昨日と違う、ひとつの名前
 恋人になって――これまでと同じように手を繋いで、違うのはそれが指を絡める恋人繋ぎと言うやつで――歩く、初めての帰り道。だというのに、ふわふわしてなにも考えられなくて、あっという間に家についてしまった。気づいたら部屋にいて、ちゃんと空閑君を見送れていたのかどうかもあやしい。とにかく、浮ついている。

「……誰か、話聞いてくれないかな」

 思い浮かんだ顔は栞と小南だった。よりにもよって同じ玉狛支部の二人、とは思ったけど……だからこそ、早めに言っておいたほうがいいんじゃないか。少なくともこっそり付き合ってる、なんて私にできるとは思えないし。
 そうと決まれば――とメッセージを送り、明日の午後ならと返信もきた。小南からは『ちょうど、あたしも話したいことがあったのよ』なんて返事がくる始末。それもそれで気になるし、布団にもぐってもソワソワして、ふとしたときに空閑君のことを思いだし……。

「…………寝坊した……」

 時計はあっさりと昼過ぎを指している。そんなことある? 今日のランク戦って昼か夜かどっちだったんだろう。いや、ともかく二人と約束した時間に間に合わない。私は慌てて飛び起きると、出かける支度をはじめる。
 そうして時は過ぎ、玉狛支部の玄関を前にして深呼吸。普段ならなにも考えずに中に入れるのに、今は、空閑君がいたらどうしようと思うと一歩が踏みだせない。

「平常心、平常心……」

 呪文のように繰り返して何度目かの深呼吸をする。気合をいれて、玄関へ手を伸ばした……瞬間。

「――いつまでそこにいるんだ?」
「は、へ?」

 私の手が空を切り、扉はひとりでにガチャリと開いた。向こうにいたのは不思議そうな表情の空閑君。出鼻を挫かれた私は確かめるように、空閑君の頭からつま先までを見つめてしまう。

「……空閑君?」
「うん。なんで入らないんだ?」
「えーと、心の準備をしてて?」
「いつも来てるのに?」

 疑問の応酬が続き、心底不思議そうな空閑君にへらりと笑顔を返して間をおく。突然のことにばくばくと鳴る心臓が落ち着きそうにないからだ。目の前にいる空閑君は普段どおりで、らしいとは思うけど余計になんだか緊張してしまう。

「あの、小南と栞、いる?」
「うん。さっきまでミーティングしてた」
「え、あ、ランク戦って……」
「おれたちはもう終わったよ。勝った」

 なんと、昼の部だったらしい。寝坊した……とは言えず「おめでとう」と言えば、空閑君はしれっと「どうも」と返事をするだけ。

「それで、和音ちゃんは、二人に用事か?」
「あ、そう、なんだけど……」

 用事というのは、つまり二人に空閑君とのことを報告したかったわけだが……いまさらながら、話してもいいのだろうか。空閑君からしたら栞はチームメイトだし、小南は師匠にあたるわけで、私と付き合ってると知られるのは居心地が悪いだろうか。
 聞いてみようと思ったものの、普通に話すのはちょっと……恥ずかしい。

「……あの、ちょっと耳貸してくれる?」

 おそるおそる言えば、空閑君はちょっと不思議そうな顔をした。けれど、こちらに耳を近づけてくれるので、私はそっと耳打ちする。

「……栞と小南に、付き合うことになったって……言っていい?」

 ……返事がない。もしかして、恥ずかしいからと声が小さすぎたのかな。……それとも、付き合うことになったって勘違いだったかな。夢だったりして?
 そう不安になってきた頃、聞こえてきたのはくつくつと喉を鳴らすような、堪えた笑い声。

「……そんなの、わざわざ聞かなくていいのに」
「え、や、だって、言っていいのかなって……」
「別にいいよ。ダメっていうと思ったのか?」
「いや、その……念のため、というか……」

 よかった、昨日のことは夢じゃなかったらしい。付き合ってるということも現実のことみたいだ。空閑君に話してもいいって言ってもらえたとなると、あとは安心して小南と栞に話すだけだ。
 ふと、どうして空閑君は出てきたんだろう、といまさらな疑問が湧く。玄関で会ったということは、これからどこかに出かけようとしていたんだろうか。

「……空閑君は、どこか行くところだった?」
「うん。もう一回本部に行って、ランク戦でもしてこようかと思って」
「そっか……」

 これで今日はお別れか……と思うだけで、途端にさみしいような、残念な気持ちになってしまう。とはいえ、空閑君にもやらなければいけないことがあるのだし、さみしくなっても仕方がない。私だって、小南と栞と約束しているのだ。早く、それじゃあね、って言わないと。

「……あの、」
「遊真と……和音か? こんなところでどうしたんだ?」

 背後から声がかかり、誰かと思えば迅さんだった。私が聞くより先に空閑君が「迅さんこそ、今帰ってきたのか?」と訊ねている。

「まぁね……遊真は、ランク戦してこないのか?」
「これから行くよ」
「なら、早いほうがいいぞ。遊び相手がいなくなりそうだ」

 迅さんの言葉を聞いて、空閑君は「じゃあ急ぐか」とあっさり歩き出す。あぁ、残念だなぁ……と背中を見送っていると、ふいに空閑君が足を止めた。期待したのも束の間、振り向いた空閑君は「そういえば迅さん」と呼ぶもので、肩を落としたのだが――

「和音ちゃん、捕まえたぞ」
「――へ?」

 まさか、自分の名前が挙がるとは思っていなくて間抜けな声を上げてしまった。いっぽうで迅さんは、なにやら意味深に「へぇ……」と相槌を打っている。
 うっかり呆けたままだったのだが、ぱちり、空閑君と視線があって心臓が跳ねた。空閑君はにこりと笑って「またな」と手を振ると、さっさと踵を返し去っていく。
 ……なんだったのだろうか。呆然と背中を見送っていると今度、迅さんにも「和音さぁ」と名前を呼ばれて。

「もしかして、遊真と付き合うことになった?」
「――え!?」

 思わず大きな声を上げてしまって、それだけで迅さんには伝わってしまったようだ。にまにまとした笑顔で「そうか〜」と頷かれたので、たぶん付き合うことになった、とは察されてしまったのだろう。

「……なんで、ですか?」
「いやぁ、うまくいってよかったな〜」

 悪あがきをしてみても無駄だったようで、迅さんの口ぶりからは確信していることがうかがえる。なんと言っていいのかわからず、私はおずおずと「ありがとうございます……」と頭を下げるのがやっと。

「いや〜、おまえらが本当にくっつくとはな〜」
「……玉狛の人たちに迷惑にならないよう気をつけますね」
「ま、イチャつくのをほどほどにしてくれれば、別にいいんじゃない?」

 さすがに、これ以上空閑君の話を続けるのは私の心がもたないんだけど……と思いはじめたころ、迅さんがようやく「じゃ、中に入るか」と声をかけてくれる。促されるままに玉狛支部に入ったものの、今度は小南と栞にこの話をしないといけないわけで……。
 私は覚悟を決め直して、約束していた二人に会いにいくのだった。


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