取引の裏の裏?
「そいつらを人質として、自分の手で掴まえて連れてこい」

 陽太郎を庇おうとして――ふと気づく。そいつら、とは複数を示しているような。これ、もしかして私も対象として含まれているのだろうか。
 ヒュース君は当然、遠征艇に乗りたいはず。だが、どうにもこの人は完全な仲間というわけでもなく、乗りたいなら陽太郎と私を人質として捕まえてこいと言う。ヒュース君がどう出るかはわからないが、私が換装しようものなら争いになることは間違いないだろう。ヒュース君とこの人の二人を相手に、陽太郎を逃がせるだろうか。
 ――考えるより先に、ヒュース君の視線が私へと向いた。

「来い」

 脳裏に過ったのは『協力』という言葉。それから迅さんの『たぶん悪いやつじゃない』という言葉だ。陽太郎が一生懸命にヒュース君を追いかけたことも、トリガーを受け取ったヒュース君が「悪かった、ありがとう」と言った姿も見た。ヒュース君なら、陽太郎を悪いようにはしないはず。
 だから、呼ばれたとおりにヒュース君へと歩み寄った。近づいて――強い力で腕を掴まれ、視界がぐるりと反転する。地面に叩きつけられた脇腹が痛み、どうやら地面に転がされたらしい。瞬間的な痛みで呼吸が覚束ない私を、ヒュース君は容易に制圧した。

「大人しくしていろ」

 ヒュース君の冷たい声が落ちるが、矛先は私のはず。水平の感覚があやふやだが、私は地面にうつ伏せにさせられ、さらには暴れないようにか腰あたりを踏みつけられているらしい。
 苦しいながらも瞳だけで見上げた近界民の表情は怯えていた。どうやら、充分な見せしめにはなっていそうだ。私は言われたとおり、制圧されたままじっと耐える。

「子どもは荷物になる。こいつで十分だろう」
「ふ……ふざけるな! その子どもが、このことを言いふらしでもしたら……」
「なにか問題でも?」

 ヒュース君の問いかけは近界民の本心を探っているようにも見える。ヒュース君が私を制圧したままの今なら、陽太郎が逃げていくこともできるだろうか。いや、それには相手が従えるトリオン兵も処理する必要があるし、まだ様子を見るしかない。

「い、いいから、その子どもも連れてこい!」
「……断ると言ったら?」

 ヒュース君が食い下がるあたり、陽太郎にまで危害が及ばないようにしてくれているのだろう。けれど、近界民は頑とした態度を崩すことなく「当然、遠征艇には乗せられない」と返答する。こうなると、どうやって陽太郎を逃がしてやればいいのだろうか。
 ――不意に、足音がした。
 音の方角的に陽太郎だろう。呼ばれていないのに、自ら遠征艇に乗り込むべくこちらに近づいてきたのだろうか。

「……っ、……」

 だめ、と反射で口にしようとしたのだが、ヒュース君は私を抑える足にぐっと力をこめたらしい。苦しくて声が出ず、上から「じっとしていろ」と声が落ちる。
 間。のち、隣でどさりと陽太郎がうつ伏せに倒れ込んできた。

「……よ……っ!」

 再びぐ、と力強く踏まれて身体が痛む。名前を呼びたくても呼べず、どうしよう――と、陽太郎を見て、違和感。……血がない。トリオン漏れもない。

「……これでもまだ疑うか? さっさと案内しろ」

 ヒュース君はまだ、私を手土産に遠征艇に乗り込むつもりらしい。ともかく陽太郎だけは無事であれば――と、思っていたのに。

「『案内しろ』だと……!? するわけねーだろバカが!!」

 突然の罵声を皮切りにして、堰を切ったようにあれよあれよと事情を洗いざらい怒鳴っていく。もともと遠征艇に乗せるつもりはなかったのだろう。それどころか、ヒュース君が恨まれ役になるように人質だのなんだのと言い出したようだ。

「おまえは国に捨てられたんだよ!!」

 ふ、と背中にかかる圧が弱まった。国に……仲間に捨てられたヒュース君。目の前の近界民もまた、彼の味方ではないことが確定した。
 近界民はそのまま「玄界の女を人質にしたのも、子供を殺したのもお前だ!」だの「恨みはてめぇらでかぶってろ!」だのと罵声が聞こえて――そろそろ動くべきだろうか、と考えはじめた頃。

「……それはつまり、ヒュースはかえれないってことか?」

 隣に倒れていた陽太郎がむくりと起き上がる。なるほど、どうやら死んだように見せかけるべく、ヒュース君と示し合わせていたらしい。違和感があったのはこれが理由か。陽太郎が自らヒュース君の元に近づいたのも意図してのことだったようだ。
 近界民は気づいていなかったのか「生きてる……!?」と驚いている。ヒュース君の制圧もなくなったので、私は痛む身体をどうにか起こして陽太郎をかばう。このまま陽太郎を連れて逃げたほうがいいかと、動くより先に頭上から冷たい声が落ちた。

「――先に嵌めようとしたのはどっちだ?」

 目の前の近界民が換装したのと、ヒュース君が換装したのはほぼ同時だったのだろう。気づけば周りを囲うように黒い欠片が蛇のように動き、うねり、まるで私達を守っているようだ。
 私が状況を理解するより先に、あっという間に決した勝負。ドンと破裂音と同時にバチ、と妙な音がして、煙が晴れた頃には閉じかけたゲートだけが残っていた。陽太郎が不思議そうに「ベイルアウトか……?」と口にすると、背後からざり、と足音がした。

「どうやら、向こうも緊急脱出を開発したらしい」

 なんと、いつから迅さんは来ていたのだろうか。目まぐるしく動く状況に着いていけないままでいると、ヒュース君はさっと換装を解いた。迅さんは特に気にした様子もなく、私の下へと来てしゃがみこむ。

「大丈夫か? いやー、どうなることかと思ったよ」
「……どうなりました、か?」
「敵さんはだいたい撤退したよ」

 ふ、と視線がうつり、迅さんは陽太郎と……ヒュース君を見ながら「おまえら、息の合ったいい芝居だったな」と笑っている。
 とはいえ、残されたヒュース君は心中穏やかでもないのだろう。国に裏切られて、帰る手段を得ようとした取引にも失敗したのだ。ヒュース君はこの前のランク戦でのやりとりで得た賭けの権利を、今ここで使うと宣言して迅さんに告げる。

「どんな手を使ってでもオレをアフトクラトルへ送り届けろ」

 迅さんは、まるで視えていたかのように笑った。そして「おまえにぴったりの席が空いてる」と言って――みんなで玉狛第二の試合を見に行くことに。
 私も行くのかと渋ったものの、迅さんは「下じゃないから大丈夫だよ」と笑う。まぁ、ヒュース君も連れていくくらいだし、今は迅さんに任せようと後を追う。その道すがら、迅さんが私にこっそりと声をかけてきた。

「さすがにさ……情報統制されてたとはいえ、おまえが一切気づかないとは思ってなかったんだよ」
「……侵攻があったことですか?」

 迅さんに頷かれて、思わず首を傾げてしまう。情報統制されてたということは、侵攻があると予測されてはいても、その情報を持っているのはひと握りの人間だけだったのだろう。私は現状戦力外のようなものだし、通達がなくてもおかしくない。それなら、気づかなくても仕方がないのでは……?

「あげく換装もせずヒュースを追いかけるから、手の出しようがなかった」
「……それは、すみませんでした」

 いざというときには……と思ってはいたものの、ヒュース君に制圧されてそのまま。結果として換装すらしなかったし、あの近界民からは民間人に見えたんじゃないだろうか。
 あげく、荷物も玉狛に放ったままだった。つまり連絡手段のない状態の私が近界民に遭遇する未来が確定した瞬間、迅さんがどんな気持ちだったのか……。想像すると、さすがに申し訳なくて項垂れるしかないものの、迅さんはへらりと笑ってみせる。

「まぁでも、大事にならなくてよかったよ」
「……私、もしかして危ない橋渡ってたりしました?」
「そりゃもう。さすがに今回は逃がしたかと思ったよ」

 逃がす、なんて妙な言い方に迅さんを見るが、唇を尖らせながらおどけたように笑っている。真意は読めないが、けれど今回に関してもまた気苦労をかけたことは間違いないだろう。私は改めて頭を下げる。

「ありがとうございました。とりあえず、無事みたいです」
「ああ、無事でよかった」

 安心したような迅さんの笑顔に、私もようやく肩の力が抜けた。――と、同時にズキリと痛んだ背中……いや、脇腹に近いか。どうやら打ち身になってしまったようだが、これくらいで済んで良かったのだろう。
 今はともかく、ランク戦に間に合うように急がなければ。私は急ぐ皆に遅れないよう、必死で着いていった。


[84/110]

 

サヨナラの引力

 

ALICE+