B級ランク戦、夜の部、五試合目。玉狛第二の対戦相手は香取隊、柿崎隊だった。
いつの間にか三雲君と千佳ちゃんが、それぞれスパイダーとレッドバレットのトリガーを習得していたらしい。スパイダーを足場に縦横無尽に敵を翻弄し、レッドバレットの援護を得て動きが鈍った一人一人を捌いていく空閑君。最終的なスコアは7対1対1と圧倒的なものとなった。
そのまま、あれよあれよと言う間にお祝いの会といわんばかりの夕飯の席にまでお呼ばれし、一緒に鍋をつつくことになり。ヒュース君が玉狛第二に加入したい、という話になって、本部の承認を得るべく三雲君が対策を練るとまで話が進んだのだが――
「じゃあ、おれは和音ちゃん送ってくるから」
人もまばらになった玉狛の食堂で、ふいにそんなことを言い出した空閑君。思わず「え?」と声を上げてしまった。
「え、えぇと、ヒュース君を隊に入れるの、大変なんじゃ……」
「うむ。まぁ、おれにできることはない」
「……潔いけども……」
あっけらかんとする空閑君に呆れてしまうが、三雲君も「平気ですよ」と飄々とした顔。「あとで相談はするかもしれないけど」と零すので、空閑君は「了解」と返すだけ。
「ほら、隊長の許可が下りただろ」
「……忙しいのにごめんね、三雲君……」
「いえ、気にしないでください」
本当に気にしていない……というよりは、やるべきことに意識がいっていて私のことを気にかけるまでもない、といった雰囲気だ。別に、これまでもちょくちょく送ってもらっていたし、あまり気にするほうが変だろうか。
ためらいはあれど、私は空閑君に連れられるまま玉狛支部を後にすることに。そして玄関から出て――するりと、指が絡む。けれど会話はなく、玉狛支部から離れた頃に空閑君が急に立ち止まった。
「……これ、誰にやられた?」
聞き慣れない低い声に、背筋が凍ったかのように動けなくなる。私がなにを言うよりも先に、絡めとられた指はそのまま、袖をそっと捲りあげられた。いつのまにやら内出血でもしてるかのような気味の悪い色をした痣ができていて、ぞわりと寒気立つ。
「……え、なにこれ……」
「……おれが聞いてるんだが」
「だって、どうして――」
こんな痣が、と言いかけて閃いたこと。もしかして、ヒュース君に掴まれた痕だろうか。あの時のヒュース君はトリオン体だったようだし、途中でぎゅうと力が籠もったのもあるし、それで痣になってしまったのかも。
……だとしたら、これはどう説明したらいいのだろうか。単にヒュース君に掴まれた、と言えば間違いなく誤解を生む。
「……待って、順を追って説明したいんだけど」
「ほう」
私が今日、玉狛支部でランク戦を見ようと足を運んでから、いなくなったヒュース君を探しに陽太郎と追いかけ、近界民と接敵したまでを説明する。陽太郎を人質にと言われて、ヒュース君が抵抗すべく見せしめのように私を制圧したところは……さすがに聞こえが悪いだろうと言葉を濁して簡潔に。
「……人質にするフリで、強く掴まれたり、引っ張られたりしたから……その時についた痣だと思う」
「ふうん……」
「あの、だから……大丈夫だよ」
空閑君がじいっと私を見つめる眼差しには、私が口にする言葉を精査しようとしているような気配があった。おずおずと、ヒュース君が陽太郎を庇おうとしていたこと、私もトリガーを使わずにすんで安心していると付け足せば、空閑君の纏う鋭さがようやく消える。
「……和音ちゃんがそういうなら」
「うん、何事もなくてよかった」
「…………怪我、ちゃんと診てもらえよ」
空閑君はまだ物言いたげにしていたけれど、自分でも気付かないくらいだから、放っておけばそのうち治るだろう。ともかく重苦しい雰囲気をどうにかしたくて、私はわざと一歩、歩き出して空閑君の手を引く。そうすれば空閑君も歩き出したので、さらに話題を変えるべく私から声をかける。
「ねぇ、今日のランク戦もすごかったね」
「……ん?」
「三雲君のスパイダーも、千佳ちゃんのレッドバレットもびっくりしたし」
「ふむ、そうだろう」
「空閑君がスパイダーを足場にして相手を追い詰めていくの、本当にすごくて……」
勢いを止めないように、吸った息を吐き出す勢いに言葉を乗せる。
「……かっこよかった」
気恥ずかしさから突っかかりながらも、どうにか声に出せたそれ。空閑君は、あまり動揺もせず「それはどうも」と返事をくれる。必死に伝えたわりには暖簾に腕押しかと眺めていると、空閑君はいよいよ表情を緩めた。
「……さすがに、ちょっと照れるな」
言葉ではそう言うものの、表情は普段とそう変わらない穏やかな笑顔だ。けれど、わずかに眉根を寄せているあたり、本当にちょっとは照れてくれているらしい。
……あぁ、また。かわいい、なんて気持ちが浮かんでしまって、ぎゅうと握る手に力をこめる。いつもと変わらない笑顔がそこにあって――脳裏を過ぎるのは、今日のランク戦の映像。
「……無事でよかった」
「え?」
「前回も怖かったけど、今回も……あんな大きな傷ができて、びっくりしちゃったから」
空閑君は不思議そうに「ランク戦だぞ?」と首を傾げている。たぶん、それが普通の反応なのだろう。昔、迅さんにあれほど訓練させられたというのに、空閑君を見ているとあの頃の恐怖心が蘇ってくるようで。
「……次も、頑張ってね」
空閑君は少し間をおいて「おう」と返事をしてくれた。
§
帰宅して早々にベッドに入って翌日の朝。ちょうど学校へ向かうべく家を出ようとした矢先に、端末の着信音が鳴り響いて足が止まった。誰かと思えば、表示された名前に思わず背筋が伸びて――
「もしもし、鬼怒田さん?」
『水沢、おい、至急開発局まで来い』
「え? えっと、任務ですか……?」
『あとで処理してやるからすぐに来い。いいな!』
ぴ、とすぐに通話が切れて、一瞬の出来事に呆けてしまう。急な任務だとか、計測だとか、そういう感じではない呼び出し。いったい何事だろうか。とりあえずは学校に欠席の連絡を入れて、急いでボーダー本部、開発局へと足を向ける。
「鬼怒田さん、おつかれさまで――」
「遅い! こっちへこい!」
挨拶を遮って、私を別室へと連れ出す鬼怒田さん。何事かと思えば、目の前に用意されたディスプレイに明かりがつき、映し出されたのは……ヒュース君と、昨日の近界民が相対している場面だ。
「……これは」
「わかっているな。このあとだ」
鬼怒田さんが操作をすると画面が動きだし、ふいにヒュース君が振り返る。もちろん、その先にいるのは追いかけてきた陽太郎と私だ。そのまま昨夜の一部始終が流れていき、足蹴にしていた私を解放したあたりで映像が止められる。
「玉狛から、このヒュースという近界民の入隊許可を求められている。午後から会議だ」
「……少しは話を聞いています」
「ヒュースがこちらに協力したひとつの件として挙がったものだが、どういうわけでおまえが足蹴にされとるんだ」
鬼怒田さんは怒り心頭といった様子だ。隊員を足蹴にしておいて、なにが協力的だと文句を言いたいのだろう。少なくとも映像で読み取れるものだけでは誤解を招くと、私は慌てて口を挟む、
「あの、話の流れを説明してもいいですか?」
「そのためにおまえを呼んだんだ! さっさとしろ!」
……ということで、玉狛支部を抜け出したと思われるヒュース君を陽太郎と二人で追うところから、敵近界民に人質にされかけた件をしっかりと強調しつつ、一部始終を説明する。ヒュース君はおそらく、陽太郎を逃がすために、見せしめとして私を利用したのだろうことを重ねて強調すれば、鬼怒田さんは怒りもそぞろに唸っている。
「……おまえ、足蹴にされておいてなにを庇っとるんじゃ……」
「だって陽太郎に目をつけられて、トリガーを使えるかどうかも自信がないあの状況で、ヒュース君がうまく立ち回ってくれなかったら……どうなっていたかわかりませんよ」
ヒュース君が陽太郎を庇う様子があってよかった。私としても、堂々とヒュース君の肩を持てるというもの。
ともかく鬼怒田さんには、あの近界民の目的がヒュース君を嵌めるものでなければ、争わずに陽太郎だけでも見逃してもらえた可能性だってあったと反論する。なにより一芝居をうったのだって陽太郎を逃がすつもりだったからのはずで、十分に協力してもらいましたと重ねれば、鬼怒田さんは大きな溜息をついた。
「……おまえ、この時もトリガーを使っとらんかったのか」
「はい」
「話はもういい。とりあえず医務室に行ってこい。ほかにも怪我をしとらんか診てもらえ」
「あの、ヒュース君の件は……」
「悪いようにはせん。いいから行ってこい!」
食ってかかるなと言わんばかりに手でしっしと追い払われてしまった。私のことで玉狛第二への加入が妨げられることは避けたいが、あとは鬼怒田さんの判断に任せるしかないのだろう。私は指示どおり医務室へと向かう。
そういえば空閑君に手首の痣を指摘されていたな……と改めて自分でも見てみると、なにやら紫色の痣になってしまっているような。打ち身があると思われる背中も痛むことがあった。着いた医務室でそのまま話をすれば、とりあえず骨は折れていないとの診断だ。
「怪我の内容をまとめてお送りしますと、鬼怒田室長にお伝えください」
「わかりました」
私は医師からの話を伝えるべく、開発局へと踝を返す。たいした怪我じゃなかった、というのも重要な判断材料だろう。少なくとも、必要以上にこちらを害していないというのは主張できるのだし。
午後の会議までに正確な情報が伝わって、私の件が問題にならないことを祈るばかりだと、重ねて証言をするべく足を急がせるのだった。