「……うぅむ……」
本部へとやってきて、和音ちゃんはどこだろうかと途方に暮れる。
まだ朝も早いので来ている人も少ないようだ。そうなると通りがかる人もなく、あてもないまま和音ちゃんを探し歩いていたら、いよいよ道に迷ってしまった。まぁ、行けるところなら行ってもいいだろうと判断して、黙々と進んでいく。
不意に、聞き覚えのある音が聞こえてきた。よく先輩たちが鳴らしているような、連絡が来るときの音。かすかなそれを頼りに進めば、ようやく。
「和音ちゃん。よかった、見つかった」
会えた、と安心して声をかけたのだが……違和感を覚えて様子をうかがう。ゆっくりとこちらを向いた和音ちゃんはぼうっとしていて、疲れているにしても変だ。ぼんやりとした様子で「……空閑君?」とゆるり、首を傾げるので笑顔を返す。
「いやー、迷った迷った。よく知らんが、トリガーの調子が悪いんだろ? おれも防衛任務が早く終わるから、様子を見にいってくれと迅さんに頼まれたんだが……」
和音ちゃんの視線はこちらに向いているのだが、どうにも聞こえているのかどうか手応えがない。いつもだったら、ちょっとした表情の変化があるのだが……今は顔色ひとつ変えず、ぼうっとしている。
それでも、唇がゆっくりと動いたので、注意深く観察して待つ。
「……迷ったの?」
「うむ。人もいないから道も聞けんし、あぶないところだった」
いつもの和音ちゃんなら、困ったように笑ってくれるような気がしていたのだけど。おそらくは微笑んでいるつもりなのだろう表情で、和音ちゃんはゆっくりと話し出す。
「……しばらくは、トリガー使うのは禁止って言われちゃった」
「ほう」
「今は、それだけ。大丈夫だから、迅さんに伝えて?」
どことなく、放っておいてほしいというような壁を感じて迷う。どうしたものかと首をひねってしまうが、和音ちゃんはぼうっとしたままだ。あげく不思議そうに首をかしげているので、率直に訊いてみることにする。
「帰らないのか?」
唇がうっすらと開いて、けれど動かなくなってしまった。なにも言わないのはどうしてだろうか。見たことのない和音ちゃんの姿からは感情が読めず、判断に迷う。
――とはいえ。
「和音ちゃんがいないと、帰り道がわからん」
そう言って手を差し出せば、和音ちゃんの瞳に生気が戻ってきた。ふっと吹き出すような息の音と同時に表情が崩れて、次に見えたのは穏やかな笑顔。
「……いこっか」
和音ちゃんがおれの手をとったので、ゆるく握って待つ。和音ちゃんは、重い身体をやっとの思いで、と言わんばかりに立ち上がった。
帰り方がわからなかったので、おれは和音ちゃんが向かう先についていく。まだ調子がよくないのか、どことなくゆっくりな足取りで進むのは危なっかしい。間違って手をひいて引き止めてしまわないよう、慎重についていく。
「……空閑君、今日も学校行くの?」
ふいに話題を振られて驚くが、聞かれているのはありきたりなことだ。素直に「うん」とうなずくと、ひと息おいて和音ちゃんの「そっか」が返ってくる。
「和音ちゃんは、学校行くのか?」
「……んーん、今日はお休みって伝えてある」
「へぇ」
ボーダー隊員は休みを融通されるもので、たしかオサムも防衛任務のために“特別早退”だとか言われていたな。和音ちゃんも、つまりは“特別休み”ということか。こなみ先輩が心配していたが、帰って眠れるなら大丈夫だろう。
ゆったりとした足取りと弾まない会話の影響で、ずいぶん時間がかかったような気がする。それでもようやく、連絡通路を抜けて外へと出た。朝日が照らし始めた町並みの中、和音ちゃんは――おそらく、無意識に――家の方向へと歩いていってるようだ。
――ぼうっと見る景色が、いつかの夕焼けと重なった。
手を貸せと言われて素直に聞く和音ちゃんは、相手を疑うことをあまりしないらしい。おそらく、本人が悪意という感情に縁遠いもので、相手に悪意があることを思いつきもしないのだろう。
けれど、おれを見上げておずおずと訊ねる和音ちゃんの瞳は、怖がっているかのように震えていた気がする。
「どうして、手、繋いでくれたの?」
たとえばオサムは、自分に対する悪意に鈍いようだ。だってオサムは“自分のやるべきこと”のために動く。オサムにとっては悪意があってもなくても関係ないから、あまり気にしないのだろう。
けど、和音ちゃんはそうじゃない。和音ちゃんの芯になにがあるのかはわからないが、悪意を持たれることが……たぶん、怖いのだろう。だから妙なところで一歩引くというのに、あのときだけは違ったのだ。
「――丸いおっちゃんに呼ばれてたろ。大丈夫だったのか?」
「……丸いおっちゃん……?」
話を逸らしても、和音ちゃんはおれの言うことを理解しようとしてくれる。ぽつり、ぽつりと浮かんだ順に説明を足して、最後に「よくわからんが、こうしたら楽になるんだろ?」と言えば――和音ちゃんは、ふんわりと笑うのだ。
「……心配してくれて、ありがとう」
きっと和音ちゃんは、おれが心配したから手を繋いだのだ、と考えたのだろう。もちろん、ウソではない。――だが、それだけでもない。
そうと気づいていないはずなのに、和音ちゃんは諭すように笑う。人前では手を繋がなくても大丈夫だ、でなければ誤解されるかもしれないし、そうなったら困るだろうと。
おれが、誰を好きだと、誰に誤解されたら困るというのか。
「おれたちって付き合ってるのか?」
問いかえせば、驚いて頬をうっすらと染める和音ちゃん。答えを待っていれば、おずおず「付き合ってない、よね?」と確認されたので、「誤解はしてないから、いいんじゃないのか?」と返した。
だって、和音ちゃんが言うのはそういうことだから。
――あぁ、すっかり日が昇った。
「朝だな」
「……うん、……あれ?」
和音ちゃんが急に立ち止まったので、合わせて足を止める。和音ちゃんはゆっくりとおれを見て、それから困ったように首を傾げた。
「……空閑君、学校って言ってたよね」
「うん」
「…………ごめんなさい。道、間違えちゃった」
そう言って方向転換する先は、玉狛支部なのだろうか。おれは和音ちゃんの手を引いて止める。
「和音ちゃん家であってるよ」
「……え?」
「行こう」
外に出さえすれば方角もわかる。ボーダーという大きな目印もあるし、和音ちゃんの家の場所はだいぶ覚えてきた。だからと、今度はおれが一歩先導して、和音ちゃん家への道を行く。
和音ちゃんは引かれるままに歩くが、さっきより足取りはいくらか速くなっている。落ち着いてきたのだろうかと思ったが、耳に届いたのは小さな声の謝罪だ。
「……ごめんね。道案内くらいしかできなかったのに……」
最近の和音ちゃんは、どうにも“ごめん”が多いな。おれは“ありがとう”と言われるほうが好きなんだけど。なんて声をかけようか様子を見ていると、和音ちゃんが「えっと、だから」と焦ったように話を続ける。
「ほかになにか……私にできることがあったら、教えてね」
思わず足を止めてしまった。どうしたのかと様子を見れば、和音ちゃんはなんだか怯えているような様子だ。なにを怖がっているのかと……つい、ふすりと笑ってしまった。
「変なこと言うんだな」
「……え……?」
「こうして一緒にいてくれるのは、和音ちゃんくらいだ」
よくわからんものを怖がる和音ちゃんは、近界民のおれを怖がりもしない。それだけじゃなく、今も繋いだ手の先に和音ちゃんがいてくれるのは、和音ちゃんが許してくれているからなのに。
――だから、ありがとうのほうが嬉しいんだがなぁ、とまでは言わないが。
「ほら、行こう。疲れてるなら、早く帰って休んだほうがいいだろ」
まだ本調子じゃないことは見てわかるので、早めに連れて帰ろうと手を引く。そうやってまた歩き出した和音ちゃんは、ほう、と息をつくのだ。
「…………疲れてる、のかな」
「違うのか? 眠そうだけど」
「……そうかも」
本部で会ったときよりは、だいぶ落ち着いてきたように見える。それでも、疲れていると気持ちが後ろ向きになりやすい。弱々しい和音ちゃんの声は嫌だから、はやく元気になってくれればいいのに、と思う。
あまり会話するのも大変だろうかと様子を見ているうちに、見慣れた景色までたどり着いた。ふむ、おれもなかなか慣れたものだ。
「ほら、和音ちゃん。着いたぞ」
声をかければ、和音ちゃんがゆっくりと顔を上げた。名残惜しいが、おれは繋いでいた手をするりと抜きとる。
「じゃあ、またな」
「……うん、ありがとう」
元気はないが、それでも穏やかな笑顔が戻ってきたので少しだけ安心だ。手を振れば振りかえされたので、とりあえずは大丈夫だろうと背を向ける。
さて、今日の昼休みはチカのアイディアを聞いてみないといけないし、オサムもなにか閃けばいいんだが。どいつもこいつも困ったものだと、おれは次のやるべきことに向けて学校へと歩き出すのだった。