ひっくり返した仮面の裏
 買い物を終えて、無事に自宅へと帰り着いた。キッチンの隅に買ってきたものを置いてもらい、互いに身支度を整えれば準備は完了だ。

「よし、最初にやり方だけ見せるね」
「おう、頼む」

 私はとりあえず大根を洗ってヘタの部分を切り落とす。そのまま一回、厚めの輪切りにして、自分の手元で皮むきを実演してみせることに。

「皮むきは、包丁じゃなくて野菜の方を動かすの」
「ふむふむ」

 一周くるりと回して皮がぺろりと剥けるのを見せれば、おぉと歓声をもらした空閑君。あとは任せようと包丁を渡すと、輪切りのところから真似を始める。どんな手つきなのかと緊張しながら見守ると、猫の手で野菜を押さえるのは教わったらしい。けれど、ずだん! と激しい音を立てて輪切りにした空閑君。どきりとする間にも眉間に皺を寄せながら皮剥きに挑戦を始める。
 と思ったら、どうにも最初の一手が難しかったのか、ざくりと食い込んだ包丁。抉ったとこからずりずり、たまに、ざくっと大胆に包丁が入り、歪な形の大根がまな板に転がる。

「うむ、加減が難しいな」
「……そうみたいね」

 丸々一本を買っといてよかった。でもあの皮、勿体ないかな……あ、生ゴミに……。
 まぁ、もう、細かいところは見ないふり。奮闘する空閑君を横目に私はケトルでお湯を沸かす。ついでに軽く洗った卵も入れて一緒に茹でつつ、買ってきた袋の中身を漁る。

「和音ちゃんみたいにくるくる回らん」
「うーん……? あ、根元でやったほうが持ちやすいと思うよ」

 ねもと、と首を傾げる空閑君に場所を指し示せば、大根の位置をずらして再び挑戦。今回は多角形くらいにはなってそうだ。力の加減を覚えてる最中なのかも。
 パチンとケトルが鳴ったから、お湯を卵ごとボウルに入れて、少しの間脇においておく。余熱で火が通るくらいには時間もかかるだろうし。再びお湯を沸かして、下茹でのためにこんにゃくを……あぁ、包丁は空閑君だ。

「空閑君。こっち先に切ってくれる?」
「……なんだこれ?」
「こんにゃくっていうの。えーと、これはね」

 空閑君が好きかわからないから、一口はちょっと小さめに。ついでに力を抜いて切るように進言すれば、まな板に響く切り方を改めてくれた。さらに包丁で表面を格子状に撫でてほしいと頼めば、軽く切り込みも入れてくれる。なるほど、つまり切ろうと思うと力加減がへたくそになっちゃうんだろうな、きっと。

「できたぞ」
「ありがとう。じゃあ大根の続きもお願い」

 すっかり楽しんでいる様子の空閑君はおう! と元気な笑顔で返事をくれる。任せながら、私は私で空閑君が切った少しだけ不恰好なこんにゃくを鍋にいれて下茹でを始めた。タイマーをセットして、あとは放っておくだけ。ついでに再びお湯も沸かしつつ。

「……やっぱり皮むきは難しい」
「そうねぇ。こればっかりは慣れかなぁ」

 まな板の上でものを切るのは大丈夫そうだけど、皮むきは別だ。とはいえ、じゃがいもみたいな凹凸がないぶんマシだろう。大根の輪切りをかつら剥きの要領でやるなら、ほかの野菜に比べてもやりやすいはず。
 空閑君のチャレンジした大根達は側面がガタガタになってしまってはいるものの、手つきの危なっかしさはなくなってきている。コツは掴めてきたらしい。

「うむ、皮は剥けたぞ!」

 どうだと言わんばかりの笑顔を見せる空閑君に笑顔を返す。まだ包丁を手放すつもりはないようで、それならと面取りも頼んでみることに。これもこれで繊維の妙な感覚が引っかかったからか歪に剥かれた角。隠し包丁は撫でるように、と念を押してお願いしたら、どうにかひと通り下準備がすんだ。

「包丁はもう終わりかな。片付け頼んでもいい?」
「りょーかい」

 洗い物に取り掛かる空閑君を尻目に、私はほかの具材の下処理を続ける。空閑君が切ってくれた大根はスチーマーに入れてレンジにかけてしまおう。下茹でにセットしていたタイマーが鳴ったので、茹だったこんにゃくはざるに出してひと段落。そろそろ卵にも十分熱が通っただろうか、ぬるま湯から取り出して確認。

「……和音ちゃんは、さっきから変なことばっかやってるな」
「下準備にはいろいろあるんだよ」

 さて、ゆで卵の殻は空閑君にも協力してもらって剥いていく。ひと段落する頃にはレンジが鳴って、スチーマーに入った大根も準備万端。台所には下ごしらえの終わった具材が並ぶ。

「よーし、あとは全部まとめて煮込むだけ」
「え? これとか、さっき茹でてなかったか?」
「さっきのは下茹で。今度はちゃんと味をつけるために煮るんだよ」

 やっぱり買い物の時点で想像して素を買っといてよかったなぁ。裏面で必要な水の量を確認し、計量カップを取り出して準備する。練り物以外は全部具材を鍋にいれてもらって、とりあえずは沸騰するまでと火をつけた。

「ざるとかは先に洗っちゃおうか」
「おう。それも任せろ」

 ひと足先にまな板やら包丁の調理器具を軽く洗ってもらえば、これで夕飯作りも終わったようなもの。あとは煮えるまで待つだけなので、少し時間が空く。沸騰してから練り物を入れて、最低でも十五分くらいでいいだろうか。
 ちょっとだけ手持ち無沙汰になった間はのんびりと過ごしつつ。タイマーが鳴ったらお鍋ごと食卓へ運び、おなかが膨れるようにご飯も添える。

「と、いうことで今日の夕飯はおでんです」
「うむ! いただきます!」

 空閑君力作の大根は見た目こそ不恰好だけど味は問題ない。思わず「頑張ったねぇ」なんて声をかければ、空閑君には「またおかーさんだ」と笑われてしまった。
 あっという間に食べつくした空閑君は洗い物をすると名乗り出てくれる。任せることにして、私は食後の一服にとお茶の準備をすませた。そうして再び食卓につく頃には、互いにそろって溜息をついてしまう。

「ごめんな、大変だったか?」
「ちょっとね。でも楽しかったよ」
「うん。おれもだ」

 最初はどうなることかと思ったけど無事に終わってよかった。空閑君は、今回のことで味を占めたのか「玉狛でも作ってみるか」と満足げだ。次の夕食当番の時には、きっと今日より上手に大根の皮を剥けるようになってるだろうな。
 そんなことを考えていたら、空閑君が突然「ところでさ」と話を変える。

「明日も玉狛に来られるか?」
「う〜ん、昨日も夕飯ごちそうになっちゃったからな……」
「寄ってくれるだけでいいんだ。帰り、また送ってくから」
「――それなら、大丈夫」

 二つ返事で了承してしまうのは、やっぱり会いたいからだ。もっと贅沢なことを言えば、今みたいに、いつもの帰り道と同じように、二人で過ごす時間が欲しいから。
 約束を取り付けて安心していると、空閑君は「そろそろ帰るよ」と腰を上げる。明日もあるし、あまり遅くならないように気を遣ってくれたのだろうか。名残惜しいながらも、私も見送るべく立ち上がる。追いかけて――

「あ、っ……!」

 ――足元にスーパーの袋が引っかかった。空閑君は器用に避けていたようだが、私はといえば、買い出しを終えた袋の片付けをすませないまま、その辺に置いていたのだと今頃になって思い出す。
 まずい、踏んじゃだめだと、とっさに不恰好に踏み出した片足。呆気なくバランスを崩した私に気づいたのか、振り返った空閑君が私に手を伸ばす。縋るように掴んで、それを支えにどうにか袋を避けて足を床へと下ろす。
 よかった、踏みつけずに済んだ、と思ったのも束の間。

「――大丈夫か?」

 耳元で空閑君の声がする。吐息が肌をくすぐるような感触と、すぐそばに感じる熱。思わず縋った空閑君の腕だけじゃなく、身体にさえ触れてしまえそうな距離だ。視線を泳がせているうち、目の前にある空閑君の目と視線が絡む。

「ご、ごめん……っ」

 焦ってしまって、謝りはするものの身動きひとつとれない。下手に動いたら、空閑君に触れてしまいそうだ。いや、腕に縋りついているのだからいまさらか。息をのんでいると……背中に、ぞわりとした感触。支えてくれていたのだろう空閑君の手が、私の背中を緩くなぞる。

「……気をつけないと、危ないぞ」

 すぐそばで響く声に、わずかながらも頷いてみせる。すると空閑君は、ゆっくりと身体を離してしまった。引き止めるなんてできなくて、遠くなった身体が名残惜しい……なんて、なにを考えてるんだろう、私。
 空閑君は平然とした様子で玄関へと向かい、いつもの調子で靴へと足を差し入れながらこちらを見る。

「それじゃあ、今日はありがとな」
「う、うん。おやすみなさい」

 とんとん、と軽快な音を立てて靴のつま先で床を蹴りつける空閑君。いつも通りの笑顔で手を振るので、扉の向こうへ消えていく姿に呆然と手を振りかえす。扉が閉まったのを見届けて、途端に力が抜けた私はその場にへたりこんだ。

「……キス、しちゃうかと思った」

 わけのわからない恥ずかしさに思考が乱されて。結局私はそのまましばらく、玄関で呆然としていたのだった。


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サヨナラの引力

 

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