ここが二人の分水嶺

「――結局、昨日のはなんだったんだ?」

 藪から棒に問われて面食らうも、少し考えて「……防衛任務の話ですか?」と訊けば迅さんは頷く。淹れてもらったお茶をすすりつつ、なんて説明すればいいのやら……としばし考える。

「……鬼怒田さんが言うには、トリオン供給がうまくいってないんですって」
「へぇ……どうりで」
「迅さんも、おかしいのに気づいてたんですか?」
「まぁ、当たってるのに当たってない……みたいな、変な弾だなってさ」

 やはり戦闘に関しては迅さんのほうが慣れているからか、あの段階でかなり正確な状態がわかっていたようだ。だから迅さんは“なんか変じゃない?”と言っていたのかと納得する。

「おれ、次の防衛任務が金曜の午後の予定なんだけど」
「あ、そうなんですか」
「うん。鬼怒田さんには、最初だけ和音の面倒見てやってくれって頼まれてる」

 はて、どういうことかと首を傾げると、迅さんは「なんか、仮説の検証がしたいって言ってたよ」と。鬼怒田さんにはトリオン供給がうまくいかない原因に予想がついているのだろうか。

「和音が大丈夫なら、おれから伝えとくけど」
「大丈夫です。またよろしくお願いします」

 しばらくトリガーの使用は禁止とのことだったが、思いの外早く解禁となりそうでほっとする。さすがに、何日もトリガーを使えない、防衛任務という訓練ができない、とはもどかしい。
 そんな会話をしているうちに、食堂の扉が静かに開いた。誰だろうか、二人で視線をやれば、現れたのは空閑君だった。

「おー、遊真、おかえり」
「ただいま」

 おかしいな、と思ったのはどうしてだろう。たぶん、静かすぎる感じがしたからだ。ゆっくり、慎重に開かれた扉が妙に感じたのだ。
 けれど空閑君は普段と変わりなく、気のせいだろうかと結論づける。いっぽうで、迅さんもまたいつも通り軽い調子で「遊真」と声をかけている。

「屋上に暇つぶし行くなら、和音も貸すけど」
「……貸すってなんですか……」
「おまえも暇だろ。実力派エリートは四六時中忙しいんだって」

 軽口を叩いている迅さんを軽く睨むものの、当人はどこ吹く風だ。暇とは言うが、別に夕飯を食べてとっとと帰ってもよかったものを、お茶にしようって誘ったのはそっちのくせに。

「どうだ?」

 空閑君からの返事がなく、迅さんがもう一度声をかける。空閑君は私達をじいっと見たあとで、ゆっくりと口を開く。

「……和音ちゃんがいいなら」

 またしても違和感。なんでだろう、空閑君がちょっと、元気がないような?
 小南となにかあったのだろうか……と思うが、喧嘩したわけでもあるまいし。三雲君が根を詰めていたように、空閑君も一緒に頑張っていたから、今日は少し気が抜けたのだろうか。

「私は大丈夫だよ」
「よーし、じゃあおれは部屋に戻るか」

 私達の暇つぶしが決まるやいなや、迅さんはさっさとお茶を持って立ち上がる。そのまま「じゃ、おやすみ〜」なんて言って、あっけなく食堂を出ていってしまった。
 私もまた、ちょうど残り少なくなったお茶を飲み干して立ち上がる。屋上に行くなら温かい飲み物は必須だろう。そう思って台所へと行き、空閑君へ声をかけようとしたのだが……。

「おれはいいよ」
「……そう?」
「うん。……先に行ってるぞ」

 そういって背中を見せる空閑君に、背筋がすっと冷えたような気がした。空閑君はそのまま屋上への階段へと向かってしまう。なんだか嫌な予感がして、私は自分のマグカップを手早く流すと慌てて流しを後にする。
 階段へと足をかけようとして……ためらう。空閑君のたんたんと軽快な足音はいつもどおりだ。けれど、さっきの嫌な感覚の名残で心臓がどくどくと忙しない。なぜだか、怖い。それでも、今を逃したら勇気が出なくなってしまいそうで、私は考えないようにしながら足に力をこめる。必死で屋上へと後をついていき――

「――さむ……っ」

 緊張していたからだろうか、ぴゅうと吹き付ける冷たい風に反射で首をすくめてしまう。じゃり、と靴が鳴らす音が聞こえて、顔を上げれば空閑君がじっとこちらを見ていた。
 怖いほどに静かな時間だった。空閑君はただ黙って私を眺めている。その表情からはなんの感情もうかがえず、いったいなにを考えているのか見当もつかない。

「空閑君……あの、どうかした?」

 沈黙が居た堪れないし、なにより空閑君の様子がいつもと違うような気がする。おそるおそる声をかけてみるも、空閑君の瞳は揺らがない。真っ直ぐなまなざしが少し怖いと思っていると、いよいよ空閑君がゆっくりと口を開いた。

「おれ、今日本部に行ったんだ」

 話の切り出しは些細なことだ。私が「そうなの」と相槌を打つと、たんたんと話が続けられる。いわく、新しいトリガーを探しに本部に行って、緑川君に会ったのだと。無事に新しいトリガーのことも教えてもらったと、そこまでは日常の話に聞こえたのだが……。

「……そのあと、ミドリカワに呼ばれてな」
「……うん?」
「どうやら――」

 ――私は、どうしてその可能性を想像していなかったのだろうかと、悔いても遅い。

「和音ちゃんとおれが付き合ってる、ってウワサされてるらしい」

 ハッキリと口にされて、肩が震えるのを堪えきれなかった。やっとの思いで「そう、……なんだ」と返すが、心臓がまた忙しく鳴っている。あぁ、だから空閑君の様子が変だったのか。内心で怒っているのだろうか。だから、こんな風に……と思うと、私にできることはもはや、ひとつだけだ。

「……ごめんなさい」
「いや、おれは構わないんだが……和音ちゃんが困るだろうと思って」
「…………私?」

 構わない、と告げる空閑君の声はどこか冷たい。どうして私が困るのだろうか、と理解できないままでいると、空閑君は自然に口を開く。

「好きなやつに誤解されたら、困るんだろ?」

 ――空閑君は、誤解してるの?
 私にそう返せるはずもなく、言葉に詰まっている間にも空閑君は「前に、そう言ってたじゃん」と話す。そう、だからあの日の空閑君は、私に“誤解してないならいい”と言った。
 どうして私は同じように返せなかったんだろう。だって……私の好きな人が誰かということが、わかってしまうんじゃないだろうか。私にとっては告白と大差ない言葉だからと言い淀んでいると、空閑君はとんでもないことを口にする。

「……迅さんとは付き合わないのか?」
「…………迅、さん?」

 どうして今、迅さんの話が出るのだろう。驚いてしまって、名前を繰り返すのがやっとだ。空閑君の考えてることがわからない。けれど、どう訊いたらいいのかもわからない。

「――いやまぁ、無理には聞かないけど」

 ついさっき、烏丸君からも「ちょっとした言葉遣いでわかりやすい」と言われたばかりなのだ。誤解を生まないようにと言葉を探すものの、空閑君は待ってくれない。
 けれど黙っていたら、空閑君の中で話が終わってしまう。そんなこと看過できるわけもなくて、私は必死の思いで声を絞り出す。

「……どうして、そんなこと聞くの?」

 たしかめながら、なんとなく勘付いてもいた。空閑君は困っているのだろう。そんな気がない私と付き合ってるだなんて誤解されて、囃し立てられるなんて迷惑でしかない。さらには、傍目に見て私と迅さんと恋路を邪魔しているかのように勘違いされてしまうなら、なおさら。

「好きなら、そう言えばいいのにって思っただけだよ」

 ――収まるところに収まってしまえ、と言いたいだけなのだ。空閑君にとって、私が迅さんを好きかもしれないという話は、それだけのことだから。
 泣きたくなってしまった。私じゃ空閑君の目には留まらないのかなって、そんなのいまさらだ。私がダメなこと、今朝散々に思い知ったばかり。ダメな私を気にかけてくれているのは空閑君の同情心からだというのに自惚れていた。

「……そっか」

 きっと、最初の間違いは私が曖昧にしてしまったことだ。手を繋げるのが嬉しくて、あらぬ誤解を招いてしまう可能性を知っていたのに、なあなあにしてしまった。だから、次から次へと曖昧なものが積み重なって、今にいたるのだろう。
 ならばせめて、終わりくらいは綺麗にできるだろうか。深呼吸をひとつ。覚悟を決めて、口を開く。

「…………じゃあ、聞いてくれる?」

 目の奥が熱いまま、それでも必死で絞り出した声は震えていた。ダメだ。泣いてしまうのは、まだ我慢しなければ。ただでさえウワサに巻き込んで迷惑をかけているのに、泣いたらもっと空閑君を困らせることになってしまう。だから私が堪えられているうちに、と必死で言葉を続ける。

「……付き合ってるなんて誤解されちゃって、空閑君も困るよね。……ごめんなさい。だけど、空閑君には……誤解されたく、なくて」

 いよいよ堪えきれなかった涙がひと粒、目尻から溢れて落ちる。もう空閑君の顔なんて見られないし、どんな風に見られているかもわからない。けれど、それでよかったのだろう。私に幻滅しているだろう顔を見ずにすんだのだから。

「……私は……空閑君が好き、だから」

 知らなかったな。好きって口にすることが、こんなに苦しくて痛いだなんて。もっと幸せな気持ちで口にする言葉だと思っていたのに、現実ってこんなものなんだ。
 わけもわからず、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。あぁもう、ダメだと思っていたのに、結局最後まで我慢しきれなくて情けない。

「本当にごめんね。明日はランク戦なのに、また迷惑かけちゃって」

 みっともなく声が震えるのがわかってもどうしようもない。自嘲しか浮かばず、あまりに涙が止まらないものだから、なりふり構わず涙を拭って最後――深呼吸をひとつ。最後の勇気を振り絞って顔を上げる。

「――もう、手を繋いじゃ、ダメだよ」

 うまく笑えていただろうか。たしかに残る達成感は、どうしてこんなに虚しいんだろう。

「ごめんね。明日のランク戦も、頑張ってね」

 早くいなくなってしまいたくて、私はすぐに空閑君へと背を向ける。屋上を後にし、階段を駆け下りて、夜の帰り道を一人で逃げ帰った。今日はきっと、人生で最悪の日だ。それもきっと自業自得なのだろうけど。
 とはいえ、空閑君まで巻き込んでしまうなんて。ここ数日頑張って作戦を立てていた、その集大成が明日に控えている大事なときなのに。けれど、こうして終わらせられたのだから、もう空閑君を悩ませるものはランク戦だけだろうか。そうであってほしい。
 ――こんなに消えちゃいたいくらい悲しいのは、私だけだから、もういいのだ。


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