いよいよ迎えたバレンタイン当日。カバンの中にチョコを潜ませて家を出た。
とはいえ、はたして会えるのかどうか。学校で一日の大半を過ごしたあとでボーダーに向かうものの、ここ数日は姿を見ていないし、あまり期待はできなさそう。
やはり玉狛に寄るべきだろうか。けど、寄ったら夕飯だとかで気を遣わせてしまうかな。なにより小南や栞にはチョコを渡しにきたのだろうと察されてしまいそうで気恥ずかしいし……。
さて、どうしたものかと宛もなく本部をうろついていると、背後から「あれ?」と聞き覚えのある声が上がる。
「――水沢先輩?」
振り返れば、不思議そうに私に声をかけたのは三雲君だった。まさか、皆で揃って玉狛支部で作戦を練ったり、訓練したりしていると思っていた私にとっては青天の霹靂だ。
「三雲君? どうして本部に?」
「さっきまで太刀川隊にお世話になってまして……」
太刀川隊、とオウム返しすると三雲君は曖昧に相槌を打つ。言い淀む様子を見るに、訓練してたとかそういう話かな。だとしたらあまり聞かないほうがよさそうだと、早々に話題転換。
「三雲君はこれから玉狛?」
「えぇ、まぁ」
「……それじゃあ、途中まで一緒に行ってもいい?」
提案すれば、三雲君は快く頷いてくれた。よかった。一人じゃ勇気が出ないけど、三雲君も一緒ならどうにか、玉狛支部には近づけそうだ。
三雲君と二人、玉狛への道をのんびりと歩く。あまりランク戦の話を聞くと、秘密にしておきたいこともあるだろうからまずいかな。と、話題は他愛もないことばかり。
「三雲君、帰ってからご飯なの? おなか空かない?」
「それなりには……。でも太刀川隊にいる間、いろいろお菓子をいただいたりもするので」
互いに白い息を吐きながら、今日は出水君がどんなことを話していたとか、いつの間にか唯我君とも仲良くなっていたようで、彼の話やらをそれとなく。……太刀川隊でどんなことをしてるんだろう、とは聞かないほうがいいんだろうな、やっぱり。
「今日も、帰ったら作戦会議なの?」
「いえ、千佳は先に帰ってると思うので……」
……それなら、空閑君はどうしてるんだろう? もしいたら、いきなり会いにきた、みたいになっちゃうかな。忙しいだろうに、都合も確認しないままで……。
結局、話をしているうちに、玉狛支部も目の前まで来てしまった。三雲君は特になにも言わず、私が普通に玉狛に来たと思っているのかもしれない。こうなったら……と私は腹をくくる。
「……あのさ、三雲君」
「はい」
「私が玉狛に来たこと、言わないでくれる?」
「……え?」
ここまできて、なぜそんな提案がされたのか。混乱しているような三雲君に、なにも言わないのも怪しいかと、ちょっとだけ正直な事情を話す。
「渡そうか悩んでたものがあるんだけど……たいしたものじゃないし、部屋に置いてこようかなって」
「は、はぁ……」
「最近、ちょっと夕飯にお世話になりすぎてるからさ。今日はそれだけ置いたら帰るよ」
バレンタイン当日ともあって、三雲君はなんとなく察してくれたのだろうか。腑に落ちない顔をしてはいたけど、特に追求することもなく了承してくれたので息をつく。
おあつらえ向きと言わんばかりに、二人で入った玄関付近には誰もいなかった。三雲君に「じゃあね」と声をかけて別れたあと、私はこそこそ玉狛の一室を目指す。以前、休ませてもらった部屋は空閑君の部屋だったはずだから。
小さく三回ノックをしてみるが、応答はない。運良く部屋にいなかったことをいいことに、こっそりとお邪魔した私は机にチョコだけ置く。任務完了だ。メッセージカードをつけてあるし、私からということは伝わる……はず。あとは足早に、かつ静かに玉狛支部を立ち去るだけ。
「……はぁ……、なんか、隠密訓練してた気分」
やっと肩の力が抜けた私は帰路につく。次に会えるのはいつかな、なんて考えながら。
§
無事に帰宅し、妙な達成感から気分良くお風呂にも入って、身も心もさっぱりした。これで今日はぐっすり眠れるし、さて、明日はどうしようか――。
そう布団に入ろうとした矢先、とんとんとん、とノックの音が聞こえた。こんな時間にお客さん。しかもチャイムを鳴らさないなんて妙だ。怪しんだ私は足音を忍ばせて玄関に寄り、ドアスコープの向こうを見る。
ガラスの下半分に、真っ白な頭。私は、自分がもう寝間着になっているのも忘れて急いで玄関の戸を開けた。
「――く、空閑君!?」
「よかった。まだ起きてたか」
そう笑った空閑君が、確かに私の家の前にいる。寝てると思ったから、チャイムを鳴らさなかったのか。どうして、わざわざ家に?
突然のことに驚いていると、空閑君に「ちょっとだけ、上がってもいいか?」と訊ねられる。時間も時間だし立ち話もなんだし、ちょっと抵抗はあったものの、私はすぐに頷いて空閑君を部屋へと通すべく先導する。
「こんな時間に、どうかしたの? なにかあった?」
「うーん……まぁな」
ひと足先に腰を落ち着け、空閑君にも座ってと声をかけようとしたのだが……部屋に入る空閑君が「これ」と掲げてようやく、空閑君が手に持っている存在に気づいた。それは間違いなく、さっき空閑君の部屋に置いてきたはずのチョコレートだ。
「え、っと……?」
見る限りラッピングしたままの状態で、開けられた様子がない。まさか、突き返されてしまうとは思ってなかった。……食べれない、とかかな。どう声をかけるのがいいかと迷っていたら、空閑君は私を見据えたまま口を開く。
「おれ、ちゃんと和音ちゃんからもらいたい」
空閑君はそう言って、もう一度私へとチョコを差し出した。押し付けられるように受け取れば、空閑君はそのまま私の隣に腰を下ろす。黙って私を見つめて……もらえるのを、待っているような。
改めて二人っきり、しかも空閑君にはチョコを渡そうとしてることを完全に知られているこの状況。恥ずかしいが逃げ場もない。空閑君の無言の圧力に、私はどうにか勇気を絞り出して、空閑君へチョコをおずおずと差し出す。
「あの、えっと……今日はバレンタイン、だから……チョコ、受け取ってくれない、かな」
「なんで?」
理由を聞き返されて、ぐっと言葉に詰まる。やっぱりバレンタインイベントの意味は知らない、のかな。私はまた、どうにか勇気を振り絞って口を開く。
「……バレンタインは、好きな人にチョコをあげる日だから」
遠回しな告白。私の言葉を聞いた空閑君は、ようやく差し出されていたチョコに手を伸ばす。
「……うむ、ありがとう」
――受け取る空閑君は、いつかとよく似ている甘い声で笑った。
渡せた……の、かな? なんだか混乱してしまっているが、ともかくチョコは空閑君の手にある。……と、いうか。
「……わ、わざわざ、このために家に来たの……?」
「オサムに口止めまでして、部屋に置くだけ置いて帰るのはズルいだろ」
「く、口止めってほどは……」
「なんか変だなって声かけたら、渋ってたけどなんとなく教えてくれた」
「……うん、ごめん……今度謝っておく……」
……さすがに、三雲君に悪かったな。言わないでいいから、っていうのは話題に出さないでいい、くらいのつもりだったんだけど。私の懇願もあって、言っちゃダメだって秘密みたいになっちゃって悩ませてしまったのかも。
空閑君としても、友達を巻き込まれていい気はしないだろう。静かに反省していれば、空閑君はゆるゆると――眉根を寄せていく。
「おれには?」
「え?」
「ばれんたいん、とやらに夢中だったんだろうが、一週間ぶりだぞ」
自分に言うことはないのか、と言わんばかりの声色だ。空閑君の言う一週間ぶりって、つまり?
「一度も玉狛に来なかったし、おれが本部に行ったときもいないし」
「う、うん……」
「あんまり会えないの、嫌なんだけど」
……え、と思わず驚くような声を落としてしまった。聞き間違いか、それともなにか勘違いしちゃっているのか。呆然としている私を見る空閑君は、さらに表情を険しくさせる。
「……和音ちゃんは、会わないほうがよかったのか?」
「え? そ、そんなことない、けど……」
「だったら、なんで置いて帰ったんだ。声くらいかけてくれたっていいだろ」
「だって……空閑君は忙しいのに、こんな……イベントで浮かれてるの、迷惑かなって……」
話しながら、はっと気づく。遅い時間になってしまったが、明日はまたランク戦のはずだ。
「ご、ごめん。明日もランク戦なのに、こんなことしてる場合じゃないよね」
「なんで」
いつもより低い声に、背筋がぞわりと震えた。空閑君……怒ってる? 一瞬で身体が固くなってしまったが、空閑君も気付いたのだろうか、すぐに表情を緩めた。ふう、と息をついたと思えば「あのな」と話が続く。
「ランク戦とか心配してくれるのはありがたいが、それなら、おれと会う時間も作ってくれ」
「……え、っと、でも……」
「避けられてるのかと思ったし、そっちのほうが困る」
「え!? ご、ごめんなさい……」
「……いいよ。まぁ、言われてみれば和音ちゃんの考えそうなことだし」
ふと見れば、空閑君は呆れたように笑っている。私の考えそうなことだ、って空閑君は思うのか。それが、なんだか――嬉しい、と思うのは、どうしてだろう。
「……空閑君」
「ん?」
でも、空閑君からしたら避けられているように感じた、というのは困ってしまう。バレンタインで浮かれている私を見られたいわけではないが……会いたくないわけではないのだから。
「……あのね、なんというか……空閑君にがっかりされるのが怖くて……チョコ、置いて帰っちゃって、ごめんなさい」
「……おう」
「……その……えっと、会いたいっていうのが、邪魔になったら、困るなって……」
「和音ちゃん」
話しながら、だんだんと目線が落ちていく。すると空閑君の手が伸びてきて、行き場のなかった私の手に重ねられる。絡んで、ゆるく繋がった手。温かさに緊張が少し溶けた、次の瞬間。
「おれも、和音ちゃんが好きだよ」
「――っ」
「だから、会えたら嬉しい。和音ちゃんも会いたいって思ってくれたなら嬉しいよ」
ぎゅう、と胸がいっぱいになって張り裂けそうだ。そのまま泣いてしまいそうで堪えていると、今度は空閑君の空いた手が持ち上がって――ゆるく、頭を撫でられた。二度、三度と触れられた手が離れていくのを感じて、名残惜しさに顔を上げる。
目の前には、いつもと同じように微笑む空閑君がいる。ほっとするような、ドキドキするような……もっと、近付きたいような。
「……なあ。チョコ、食べてみてもいいか?」
「え、ウチで……?」
「ダメか?」
「……美味しくなかったらごめんね」
「大丈夫だろ」
目の前で手作りのチョコを食べられるというのは、ものすごいプレッシャーなんだけど……。でも、私の前で食べてくれるほうが、もし中身が崩れちゃったりしててもごめん、って謝れるからいいだろうか。
悩みつつ、私はお茶でも淹れようかと提案する。自然と離れた距離にどことなく不満を覚えながら、来年はもっと素直にチョコを渡したいな、なんて贅沢なことを考えるのだった。