流れ流れてゆく先は

「そうだ、これ」

 無事に和音ちゃんが座ったところで、いよいよこいつの出番だろう。おれが持っていても仕方がないし、と差し出せば和音ちゃんが受け取ろうとするので――邪魔にならないように――繋いでいた手を離す。
 和音ちゃんはいそいそと毛布を広げて、最後には「そっち、空閑君も」と声をかけてきた。寒いのは和音ちゃんだろうに、当たり前のようにおれに分けようとする様子に笑ってしまう。

「おれはいいよ」

 トリオン体なのだから、凍えることもない。だからと断れば、和音ちゃんはわかっているのかいないのか、素直に自分にブランケットをかけて息をつく。
 同時に、足元の川を見てしまったのだろうか。高さに驚いたように体が揺らめいて、支えようとする手が出かかった。けれど伸ばすより先に和音ちゃんの手が、すぐ隣にあったおれの腕を掴む。反射だと、わかっていても思わず笑ってしまって。

「危なっかしいな」
「……ごめん」

 申し訳なさそうな声に、おれは掴まれていた腕の先、手のひらを「ほい」と見せる。和音ちゃんは掴んでいた腕をおずおずと離し、それからしっかりと手を繋ぎなおしたので――本当に、困ったものだ。
 和音ちゃんは素直なのだと思う。手を差し伸べれば、当たり前にその手をとってしまうほど。
 もしかしたら、おれのことを子どもだと思っているんじゃないだろうか。初めて会ったときも、まるで迷子の子どもを連れていこうとするかのようだったし。おれが十五歳と知ってからも、早く寝たらどうか、なんてお節介を言うくらいだ。
 眺めていると、隣からおずおずと様子をうかがう眼差しが向けられる。

「……みんな、こうやって座るの?」

 オサムや迅さんを思い出しながらも「おれは見たことないな」と答えた。和音ちゃんはがっかりしたように「危ないもんね……」とうなだれる。
 別に、そこまで怖いことではない気がするが、かといって生身でおれと同じように座るのも抵抗があるのだろう。恥ずかしがるようなことでもないのにと思うが、普段が妙に大人っぽく振る舞うだけに恥じらいのほうが勝つのだろうか。さすがに、からかいすぎただろうかと気持ちを改める。

「ひとりのときは、やめたほうがいいぞ」
「ひとりじゃ怖くて座れないよ……」

 肩を落とす和音ちゃんに、思わず笑ってしまいながら「ま、夜なら暇してるから、大丈夫だよ」とフォローをいれる。夜は暇な時間が長いから、暇つぶしに付き合ってもらえるなら、おれもラッキーだし。
 和音ちゃんは、ほっとしたように「ありがとう」と笑う。けれど、すぐにあたふたと忙しいんじゃないか、というようなことを聞いてくるのでいなしつつ。

「そういえば、このまえの防衛任務はどうだったんだ?」

 ブラックトリガーの訓練だとかで、和音ちゃんはずいぶん不安そうだった。話を聞いてみようと切り出せば、和音ちゃんは少し首を傾げつつ「うーん……」と唸っている。

「……特になにも……?」
「ほう、よかったじゃん」

 なにかあったら困る、らしいし、なにもなかったのなら上出来なのだろう。和音ちゃんは少しだけ困ったような顔で「ありがとう」と笑う。

「早く、ひとりでも防衛任務できるようになるといいんだけどね」
「……誰かと一緒だったのか?」

 はて、防衛任務とはどういうものだったか。何人かでやるものだったのかと、記憶を辿ろうとして――

「迅さんだよ」

 当たり前のように告げられた名前に、なんでだろうか、違和感を覚えて口を閉じる。
 和音ちゃんは変わらない様子で「ブラックトリガーを知ってて、一人でひと区画請け負える人、あんまりいないしね」と笑っている。おれはまだ正隊員になったばかりだし、防衛任務の詳しいことは知らないが……と、考えているうちに和音ちゃんは「それに」と話を続ける。

「いざという時、迅さんなら安心だから」

 ――和音ちゃんは、迅さんを信頼しているのだ。それは悪いことじゃない、むしろ良いことだというのに、胸の奥が引っかかれるようでむかっとする。
 悟られないように、おれは「そうか」とだけ相槌を打った。ぽつり、ぽつりと続く会話の流れに身を任せていれば、穏やかな夜の時間は過ぎていくばかり。
 ふいに、和音ちゃんが「あのさ」と話題を変えた。

「……お茶、おかわり淹れてきてもいい?」

 断る理由もないので「おう」と返す。和音ちゃんはゆっくり戻ろうとしているが、動きはなんだかぎこちない。そっちは足がつくだろうに、それでも怖いのだろうか。おれは繋いだ手をしっかりと握って、なにがあっても大丈夫なようにと警戒していたのだが――。

「――あっ!」

 和音ちゃんの指先から、毛布がすり抜けて飛んでいく。掴みそこねたらしいそれは、風にあおられて川上のほうに舞い、落ちた。見下ろした和音ちゃんは「ど、どうしよう」と慌てている。
 暗くて見えづらいが、毛布は川に落ちて、ゆらゆらとこちらに流れてきている。借り物だし、そのまま放っておくのもまずそうだが、のんきに下へおりるのも時間が惜しい。

「大丈夫だよ」

 屋上に足をつけている和音ちゃんは、もう大丈夫だろう。手を離して、さっさと屋上から飛び降りた。
 一瞬の浮遊感のあとで、ざぶんと水に落ちる。それほど浅くはないが、深くもない。流れてくる毛布をしっかりと掴めば回収完了だ。屋上を見上げれば和音ちゃんが見下ろしている様子だったので、手を振って無事だと伝えながらも川べりへ向かう。
 さて、支部に戻りたいが、さすがにこのままではマズいだろう。ポタポタと落ちる水をどうにかしようと毛布やら服やらの水を絞っていると、少しして、和音ちゃんと迅さんがやってきた。

「おーい遊真、大丈夫かー」
「うむ、大丈夫」

 ぼたぼた、と足元にできた水たまりを見下ろして、迅さんは「派手に濡れたなぁ」なんて呆れ顔だ。ずぶ濡れの様子を見て「これじゃ足りないか〜」と手元のタオルを持て余している。

「まったく……別にそこまでしなくてよかったのに」
「うぅむ……借り物だし、ゴミにしたらまずいだろ」

 さて、あちこち絞ったが、さすがにこれ以上は着たままだと難しいだろうか。とはいえ、和音ちゃんがいる手前、服を脱ぐのも……と考えて気づく。そういえば、ここに来てから和音ちゃんはひと言も喋っていない。

「……和音ちゃん?」

 呼べば、うつむいたままの和音ちゃんの肩がびくりと震えた。どうしたのか、大丈夫だろうかと声をかけるより先に、微かな声が響いた。

「…………ごめんなさい」

 想像とはまったく違う、重く沈んだ声色で告げられた謝罪の言葉に驚いた。そんなに謝るようなことではないだろうと口を挟みたくなったものの、まるで遮るように迅さんが和音ちゃんの頭をぽん、と撫でる。

「遊真も大丈夫って言ってるだろー? 大丈夫だって、なあ?」
「……うん」

 大丈夫なのは間違いない。けれど、一瞬ぞわりと嫌な感覚がしたので、少し返事が遅れてしまった。
 和音ちゃんはうつむいたままで、辺りが暗いものだから表情がわからない。どうしたものかと見ていると、防衛任務帰りらしいレイジさんがやってきた。おれたちの様子に「なんだ?」と不思議そうにしている。

「ほら、和音。レイジさんも帰ってきたし、おまえも帰りな」
「……はい」
「遊真は風呂だなー」
「りょーかい」

 そのまま目が合うことなく、和音ちゃんはレイジさんの車で帰っていった。
 おれはといえば、迅さんに世話されつつ、やっとの思いで風呂場へやってきた。川の水に全身浸かったものだから、しっかりとお湯で洗い流せとの指示に従って、念入りにシャワーを浴びる。
 そう手持ち無沙汰な間、脳裏を過ぎるのは珍しい和音ちゃんの姿だった。

「……ありがとう、じゃないんだな」

 和音ちゃんは、ちょっとしたことでもお礼を言うくらいだから、今回だって“ありがとう”だと思っていたのだ。それでいて、“でも、そこまでしなくても大丈夫だよ”って、迅さんみたいに言うんだと思っていた。
 なにより、迅さんとの様子が気にかかる。屋上に行く前も、さっきも、迅さんはとても自然に和音ちゃんの頭を撫でていた。和音ちゃんも抵抗する様子はなく、それはきっと、いつもおれが手を取ってもなにも言わないのと同じことで……。

「……いや、そんな資格はおれにないな」

 頭を振れば、注ぎ落とされた水がバシャバシャと跳ねてしまった。さて、さっさと汚れを流してしまおうと気持ちを切り替える。
 そうすればきっと、こんな気持ちも流れて消えてしまうだろうから。


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