狛からの帰り道とよく似ている。違うのは、本部からの道という景色だけ。それでも隣に空閑君がいて、手を繋ぐ“いつものこと”に安堵する。

――あぁ、こんなんじゃダメなのに。

 空閑君には、私がどう見えているんだろう。なにもできないばかりでなく、嫉妬したり、付き合ってもいないくせに手を繋がれることに甘えたりする私。やっぱり、ダメなやつって思ってるのかな。だから、気を遣ってくれているんだろうか。
 気の利いた話題ひとつ見つけられず、空閑君のほうを見ることもできないまま時間は過ぎていく。どうしよう、と思いはじめたころ、ふいに空閑君の呟きが落ちた。

「朝だな」

 反射で「うん」と頷きながらも、すっかりと明るくなった町並みを見てはっとする。辺りの景色が思っていたものと違う。これは、私が帰る道の途中じゃないか。

「……空閑君、学校って言ってたよね」
「うん」
「…………ごめんなさい。道、間違えちゃった」

 学校に行くなら、一度玉狛に戻るだろうか。少し遠回りになるが、空閑君は時間も迫っていることだし、はやく戻らないと。
 けれど、くいと手を引かれて足を止める。空閑君は驚いた様子もなく私を見ていた。

「和音ちゃん家であってるよ」
「……え?」
「行こう」

 今度は空閑君に手を引かれて、そのまま家への道を歩く。空閑君は私の家に送っていってくれるつもりだったらしい。なんとなく道もわかっているのだろうか、淡々と進むあとをついて歩く。

――ほんと、嫌になるくらいダメだな、私。

 呆れてしまってものも言えない。こういうのを厄日って言うんだろうか。やることなすこと、すべてが裏目に出ているかのよう。いや、ダメな私がなにをやっても、ダメな結果にしかならないのだろう。

「……ごめんね。道案内くらいしかできなかったのに……」

 なんとなく、空閑君が私をうかがうような気配を感じる。なにか言葉を返されるのが怖くて、慌てて「えっと、だから」と言葉を続けた。

「ほかになにか……私にできることがあったら、教えてね」

 急がなければ、空閑君だって学校に間に合わなくなっちゃうかもしれないのに。また私が足を引っ張るのはごめんだと、そう言って話を切り上げる。
 だというのに空閑君は急に足を止めてしまった。どうしたんだろうか。妙な緊張もあって、早く行こうよ、と急かしてしまおうかと思ったのだけど――空閑君がふすりと笑う声が漏れ聞こえた。

「変なこと言うんだな」
「……え……?」

 思わず顔を上げてしまって、見えた空閑君は優しく微笑んでいた。どうして、と疑問に思うと同時に、空閑君は口を開く。

「こうして一緒にいてくれるのは、和音ちゃんくらいなのに」

――それは、どういう?

「ほら、行こう。疲れてるなら、早く帰って休んだほうがいいだろ」

 空閑君がゆるりと、でもしっかりと手を引くので、引っ張られるままに足を踏み出す。空閑君が学校に遅れないように、ではなく、私が早く帰って休めるように手を引いてくれる。
 ――どうして。もう、好きになりたくないのに。焦がれてしまう。

「…………疲れてる、のかな」

 空閑君のことを好きだと思う自分に、空閑君に幻滅されたくないと思う自分に、……なにもできない自分に、振り回されることに。
 もちろん、空閑君はそんなこと知りもしないだろう。防衛任務のことだと思ったのか、空閑君は笑っている。

「違うのか? 眠そうだけど」
「……そうかも」

 どことなく頭が回り切っていない気がするのは疲れてるからなのかな。太陽の光を浴びてしまって、逆に目が冴えてしまっているような気もするのに。けれど恋しくて情けなくて空閑君のことを見ていられないから、自然と伏し目がちになってしまう様子が眠そうに見えるのかもしれない。

「ほら、和音ちゃん。着いたぞ」

 言われて、見上げればたしかに家の前だった。空閑君はすっかり私の家を覚えたのだろう。それが嬉しくて、同時に浅ましい自分が嫌になる。
 するり、空閑君の手が離れていく。さみしい、だなんて本当にダメだな、私。

「じゃあ、またな」
「……うん、ありがとう」

 空閑君が手を振るから振りかえし、学校に向かうのだろう背中を見送る。どうか、空閑君が遅刻しませんように。
 重い体を引きずって家へと入り、そういえば今って何時なんだろう、と気になって端末を取り出す。表示されたのは、メッセージの受信通知だった。いまさらだが、本部でなにか通知音が鳴っていた理由はこれだったようだ。送信元は烏丸君。

『今晩、オムライスにしますよ』

 簡潔なメッセージだが、暗に夕飯を食べに来ないかというお誘いだ。この時刻のメッセージということは新聞配達のバイト前後だろうか。非番だからとバイトを詰めて、さらには今晩のメニューまで考えていたのかも。
 本当に、みんながみんなご飯の話をするのだから困ってしまう。けれど、烏丸君のオムライスとなると、ついつい欲が出てしまって。

『ぜひ、お邪魔させてください』

 メッセージを送って、ひと息つく。遮光カーテンをひけば部屋も薄暗くなり、あとは眠くなるのを待つばかり。
 後片付けをして、寝る支度をしている間に再び通知音が鳴り響く。

『待ってます』

 ふふ、と思わず笑ってしまう。烏丸君のオムライス、楽しみだなぁ。
 だんだんと気が抜けてきたのか瞼が重くなってきたので、手早くスタンプで返事をする。さて、寝ようかと布団にもぐり、まだ冷たい布団の中で丸まりながら目を閉じる。

「……なんで空閑君には、うまくできないんだろ」

 ぐるぐると、頭の中で繰り返す今日のこと。嫌なこと、つらいことばかり。
 けれど思い出しているうちに、ふっと空閑君が「こうして一緒にいてくれるのは、和音ちゃんくらいだ」と微笑んでくれた顔が脳裏をよぎる。嬉しくて、ちょっとだけ心が楽になると同時に泣きたくなった。
 空閑君の言うそんな人が、私だけならいい。空閑君にとっての特別な女の子が、私ならいいのに。そんな図々しいことを考えているうちに、意識がふっと眠りに落ちたのだった。


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サヨナラの引力

 

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