『――はい、そこまで!』
栞から終了の声がかかってしまった。それほど長く戦っていたらしい。
三雲君はスタミナというか、精神力が凄かった。粘り強いし、相手を追い詰めるべく戦略を組む頭がある。正直、私のほうが根負けするかと思ったくらいだ。
訓練室を出れば、笑顔の栞が「二人とも、おつかれさま〜」と迎えてくれる。どうにか無事に練習も終えられたと、ひと息ついたのも束の間。空閑君の紅い眼差しが私へと向く。
「和音ちゃん、いつもあんな感じなのか?」
「……え?」
意図がわからず首を傾げるが、空閑君もじいっとこちらを伺うばかり。練習の様子に気にかかることでもあったのだろうか。おそるおそる「そうだと思うけど……」と返せば、空閑君はあまり納得していない様子で「ふーん……」と唸っている。
なんだか居心地が悪くて視線を泳がせれば、栞がヘッドセットを外していることに気づいた。聞けば、どうやら私と三雲君の訓練が長引いたので、終わったらすぐに帰れるようにとレイジさんが車を準備しにいったらしい。
「和音も一緒に乗ってくでしょ?」
いつもならお言葉に甘えるところだけど、今日は三雲君と空閑君もいる。さすがに新入りの子たちを差しおいて送ってもらうほどの距離でもないし、「今日は大丈夫」と遠慮する。
だから――と声をかける前に、空閑君がここぞとばかりに会話に割って入った。
「じゃあ、オサムが送ってもらえばいいじゃん」
「え? 空閑はどうするんだ?」
「和音ちゃんと一緒に帰る」
名指しされてしまったので、驚いて空閑君へと視線を戻す。紅い眼差しは変わらず真っすぐに私へと向いていて、さらに「な、和音ちゃん」と念押しまでされてしまった。有無を言わせるつもりのなさそうな笑顔の迫力に負け、私は静かに頷く。
栞がにやけ顔でこちらを見ていたようだけど、気づかないフリ。みんなでエレベーターに乗り込んで上がったあと、空閑君は玄関に向かう二人に「それじゃあ」と手を振る。
「あれ、空閑たちも帰るんじゃ……」
「そのまえに、ちょっと寄り道」
三雲君は少し不思議そうにしていたが、栞がそそくさと「行こっか、修くん!」と三雲君を連れていった。意味深なアイコンタクトをされた気がするが、これもまた見なかったフリ。二人が玄関から出て行ったあとで溜息をつくと、空閑君はきょとりと首を傾げて私を伺う。
「どうかした?」
「……栞に、どうやって言い訳しようかな〜って思ってるとこ」
空閑君は意味がわかっていないようで首を傾げたままだ。栞に、また私達が密会を! と面白がられてそうで……とは言わないでおく。意図的に二人になって話すのを誤魔化す方法も見当たらないし、触れないほうがいいだろう。
「……とりあえず、どこに寄り道するの?」
「ここの屋上、気に入ってるんだ。そっちに寄っていこう」
頷けば、空閑君は軽快な足取りで支部内の階段を上がりはじめた。普段であれば滅多に屋上まで上がることはない。冬場ともなれば、なおさら。だから空閑君が淡々と上へ向かうのを、そわそわと落ち着かない気持ちで追いかける。
空閑君は慣れた手つきで扉を開けて出ていくので、私も後を追って一歩、屋上へと足を踏み出した。暗闇の中、ぽつぽつと灯りをともなう街並みは別世界みたいだ。綺麗な夜景の中、ぽっかりと浮かんだお月様のような空閑君の白い髪が、風にふわふわと揺れている。
「……綺麗だね」
「うん。見晴らしがよくて、よく来る」
夜景を眺める空閑君の横顔は穏やかで、なんだか大人びて見える。空閑君はそのまま歩を進め、屋上の縁へと手をかけた。
「静かだし、人もこないしな」
ただでさえ人が少ない玉狛支部で、冬の夜、寒い屋上に好んであがる人は稀だろう。空閑君はそうと――つまり内緒話にはもってこいだと――知って、私を寄り道に誘ったらしい。
目の前にある空閑君の背中がやけに大きく見えたのは、その強かさ故か。間を置かずに空閑君はゆっくりと振り返り、私を双眸でしっかりと見据える。
「さっきの練習を見てたら、和音ちゃんが強いのはわかるよ」
「……そう?」
「こなみ先輩と似てる、感覚で動ける奴だ」
B級に上がるまで、散々に弱いと言われてきたので面食らう。強いと言ってもらうことは珍しく、お世辞にしても真っすぐすぎる。ましてや、小南に似ているだなんて。
驚いて見れば、空閑君は笑顔を崩さないまま、探るような鋭い視線を私に向けていた。紅い瞳は、白い瞳孔を揺らめかせながらも逸らされることはない。
「なのに、殺すつもりがないんだよな」
「……え?」
「栞ちゃんが言うように逃げるのは上手だけど、まるで攻撃を待ってるみたいだ」
ぎくり、と背筋が震えた。空閑君はそこまで見ていたのかと驚くほど。どうやら普段の戦い方でのクセみたいなものが看破されてしまったらしい。
空閑君はそれきり、じいと私を見つめて黙ってしまった。さて、なんと答えればいいのやら。そもそも――
「……どんなトリガーかは、聞かないんじゃなかったの?」
「ほう? ブラックトリガーになにかあるのか」
――空閑君のほうが一枚上手のようだ。口を滑らせたと気づいた時には遅く、空閑君は朗らかな笑顔を見せている。どうしようかと焦るより先に、空閑君が「心配しなくていいよ」と声を上げた。
「変な動きだったから気になってな。そういうことなら、聞き出すつもりはないから大丈夫だ」
「……ありがと……」
あからさまにほっとしたのがわかったからか、空閑君は面白そうに笑っている。あげく「和音ちゃんが抜けてるっていうのは本当みたいだ」と言ってのけるので、ぐうの音も出ない。
言い訳くらいさせてほしいのだけど、空閑君はあまり気にした様子もないので意味もないだろうか。これまで、ブラックトリガーの話題が上がる相手なんて大半が鬼怒田さんくらいのもの。だから、最初から私のブラックトリガーのことを知っている空閑君はイレギュラーな存在で、それでいて――
「……空閑君は、どうして私と話してくれるの?」
「え?」
「えっと、なんていうのかな……その……」
もごもごと言葉に詰まっていると、空閑君はじっと私を伺うばかり。催促するわけでもなく、かといって焦れているわけでもない。穏やかな表情のまま私を待ってくれているのがわかったので、深呼吸を挟んでから改めて口を開く。
「……うまく話せないことも多いから、その、私と話しててもつまんなくないかなって」
「べつに?」
さっぱりと一刀両断にされて面食らう。なんとなく「そんなことないよ」という返事を予想していただけに、「べつに」という潔い返事にたじろいでしまった。空閑君と話していると、自分が気にしていることが些細なことのように思えてしまうから不思議だ。
「……すごいね、空閑君は」
「んん? なにが?」
「年下なのに、大人っぽいっていうか……余裕があるっていうのかな……」
私とは大違いだ……なんて、年上として格好がつかないだろうか。けれど私が落ち着いて話していられるのは、悠然と構えている空閑君に安心感があるからだと思う。聞いてくれるし、逃がしてくれるから、なおさら。
いっぽうの空閑君は、きょとんとしたあとで――ふっと微笑んだ。
「和音ちゃんも、素直なのはすごいと思うぞ」
「……え?」
今度は私が驚く番だった。空閑君がすごいね、という話をしていたのに、まさか褒め返されるとは思っていなかった。ましてや心当たりもないので首を傾げていると、空閑君はゆったりと話を続ける。
「こっちだと、近界民は悪い奴なんだろ? 初めて会った時、戦おうとした和音ちゃんは悪いことしてないのに謝ったじゃん」
「え、えぇ……?」
空閑君はまるで、近界民なんだから不当な扱いを受けても当然だと言わんばかりだ。逆に言えば、そう思ってしまうようなことが多々あったのかもしれない。だから私が当たり前にしたことを、凄いと思ってくれているらしい。
空閑君は「今だって」と――紅い眼差しが、私を優しく見つめる。
「話せないことがあるのは当たり前なのに、申し訳ないって顔してるし」
「……え……?」
「和音ちゃんはいい奴だな」
にしし、とからかうように笑う声が耳の奥で反響する。まるで気にしなくていいと、私のモヤモヤを笑いとばしてくれているみたいだ。心の奥底でくすぶっていた疚しさまでもが吹き飛んでしまったかのようで。
そうして生まれた余白に、なにかがすとんと転がり堕ちてきたような感覚があった。嫌なものではなく、心臓がとくりと優しく震えている。私は自然と口を開いた。
「……ありがとう」
空閑君は茶化すかのように「お礼を言われるようなことでは」なんて唇を尖らせている。
私にとって、言えないことは疾しいことだった。突っぱねるようなこともできなくて曖昧に濁してばかり。だから出水君や米屋君だって、それとなく話題を流してくれていた。
だというのに空閑君は、私が話せないと突っぱねることすら当たり前だと言って、受け入れてくれる。疚しく思わなくていいのだと言われているみたいで……。
「空閑君も、いい人だね」
空閑君の紅い瞳がきょとんと丸くなった。柔らかい光を宿したまま、すうと細められた眼差し。どことなく意地悪な笑顔で「さあね」と言ってみせるのが、妙に様になっている。自然に見惚れていると、空閑君は「さて」と口火を切った。
「そろそろ帰るか?」
「……うん、そうしよっか」
「じゃ、行こう」
穏やかな空気に変わった屋上では、変わらず冷たい風が吹いてる。それが涼しいを感じるくらいには熱を持っているということで、どうしてかな、なんて。ほぅ、と身体の中の熱を吐き出して、すぅ、と冷たい風を肺一杯にいれて深呼吸。
夜の密会はこれにておしまいだ。私たちはそっと屋上を後にした。