ネゴシエーション・トランプ
 さて、ヒュース君の希望が『見逃す』ことなのであれば、目的はおのずと絞られる。

「……ここから出たいってこと?」
「おおむね、その認識であっている」

 ふむ、と少し考える。ヒュース君は玉狛支部から出てどうするのだろうか。少なくとも、一人でボーダーをどうこうしよう、などとは考えないだろう。だとしたら、出たあとに望むものはひとつくらいなものか。

「…………帰れる宛はあるの?」
「……なるほど」

 妙な相槌に首を傾げてしまうが、ヒュース君はまたじいとこちらを見ている。再び品定めをされている様子からは、どこまで話すかを考えているようにも見える。すると、ヒュース君が多少は気を許してくれたのか、最後には「ないわけではない」との返答があった。つまり、彼は現時点で帰る手段として考えてることがあるらしい。

「……戦力は期待されても、応えられないよ」
「構わない。もともと、事を荒立てるつもりもないからな」

 さて、どう判断するべきか。戦力を不要としているならば、ヒュース君の逃亡に際して騒ぎになることはない、ということだろうか。様子を見ていると、ヒュース君はポツリと呟く。

「……世話になっている恩を、仇で返すつもりはない」

 ヒュース君が慎重に言葉を選んでいるのは取引のためなのだろう。端々に滲んでいるものを、私が正しく汲み取れていればいいのだけど。
 少なくとも今の話しぶりからは、本当に感謝している様子がうかがえた。やはり、最初に敵意を剥き出しにしていたのは私が本部所属だったからで、おそらく玉狛に関してはそれなりに恩を感じているのだろう。そして雰囲気からも彼の言葉にウソはなさそうだ。だとしたら、ヒュース君が望むものは?

「……私が“うっかり”ヒュース君を逃がしてしまったら、多少は玉狛も怒られずにすむかもね」
「……悪くない案だ」

 私の献策は思いのほか好感触らしい。その程度の協力で済むのなら、私としても有り難い限りだ。とはいえ――簡単にすむのなら苦労しないわけで。

「だが、この取引が誰かに知られていた場合、オレも相応の対処をさせてもらうことを先に断っておく」

 ヒュース君は驚くほど慎重に物事を考える性質らしい。これは私への牽制だろう。献策に見せかけて、自分を嵌めようとしているのではないか? そうであるならば、容赦はしないという声が聞こえるようだ。
 警戒することはもっともだし、普通なら構わないと了承するところ。けれど、先ほど浮かんだ懸念点もあることだし、おずおずと口を挟ませてもらう。

「……条件をつけてもいい?」
「なぜだ?」

 ヒュース君は眉根を寄せてやんわりと不快感を示す。当然と言えば当然だけど、こちらとしても内密にできない相手というのがいる。

「迅さんともう一人……空閑君……空閑遊真ってわかる?」
「……顔はわかる」
「二人には隠せないと思う。迅さんは都合がよければ見逃してくれるだろうけど、空閑君は状況によっては隠しきれないかも」

 ヒュース君が逃げようとする未来が視えているのなら――そして、その未来に不都合があるのなら――迅さんは止めにくるだろう。どうやら心当たりがあるようで、ヒュース君は「ジンが、未来が視えると言っていることに関係があるのか?」と訊ねる。一瞬迷ったけれど、これはたぶん迅さん自ら言ったことだろうなと思って素直に肯定すると、ヒュース君は浮かない顔のままだ。

「もう一人に隠せないのはなぜだ?」

 ……さて、どうしたものか。迅さんのサイドエフェクトは知っていたようだけど、この様子だと空閑君のサイドエフェクトまでは知らない可能性が高い。となると、空閑君の情報まで渡してしまうのはマズイだろう。
 少し考えて、私は――本当に、心から――恥を忍んで告げる。

「……恋人、だから」
「…………は?」

 たっぷりと間を置くこと数秒。この会話の流れで、なにを言っているんだこいつは、と言わんばかりの怪訝な表情を向けられて居た堪れなくなる。

「だ、だから、恋人なの。その、いろいろ隠せないというか、隠してもバレちゃうというか……」
「…………そうか」

 返事までに大きな溜息をつかれたけど、結果オーライとしよう。恋人に隠し事はできない、という理由で誤魔化しておけるのならいい。ものすごく恥ずかしいのだけど、背に腹は代えられないし。
 いっぽうのヒュース君は、むしろ私が提供した情報のほうに興味を持ったようだ。

「それでいい。恋人というのも使い道はあるからな」
「……そうですか……」

 実際のところ、空閑君はそんなに甘くないと思うけどな……なんて。ともあれ、隠しきれない理由に関しては特に追及されることもなかったので、ほっと胸を撫で下ろす。
 気づけば、ヒュース君の目の前に残った食事はあとわずかだ。そう少なくない時間で食べ終えるのだろう。それまでに、と私は改めてヒュース君をうかがう。

「……まとめると、ヒュース君がここを出るのを『見逃す』だけ。それで構わない?」
「…………ひとつ、条件を足したい」

 これで取引が完了と思いきや、待ったをかけたのはヒュース君だった。私もさっき、迅さんと空閑君には隠せないと条件を出したばかりだ。ヒュース君からの条件はなんだろうと「なに?」と続きを促す。

「……もし、状況が許すならば、オレに『協力』しろ」

 さすがに、すぐに頷くわけにはいかない内容だ。近界民の味方をするとなっては職務規定違反どころではすまない可能性もある。かといって、私が悩むことも想定の範囲内なのだろう、ヒュース君は「難しく考える必要はない」と畳み掛ける。

「オレには使える駒が少ない。だが、お前が『使える』とわかれば選択肢も増える」
「……どう使われるかは、任せるしかないってことでしょう?」
「そうだ。信頼しろとは言わないが、代わりに前払いとしていくつかの情報をやる」

 ――それでもいいか、と期待したのはどうしてだろうか。たぶん、ヒュース君があまり悪い人には見えなかったからだ。いや、敵国の人間ではあるのだろうけれど、少なくとも彼は玉狛に対して恩義を感じているように見えた。ならば、彼に協力的だと見なされれば、彼なりに悪いようにはしないだろうと、安易に考えたのだ。

「……私が知りたいのは、ミカニコスって国のこと。知ってる?」

 ヒュース君の目がこちらをしっかりと見た。そこにはもう敵意は残っていない。ただ、真摯にこちらに応えようとする眼差しだ。間をおかず、ヒュース君はゆっくりと話しはじめた。

「ミカニコスのトリガー技術は独特で、並みの戦法では歯が立たない。そうだな……ランク戦とやらに似ている」
「……え?」
「防衛のために、国そのものが姿を変えるからだ」

 唐突に情報を提供され、へぇ、とぼんやりした相槌を打つしかない。国そのものが、ランク戦の舞台みたいに変わるということだろうか。大きい訓練室……仮想空間の星? 姿を変えるとなると、お母さんの故郷の景色、みたいな感慨もないのだろうか。

「あの国を巡っては不可侵条約を結んでいる国も多く、戦闘力という観点からはあまり確実なことは言えない」
「あ、えっと、別に戦いにいくつもりだとかそういうわけではないから……」

 突然仰々しい話になってしまったので、思わず口を挟んでしまう。ヒュース君は「ほう?」と少し不思議そうな表情を見せていて、言葉にせずとも、それならなんのために情報を? という疑問が聞こえてきそう。
 ……やっぱり、どうにもヒュース君って律儀なタイプに見える。いくら取引相手とはいえ、こんなに真摯に解答されると思っていなかったから戸惑ってしまうくらいだ。おそらく近界で情報を求めるのは侵攻に必要だからで、『確実なことは言えない』ながらも戦闘力の情報まで付け足すあたり、誠実さがうかがえる。

「……なら、これ以上は協力を得られたあとだ」
「うん、了解。前払い分だけでも貴重な情報だったよ」

 空閑君とレプリカからは、お母さんのトリガーのことしか聞いていなかった。ヒュース君はそういう事情を知らない分、シンプルに国の話をしてくれたので新鮮だ。もう少し聞ける情報があるならいいが、こちらがどの程度『協力』できるかも未知数だ。あまり高望みもするものではないだろう。
 ふと、いつの間にやらヒュース君は昼食を食べ終えていたらしい。空の食器が乗ったトレーが、それとなくこちらへと追いやられている。

「もう十分だ。戻っていい」

 結局、最後まで主導権を握られていたような気はするが……こちらとしても成果があったのだから文句も言えまい。私は素直にトレーを持ち上げ、立ち上がる。

「じゃあ、『また』ね」
「……あぁ」

 軽い挨拶をすれば、今度は返事があった。少しはヒュース君も警戒を緩めてくれただろうか。そんなことを考えながら部屋を後にする。
 ――迅さんは、どこまでわかってて会わせたのかな。
 緊張が解けたからか、最初に浮かんだのはそんなこと。まさかボーダーを裏切れというつもりで会わせたわけではないと思うが、お母さんの国の情報と引き換えに取引に応じるというのは、迅さんの予想範囲内の出来事かどうか。

「……なるようにしかならないか」

 ヒュース君が私になにを期待しているかわからないが、できることなら協力するし、できないことなら諦めてもらうしかない。迅さんが絡んでる以上は、悪いようにはならないだろう。
 さて、と気持ちを切り替える。だって明日はバレンタインだ。今日のチョコ作りは絶対に失敗できないのだからと、私は決意を新たに家へと戻った。


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