恋人としての第一歩?
 お互いに話したいことを話し終えてひと息。あまり遅くなる前にお開きにしようかと考えた矢先のことだった。小南が神妙な顔でマグカップをぼんやりと眺めているので、ココアのお代わりでも考えているのかと様子をうかがっていると――

「和音、バレンタインどうするの?」
「……え?」
「大変ね、付き合ってすぐにイベントがあるなんて」

 小南はしれっとそう言ってのける。どうやらココアを見つめていたのは、その色にチョコレートを連想していたからのようだ。
 今日が二月八日。と、いうことは、世間を賑わすバレンタインまであと六日。

「……え、一週間もないんだけど」
「そうよ。だから、どうするのって」

 今年のバレンタインは金曜日なのか、とカレンダーを再確認する。ということは次の日、二月十五日はB級ランク戦が控えているはず。まさか、告白だってB級ランク戦の前日という、なんとも間の悪いときに勢い余ってしまったのに。
 
「…………どうしよう」

 恋人関係を期待するどころか、そもそも告白するつもりもなかったのだ。当然、バレンタインの準備なんて考えているはずもない。
 今から手作りなんて……できるんだろうか。料理はするけど、お菓子作りの経験はほとんどない。もっと時間があったら練習しようと思えるけど、一週間もないのに間に合うのかな。
 でも、既製品というのは……もったいないと思ってしまう。だって空閑君と恋人になって初めてのバレンタイン。空閑君のことを思えば手作りは来年、なんて気楽には思えない。そうなるとやっぱり手作りがいいとは、思うけど。

「……作れるかなぁ。自信ないんだけど」
「チョコなんて溶かして固めればいいのよ」
「簡単に言うけどさ……?」
「トリュフとか生チョコにすればいいんじゃない? 生クリーム混ぜるだけだし、チョコって感じするじゃない」

 お菓子作りの経験がない私にとって、聞くだけで作れるのか不安になる名前だ。いっぽうの小南は急にカバンを引っ張ってきて、ごそごそと漁ったと思えば一冊の雑誌を取り出す。ぱらぱらと捲ってページを開いたまま、私へと差し出す小南。

「ほら、これ。貸してあげるから試してみなさいよ」

 受け取れば、そこにはトリュフのレシピが書かれていた。材料は思っていたより少なくて、チョコと生クリームとココアパウダーくらい。レシピをざっと読んでみると確かに、刻んだチョコを溶かして、生クリームと混ぜて、冷やして丸めておしまいって感じ。

「でも、これ借りちゃったら小南が困らない?」
「あたしはいいから、明日にでも作ってみれば? 和音なら大丈夫だとは思うけど」

 もう一度、レシピを眺めて考える。もし手作りするとしたら、時間はほとんどない。唯一の休みが明日の日曜日だけなのだから、とにもかくにも挑戦してみなければ。ありがとう、と言って私は雑誌を借りていくことにする。

 帰りがてら、近所のスーパーでの材料の買い出しからはじめることに。レシピに登場していたものの、家にはなかったゴムベラなんかも購入しつつ。ラッピング用品も手に取って帰宅すれば後は、チョコづくりの練習だけ。
 チョコを刻むのは大変だったし、湯煎で溶かして生クリームと混ぜてる間、勢いあまって湯煎のお湯が跳ねた時なんかは冷や冷やした。けど、ちゃんと固まったし程よい柔らかさは残っているし、味も悪くない。提案してくれた小南様々だ。

「よーし、じゃあ後は本番かな」

 今日作った分はおやつにしてしまおう。ついでに明日学校に持って行って、友達にも味見してもらおうかな。……好きな人にでもあげるの、とか勘繰られそうだけど、背に腹は代えられない。
 あと考えることは、いつ、どのタイミングで、どうやって渡すかだ。
 そりゃあ普通に考えればバレンタイン当日、二月十四日に渡したい。でも、ランク戦の前日となるとタイミングが難しいとも思う。本部で会えたら渡したいような、けれど人の目があると渡しにくいような。玉狛に渡しに行くほうが確実だろうか。……恋人なんだから、約束を取り付けてしまうという手もある。

「さて、どうするべきかな……」

§

 月曜日はまず、本部に行った足でランク戦ロビーに顔を出した。やっぱりと言うべきか空閑君は個人ランク戦をしていたけれど、相手が村上先輩だったので、悩んで声をかけないことにする。土曜日のランク戦がきっかけで知り合ったのなら、あまり水を差したくないし。
 火曜日は本部で姿を見かけなかった。もしかして、玉狛に直行だったのかもしれない。私はといえば、ここ二日は研究室内での検証に協力していたのだけれど、やはり以前と似たようにトリオン供給に支障が出てしまった。直帰命令が出たので素直に従うだけ。
 さすがに水曜日ともなると焦ってきたけど、変わらず空閑君は本部で見かけない。となると、ランク戦前だから、ほかの隊に情報が洩れる個人ランク戦より、玉狛支部での訓練がメインなのかもしれないと察しもついてきた。

「……っていうか、そもそも、空閑君ってバレンタイン知ってるのかな……」

 足だけは玉狛支部に向けているものの、ここ数日の不発もあって、やっぱり帰ろうかと迷ってしまう。だんだん浮かれている自分が恥ずかしく思えてきたのだ。
 そもそも、バレンタインなんてイベントは近界にあるハズもないんじゃないか。となると空閑君にチョコを渡すことすらも、なんだか一方的なような、申し訳ない気持ちになってきてしまう。だって、空閑君がチョコを欲しいかどうかもわからないわけで……。
 やっぱり、行くのやめようかな。そう思って足を止めると、ふいに目の前に影が落ちた。

「よ、和音。ウチ寄ってかないのか?」
「……迅、さん」

 さすがに、このタイミングでの登場は心臓に悪い。もし、ここで遭遇してしまったのが空閑君だったら、いろんな意味で隠し通すことはできなくなっていただろうから。
 迅さんは、足を止めたままの私を見下ろして、不思議そうに首を傾げている。

「今ならたぶん、遊真にも会えると思うけど」
「……やっぱり玉狛にいるんですね」
「そりゃまぁ、ランク戦の準備もあるみたいだし」

 当たり前のことでわかっていたことなのに……今“ランク戦”と言われてしまうと余計に恥ずかしくなってくる。目標に向かって頑張ってる真っ最中に、空閑君にとってみればよく知らないイベントにうつつを抜かしている私は、玉狛支部には場違いじゃないか。
 とりあえず、一度頭を冷やすべきだ。そう結論づけて、今すぐにでも逃げ出したい気持ちを堪えて迅さんに向かいあう。帰るからと挨拶だけしようと思って見上げた迅さんの顔は、なんだか呆れたような笑顔だ。

「せっかく付き合ったのに、あんまり変わらないんだな」

 迅さんは独り言のように呟く。たぶん、聞き流せばよかったんだ。そうですか、って軽く問いかければよかったはず。
 だけど、私はその言葉にひっかかりを覚えてしまった。

「……迅さんに止めてもらわなかったら、もっと邪魔になってましたか?」

 もしかして迅さんは、私をたしなめるためにここにいるんじゃないか。きっとそう、浮かれすぎて空閑君の迷惑にならないようにだとか、そんな意図で。

「――本当におまえ、考え込むと思考が後ろ向きになるね」

 そんな私の不安もどこ吹く風。迅さんは呆れた、と言わんばかりに眉尻を下げてため息をつく。

「おれが言いたかったのは、もうちょっと素直になればいいのにってこと」
「……素直、ですか」
「ランク戦はそりゃあ大事だろうけど、だからこそ、おまえがしてあげられることもあるんじゃないの」
「……私が?」

 私がしてあげられることって、なにがあるんだろう。ランク戦を頑張る空閑君にこそ、してあげられること。戦術だとかは部隊の方針があるし、訓練相手になりたくても、今は鬼怒田さんがいる検証のとき以外にはトリガーを使うなと言われているし……。
 ひとつも浮かばない私を、迅さんは呆れた表情のまま眺めている。むしろ、呆れを通り越して面倒くさい、くらいの表情だ。

「おまえさぁ、遊真をなんだと思ってるんだ?」
「な、なにって」
「あ〜、わかった。これはおれが言うより、おまえ自身が体感したほうがいい」

 迅さんは、急に私の両肩を掴んでぐるりと方向転換させる。つまり、今日は帰れということなのだろう。――と、思ったら背後から話しかけられる。

「代わりに明日、早退してウチに寄れるか?」
「……え、なんでですか?」

 肩を掴まれているので、振り返りたくでもできず、迅さんの表情も見えない。ただ、いつもどおりの軽い調子で「ちょっと、会ってみてほしいやつがいるんだよね」と。
 ――デジャブ。なんとなく嫌な予感がして、私は思わず顔をしかめてしまう。

「……厄介事じゃないですよね」
「いやー、悪い話じゃないと思うよ。たぶん」

 迅さんいわく、頼みたいのは昼食の提供だと。もっとも作るのは迅さんで、私がするのはそれを温めなおして届けるだけだという。なんでも、陽太郎があたたかいごはんを出してやってくれと言うからだと。届け先は玉狛支部内の部屋とまで聞いて、首を傾げる。

「……っていうか、誰のご飯ですか?」
「ウチで保護してる捕虜だよ」
「ほっ……!?」

 捕虜だなんて初耳だ。玉狛支部で匿う捕虜……となると、やはり近界民だろうか。迅さんは情報を捕捉するように「この前の侵攻の時に、ちょっとな」なんて言ってみせる。
 ピン、と来たのは、最近なにやら迅さんに違和感を覚えていたからだ。理由はコレか、と妙にしっくりきてしまった。少なくとも捕虜が玉狛にいるなんて機密事項にほかならないわけで。

「……それ、私が会っても大丈夫なんですか……?」
「んー、まぁ大丈夫だろ。食事届けるだけだし」

 本当に大丈夫なんだろうか……。聞き返すより先に、迅さんにそっと背中を押されて「じゃ、またな〜」と見送られてしまった。私は渋々と「……お疲れ様です」と返し、そのまま帰り道へと足を向けた。
 帰りがてら私は明日の予定を考える。午前中まで授業に出て、午後は早退して玉狛支部、遅めのお昼を捕虜の人に届けて……それから?

「……時間、あまっちゃうな」

 それなら、やっぱりチョコレートを準備してみてもいいだろうか。せっかく時間があるのだから作っておいてもいいだろう。渡せなかったら、自分で食べればいいのだし。
 どことなく罪悪感はあれど、迅さんからの頼みごとは実質任務みたいなもの。その都合で早退し、結果としてできた時間を……ちょっとくらい自分のことに使ってみてもいいはず。私は帰路につきながらも、そんな言い訳を自分に続けるのだった。


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