予定通りに学校を午前で早退し、そのままやってきた玉狛支部。トリガーでの認証をすませ、中へと足を踏み入れる。
いつもは誰かがいるときにしか来ないから、なかなか新鮮だ。どこにも人の気配がない支部は寂しくて、手早く用件をすませようとキッチンへ向かう。トレーの上に用意された食事を確認し、温めるひと手間を加えれば準備は万端だ。
教えられた部屋の前でひと呼吸。ノックをしても応答はないが、逃げ出したわけではないだろう。私は意を決してドアノブへと手をかける。
「……失礼します」
声をかけながらもゆっくりと扉を開いた。徐々に見えてくる部屋の端、ベッドの上に一人の男の子が腰を下ろしている。真っ先に目に飛び込むのはツノ。間違いなく、この前の大規模侵攻でこちらに来た近界民だろう。
最悪、襲われる可能性もあるのではないかと警戒していたのだが杞憂だったらしい。私を見る目つきは鋭く警戒を露わにしているが、手を上げるような気配はない。じっと座ったままで立ち上がる様子はなく、私は部屋にある机までトレーを運ぶ。
「食事、ここに置きますね」
いちおうは声をかけるものの、返事はない。さすがに捕虜としてここにいる以上、にこやかに交流しろというのも無理な話だろう。少なくとも攻撃してこないだけ良しとするべきだ。食事も届けたことだし、早々に撤退しようと踵を返す。
「それじゃあ――」
「おまえもタマコマの人間か?」
初めて聞いた捕虜の声に、思わず視線をやってしまった。迅さんに似た蒼い瞳に射抜かれて、ぞくりと背中が粟立つような感覚。少なからず敵意が含まれている眼差しは苦手だ、と嘆息する。
「……違います」
「では、なぜここにいる。本部とやらの差し金か?」
「え、っと……? 本部所属ではありますけど……」
答えた途端、鋭い目つきでこちらを睨むものだから怯んでしまう。本部所属、というのがまずかったのだろうか。捕虜は机の上に置いたばかりのトレーを私へと返すかのように机の端へと追いやった。
「……いらん」
「え?」
「食事は不要だ。持っていけ」
「え、待って、さすがにご飯食べないのは……」
腕を組んでそっぽを向いてしまうあたり、相当に警戒されているようだ。玉狛の人たちは空閑君を匿うくらい近界民に対して友好的だけど、本部はそうではない。捕虜が『本部とやら』を知っているあたり、すでに本部と衝突したあと、という可能性もありえる。
だとしたら、私の身元を保証してくれる人は――おずおずと声をかける。
「……あの、迅さんに用事があるからって代わりを頼まれたんです。迅さんってわかりますか?」
「ジンだと……!?」
玉狛の人なら大丈夫かと思ったのに、迅さんの名前を挙げた途端に眉間にシワが寄ってしまった。怖い顔でこちらを睨むものだから、どうやら挙げた名前が悪かったらしい。捕虜の目は確実に私を敵とみなしているようだ。
「なにを企んでいるかは知らないが、前にも言ったとおり、本国に関する質問はいかなる内容も回答しない。さっさと出ていけ」
「え? えーっと……」
冷たく突き放すような捕虜の声に、一瞬心に引っかかったことがひとつ。
「……本国って、アフトクラトルですよね。それ以外の国の質問だったらいいんですか?」
「…………なんだと?」
「あ、ごめんなさい。ちょっと聞いてみただけ、です」
迫力に押されて質問を撤回する。さすがに敵意満々の相手をこれ以上刺激してもよくない。とはいえ、ご飯を食べてくれないのは困る。依頼者の名前ではダメだったので、ほかに捕虜と関係があるらしいといえば……と記憶を手繰り寄せる。
「あの、……陽太郎も、あなたに温かいごはんを出してやってくれって言ってたみたい、なので……食べてもらいたいんですけど……」
ぴく、と反応したところを見るに、陽太郎に対しては悪感情を持っていないらしい。……と考えると、迅さんはなにをしたんだろうか……。まぁそっちは考えても仕方がないので、どうすれば食事を摂ってくれるだろうかと考えを巡らせる。
「……私でよければ毒見します。食器を持ってくるので、待っててもらえますか?」
「…………その必要はない。食べ終わるまで待て」
捕虜はそう言って、部屋の隅にある椅子を指さした。……まさか、食べ終わるまで待ってろということだろうか。私に見られながら食事というのは居心地が悪くないのかな……。
と、心配をよそに捕虜はさっさとお昼ご飯――ちなみに、今日はおにぎりと味噌汁、おかずとして冷食のからあげらしい――を食べはじめる。朝ご飯の残りにメインだけ付け足したようなメニューはまぁ、迅さんも忙しかったのだろう。おにぎりにかぶりついて少しすると、なぜか捕虜が話しかけてきた。
「名前は?」
「……私? 水沢和音です」
「なるほど、おまえが和音か」
「……えっと、なにか……?」
「数日前、ランク戦とやらが行われただろう」
――ぞ、と背筋が震える。ボーダーの情報をなぜ知っているのか。警戒したのも束の間、捕虜は淡々と話を続ける。
「オレはここでその映像を見せられていた。最中の会話の中で『和音』という名前を聞いたことがある」
「……そうなん……ですか……?」
捕虜は軽く「ああ」とだけ相槌を打って、昼食の続きを口へと運んでいる。
どういうわけかは知らないが、彼は玉狛支部のメンバーと交流があるらしい。というか、一緒にランク戦を観戦してたって……。こちらの手の内を明かしてしまいかねないと思うのだけど、誰と一緒に見たのだろうか。それとも、私が思っているよりも、彼を捕虜として危険視していないのだろうか。
「……お前は、近界に興味があるのか?」
「え?」
「どこか気になる国があるようだったが」
さらには、振られる会話の流れも妙だ。私は「えぇっと……」と言葉を濁したのだが、捕虜は鋭い目つきのままこちらを伺っている様子。
「……お前がオレに協力する気があるのなら、情報を分けてやることもできる」
――こちらの反応をうかがうような視線に、やってしまったと思った。今、私は取引相手としてふさわしいか品定めされている。だから私を帰さずに待たせたのかと合点がいく。
「……あなたの目的はなんですか?」
「取引に同意するのなら答える」
「…………ちょっと待って、ください」
いくらなんでも事前の情報がないまま取引します、とは頷くわけにはいかない。情報をもらえるなら有り難いが、対価としてなにを求められるかわかったものじゃない以上、簡単に応じると決められるものではない。まずは、と私からも会話を試みることにする。
「あなたの名前は?」
「……ヒュース」
「……ヒュース君、って呼んでもいい?」
「構わない」
砕けた口調も咎められることはなかったので、ひと息つく。さすがに取引するかどうかを精査するのに、下手に出てばかりなのも避けたいし。
ヒュース君の目的は、現実的に考えれば、軟禁されている現状を打破することだろう。その手段が逃亡か交渉か、はたまた別のものかはわからない。いずれにせよ、私が取引に応じるということは、ボーダーの不利益になることを望まれる可能性が高いはず。
かといって提示された対価を見逃すには……あまりに惜しい。近界の国の情報なんて、普通に生活していれば得られないものだ。これから先、同じようなチャンスなんて来るものじゃない。ただ、偽の情報を掴まされる可能性だってゼロじゃないわけで……。
「……前提として、ヒュース君が私の知りたい国の情報を持っているかどうか、わからないよね?」
「よほどの僻地でもない限りは、最低限の情報は持っている」
「どうして?」
問えば、ヒュース君は少し難しい顔をした。答えに詰まるあたり、彼が答えられない――つまるところ、アフトクラトルに関係した――情報に繋がってしまうのだろうか。
質問を撤回しようかと思ったが、ヒュース君は少しして「……外回りが、オレの任務でもあったからだ」とだけ答えてくれる。おそらくは私の信頼を損なうことを避けたかったのだろう。
私も少し考えて、譲歩できるラインを提示する。
「……私にできるのは、せいぜい『見逃す』くらいだよ」
ヒュース君はじっと私を見つめている。どのような逡巡があったのか、最後には「それでいい」と返事がきた。
――つまり、取引成立らしい。