いいこと、わるいこと、好きなこと
「寝ないのか? 遊真」

 真夜中、すっかり静かな玉狛支部の屋上に訪れたのはボスだった。その手には湯気の立つマグカップがふたつあり、ひとつを差し出されたのでありがたく受け取る。
 どうやら、一昨日のむらかみ先輩とのランク戦のことで、オサムがおれを心配しているんだとか。世間話の流れでランク戦の死なない仕組みはいいものだと話せば、ボスは軽快に笑ってから教えてくれた。

「――システムを考えたのは、おまえの親父さんだ」

 ボスは星空を見上げながらちょっとした思い出話をしてくれる。ご機嫌で未来を語ってた、という光景はおれにも簡単に想像できた。ついつい頬が緩むのもわかったが、だからだろうか、ボスは優しく声をかけてくれる。

「遊べよ遊真。楽しいことはまだまだたくさんある」

 たしかに、強いやつと戦えるのはおもしろい。そして、これからウチが勝っていけば、相手はどんどん強くなるわけだ。もちろん遠征部隊を目指すべく勝たなければいけないんだが、強い相手と戦う楽しさもこの先に待っているはず。

「……そうだな……」

 けど、ボスが言うのはそれだけじゃない気もする。考えていると、ボスがふいに「俺もさ」と声を上げた。

「空閑さん……おまえの親父さんに見せてやりたかったよ。おまえが楽しそうにランク戦してるとこ」

 ボスはまた星空を見上げていて、たぶん親父を思い出しているのだろう。昔なじみということで思うところもあるだろうし……おれと同じ、遺された側でもあるわけだ。
 脳裏を過ぎったのは、最近になって思い出したばかりの記憶。そして自分が聞かれたことと同じ疑問だ。

「ボスは、親父がいなくなってさみしいか」
「……そりゃそうだ。さみしいし、つらいな。仲間がいなくなるのは」

 昔のおれには認められない言葉だった。だって、自分のせいなんだから。
 けれど今となっては、さみしいという言葉にも「そうか」と自然に返すことができる。一緒にいた人がいなくなるというのが『さみしい』のは当たり前だろう。
 だけど、ボスは「それでも」と優しい声で話を続ける。

「遺されたからには、俺たちもできることをしないとな。今、おまえたちが楽しく訓練できるようになったのは空閑さんのおかげだ。おまえたちにとって楽しい世界が作れるように頑張るのは俺たちの仕事だ」

 あぁ、きっと親父もこういう顔で未来のことを語っていたのだろうと思った。ぼうっと見ていると、ボスはすぐに表情を戻して「なんてな。ま、大人なんてめんどくさいことばっかりだぞ〜」なんて茶化すように笑う。
 親父も、半人前は大人しくしとけだとか言っていたが、その言葉の裏にはボスと同じ気持ちを持っていたのだろうか。おれがなにも言わなかったからか、ボスはがしがしとおれの頭を撫でまわす。

「おまえはまだ、そんなこと考えなくていい。そういうのは有吾さんみたいに、やりたいことをやってからだ」

 親父みたいに大きな手のひらがすっと離れていく。ボスの言う『やりたいことをやれ』というのと、「遊べよ、遊真」というのは同じことなのだろう。そうすれば親父やボスと同じように、遺したいものが見つかるのだろうか。

「……ううむ、もう十分楽しんでるような気がするんだが……」
「ま、たしかにボーダーでは楽しそうだけどな。もっとほかに、やってみたいことや気になることがあれば、遊んでみたっていいんだぞ?」
「…………うまいご飯を食べたりか」
「そうそう、そういうことだ」

 ボーダー以外で、と言われて真っ先に浮かんだことを口にしてみれば、ボスは楽しそうに笑う。たしかに、こっちに来てからニホンのご飯をいろいろ食べたが楽しかった。ほかにはなにがあるだろうかと、試しに「ボスが好きなことってなんだ?」と聞いてみる。

「そうだなー……俺はやっぱタバコを吸うのがやめられないんだよな」
「ほう?」
「身体に悪いからやめろとか、臭いとか、いろいろ言われるけどな。でも、めんどくさいことがあったあとに吸う一本がないとなぁ……」
「ふーん、酒みたいなもんか」

 傭兵時代の酒場を思えば、たしかにあれも『好きなこと』なのだろう。戦いのあと、非番の時間に仲間たちと呑む酒がうまいのだと聞いた。酒に弱いやつは具合が悪くなったりするし、呑みすぎて正気じゃなくなってやらかしたりするが、それでも酒はやめられないんだとか。
 ボスにも伝わったのか「そうそう、そういうもんだ」と笑っている。タバコにも人に嫌われる部分があるが、それでも好きなのだろう。

「……好きなことって、役に立たなかったり、悪いことでもいいんだな」
「なに言ってんだ、好きってだけで十分、役に立つんだよ」

 ――なにか、引っかかったような気がする。
 ボスはふいに「あー、吸いたくなってきたな……」と呟いた。話題にタバコが上がっていたからだろうか。ここでは吸わないのかと思ったが、おれがいるから遠慮したのかもしれない。そのまま「じゃ、俺は戻るな」と立ち上がり、屋上を去っていく。

「……好きってだけで役に立つ、か……」

 それなら、和音ちゃんがおれを好きなことは、和音ちゃんの役に立つんだろうか。
 泣かせたばかりなのにな、と息をつく。あげく『ごめんなさい』とも言われたのだ。思い出すと胸の奥がむずがゆいような気持ちになる。今のおれならきっと、逃げ帰る和音ちゃんを引き止められるのに。

『引き止めて、どうするんだ?』
「……わからん。どうしたらいいんだ?」
『それを決めるのは私ではない、ユーマ自身だ』

 自然とレプリカの声が聞こえた気がするが、戦術とは違ってこれといった助言もくれないらしい。まぁ、自分が恋だのなんだの、なんて考えたこともなかったのだ。浮かぶものもないとため息をつくが、自然と耳の奥でレプリカの声がする。

『少なくとも、ユーマがそれを聞くべき相手は私ではないはずだ』
「……和音ちゃんか」

 和音ちゃんはただ、おれが好きだとだけ告げた。そのあとは、迷惑をかけてごめんだの、ランク戦頑張ってだのとそんなこと。
 ……最後に、もう手を繋いではだめだと、釘を刺されたけれど。

「でも和音ちゃんは、おれが和音ちゃんを好きだとは思ってなかったわけだ」
『そうだな』
「ふぅむ……なら、とりあえずはおれも、誤解を解かなきゃダメか」

 自分のすべきことを、レプリカに助けられながら洗い出していく。和音ちゃんがおれを好きで、おれも和音ちゃんが好きなんだから、言えることも、できることもあるはずだ。
 ――たとえば、今もこうしてレプリカがいるように――

「……ずっと一緒にいたことは、残るもんな」

 とはいえ、和音ちゃんにさみしい思いをさせるとわかっていて、それでも言うべきなのか。どこまでを言うべきかは、和音ちゃんの反応次第だろうか。慣れないことで判断ができるのかはわからないが、それでも、和音ちゃんに好きだと言わせたのだから、おれが黙っているわけにもいかないだろう。

「……自信はないが、まぁ、やれるだけやってみるか」
『うむ。では次の試合の対策はどうだ?』

 思わず、心の中で「昨日、あれだけ考えただろ」と言えば、返ってきたレプリカの声は『それで十分だろうか?』と嫌味ったらしいひと言。レプリカはいつも、ほかに可能性はないかとおれに考えさせていたものだ。

「……わかったよ、時間はたっぷりあるもんな」

 頭の中のレプリカは、すぐに『では、相手の戦法と――』と戦術の復習を始めようとする。おれも、むらかみ先輩を思い浮かべながら崩す手をもう一度考えなおす。
 今ならきっと、ほかにも崩す手が思いつきそうな気がする。明日は少し忙しくなりそうだから、ランク戦の対策は今日でなるべく形にしようと決めて、おれはレプリカとの作戦会議に没頭することにしたのだった。


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