夜空をくるりと混ぜ込んで
 結局、暇をもてあまして病院で過ごし、オサムが早い夕飯を食べるのと合わせてコンビニで買ったご飯を食べれば、時間はあっという間に過ぎていった。見舞い客はもう帰りなさいと言われたので、おれはオサムとの約束を果たすべく玉狛へと向かう。
 レプリカもいないので、なかなか退屈なのだが仕方がない。あと、方角がわかっても道がわからないときがあるのも面倒だ。

「……つまらんなぁ」

 帰り道、見上げた空は真っ暗闇だ。ちかちかと瞬く星を眺めて、今夜にまた想いを馳せる。
 これまでずっと一緒にいたのだ、おれに戦術を説く声なんて聞かなくても繰り返せる。それでも、レプリカがいない生活というのは考えたこともなかったので、いざ過ごしてみるとやけに静かで、落ち着かないのだ。
 だからこそ、今日はチカを送るという任務があってよかった。少しはつまらない時間が減ると、期待しながら玉狛支部へ。夕飯も終わっただろうかと、食堂へ上がれば――ぱちん、と誰かが手を鳴らす音。

「うお、なんだ?」
「遊真?」

 驚いていると、小南先輩が「夕飯はもうないわよ?」と声をあげる。もうすませてあるので「それは大丈夫」と言えば、じゃあどうしたのかと。小南先輩は不思議そうにはしているものの、休むつもりはないのかと言わんばかりなので誤解だと説明しようとして――

 ――あれ、和音ちゃんもいたのかと、おれを見る姿が目に留まる。

 さておき、オサムがチカを心配していたからと言えば、みんなが納得したらしい。さらには、レイジさんに送ってってもらうとのことで、同じく食堂にやってきていたレイジさんが「車の用意ならできてるぞ」と声をあげる。なるほど、早く安全に移動できる乗り物があるなら、おれはお役ごめんだろう。

「……それは安心だ」

 だが、せっかくの任務がなくなってしまった。こうなると、今日の夜は長くなりそうだな。さっそく屋上で時間を潰そうかと考えていると、しおりちゃんが「遊真くん」とおれを呼ぶ。

「和音、送ってってよ」
「おお?」

 降ってわいた新たな任務に驚いていると、しおりちゃんが説明をしてくれる。
 本当なら和音ちゃんは、できるなら早く帰りたいらしい。なんでも、明日は朝早くから防衛任務につく予定だと。だが、レイジさんの車でチカから順番に家を回っていると、和音ちゃんの帰りが遅くなってしまう。とはいえ和音ちゃんを一人で帰らせるのも危ないから、仕方ないという話になっていたのだとか。

「遊真くんもいるなら安心だし、どうかな?」
「ふむ。暇だし、べつにいいよ」

 おれとしても、暇がつぶせるのならありがたい。だからと頷けば、しおりちゃんは満足気に頷いた。そうして「じゃあ私たちは帰ろうか〜」とこなみ先輩とチカを連れて、レイジさんとともに玄関へと下りていく背中を見送る。
 しかし、和音ちゃんだけが食堂にぽつんと立ったままだ。話の流れについていけなかったのか、困った様におれを見る和音ちゃんに、おれも首を傾げる。

「どうした? 帰らないのか?」
「……ええと」

 困ったように眉を下げる和音ちゃん。渋るような声に、もしかしたら少しだけ屋上での暇つぶしに付き合ってくれるのかな、と期待しつつ。少しして、和音ちゃんはふんわりと笑う。

「お願いします」
「……おう、任された」

 ちょっと残念、と思ったけど仕方がない。明日が早いから、帰ろうとしているわけだし。
 切り替えて「じゃあ、行こう」と先導して玄関へ向かう。外に出て、和音ちゃんも靴を履き替えただろうかと振り返れば、ぼうっと遠くを眺めている。視線の先はレイジさんたちだろうか、呆けている和音ちゃんの手をとる。

「ほら、和音ちゃんはこっちだろ」

 和音ちゃんの手が驚いたようにぴくりと震えて、少しすれば、やわらかく握り返してくる。レプリカが言っていたことには、こうしていれば和音ちゃんのブラックトリガーも大丈夫だろうと。

 ――だからといって、されるがままの和音ちゃんも、どうかと思うが。

 連れていくように引けば、和音ちゃんはゆっくりと歩き出す。初めて手を引いたときは“どうして”と理由を訊かれたのに、今の和音ちゃんはもう、なにも言わない。だからおれも、なにも言わない。

「空閑君は――」

 一瞬、息を詰めるが、きっと和音ちゃんは気づかないのだろう。

「――普段の夜は、なにしてるの?」

 変わらない速さで歩き続ける和音ちゃんの表情は穏やかで、この問いかけにも意味はない。だからおれも、気負うことなく「戦術の復習とか……?」と返事をする。
 手を繋ぐことを、もう一度"だめだよ"と言われたら、止めようとは思っていたのだ。和音ちゃんの言うとおり、女の子と手を繋ぐということは気恥ずかしいものだし、誰かに見られて冷やかされたいわけでもないから。……それでも。

「偉いね。夜の間も、ずっと訓練してるんだ」

 甘くのんびりとした声、穏やかな笑顔、温かいまなざし。すぐ隣にある心地よさに、自然と目を細めてしまう。

「和音ちゃん、おかーさんみたいだな」
「……ふふ、そうかな」

 笑えば、和音ちゃんもとろんと笑う。見ているおれまで、なにかがとろけてしまいそうな、やわらかい笑顔だ。
 きっと、こうして二人で歩いているところを見るやつが見れば"デート"とやらに見えるんだろう。おれと和音ちゃんは付き合ってるのだと思っても不思議ではない。それくらい自然に、和音ちゃんはおれの手に引かれて、他愛もない話で笑っている。

「空閑君が送ってくれるおかげで、明日は寝坊しないですみそうだよ」

 和音ちゃんは笑顔のまま「ありがとう」と言う。何度目かわからないほど、和音ちゃんはことあるごとに"ありがとう"を言うのだ。たった、これくらいのことで。

「うむ、おれも暇がつぶせてよかった」
「戦術の復習は大丈夫?」
「へいきだよ。夜は長いからな」

 だから、こうして和音ちゃんと過ごす時間があるのだ。お礼を言われるほどのことはしてない。むしろ、おれにだって得があることだし、お礼なんていいのに。
 耳をくすぐる「ありがとう」が心地よくて、嬉しいと思う。

「明日ね、初めてブラックトリガーで防衛任務なんだ」
「……ほう? そんなにやばいやつが来るのか?」

 ブラックトリガーで防衛にあたるとは、またヤバイ話だろうか。思わず警戒してしまったが、和音ちゃんはきょとんとしている。少ししておれの言いたいことがわかったようで、慌てて「ち、違うよ!」と否定した。

「私がブラックトリガーに慣れるため……だけど、人を相手にするのはまだ、なにが起こるかわからないから……」
「ふぅむ、なるほど……」

 こっちの世界では負けても死なない仕組みが作られているくらい、いざという時への備えがしっかりしている。ベイルアウトもそう。負けても捕虜になることがない仕組みは便利だし、だから戦いやすいというのはあるだろう。
 それでも、なにかあったら困るから、和音ちゃんはトリオン兵相手にブラックトリガーの訓練をするらしい。怖がりだなぁと眺めていれば、和音ちゃんは困った様に笑う。

「私にも、ブラックトリガーがうまく使えるようになると……いいんだけどね」
「なんで?」

 使えていないわけではないだろう、と思ったから訊いたんだが、和音ちゃんには違う意味に聞こえたらしい。少しだけ唸ったあとで、和音ちゃんはおずおずと口を開く。

「……お母さんが望んだように、守る力として使えるようになりたいから、かな」

 耳の奥で、親父がおれに言い聞かせた声がまた聞こえてくる。

「――親父にも言われたよ。自分のことは自分で守れって」
「そうなの?」
「いろいろ方法はあると思うけど……和音ちゃんがブラックトリガーを使えるようになれば、母さんも安心かもしれないな」

 和音ちゃんと話していると、よく親父のことを思い出す気がする。親父がおれを鍛えていたのは身を守れるようにするためだろうし、和音ちゃんの母さんも、自分が遺したブラックトリガーで和音ちゃんを守れるのなら喜ぶんじゃないか。
 そう自然と口から出た言葉は、和音ちゃんにはどう聞こえたんだろう。さみしそうに目を細めて、それから悲しそうに笑う。

「……そうだと、いいな」

 ウソではない。母さんが安心してくれるならいい、とは思っているのだろう。でも、そのわりには変な顔で笑うのが、なんとなく気になる。
 ふっと和音ちゃんの視線が遠くへ向かう。追って見れば、なるほど、もう和音ちゃんの家が目の前だ。和音ちゃんを送っていくことが増えて、だいぶ景色も覚えてきた。だから――いつもと同じように――和音ちゃんが気にするより先にするりと手を抜き去る。

「じゃ、任務完了だ」
「……うん、ありがとう」

 和音ちゃんはまた、ふんわりと笑う。そうして「ばいばい」と小さく手を振られたので、手を挙げて応えてから背中を向けた。少しして和音ちゃんも家に入るのだろう、小さな足音が聞こえて遠くなっていく。

 ――空閑が……付き合ったりすることを、止めるつもりはないからな。

 オサムの言葉を思い出す。もし、おれが和音ちゃんと付き合っていたら、こんな帰り道が当たり前になるんだろうか。

「……付き合ってなくても、手は繋げるのにな」

 手のひらをぐっぱと握っては開いて、感覚を確かめる。手に力を込めても、からっぽを掴むだけ。繋いだ手の温かさを思い出すのが難しいのは、身体の感覚が鈍いトリオン体だからなんだろうか。
 退屈な夜、ほんの少しあたたかくなるような時間をくれる和音ちゃんの手を引いていられるなら、なんでもいいか。おれはまた、長い夜を過ごすために玉狛への道を戻った。


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