けじめのつけかた
 涙も落ち着いて、ようやく緊張も解けてきた頃だった。唐突に鈍い振動音がして、空閑君が「すまん」と言いながらちょっとだけ身体を離す。どうやら通知が来ていたようで、空閑君はポケットから端末を取り出して画面を覗き込んだ。

「ヒュース、これから上にくるって」
「……うん」

 名残惜しいが、私は渋々と空閑君の身体を緩く押し返す。大丈夫、という意図が伝わったのか、腰に回されていた手も離れていって……さみしい気持ちを胸の奥に押し込める。
 わざわざ来る前に連絡をしたのは、ヒュース君がマメであることの証左だろうか。はたまた馬に蹴られるのはごめんだと、予防線を張っているのだろうか。いずれにせよ見られなくてよかったと、胸を撫で下ろす。
 あとは、泣いたというのがヒュース君にバレなければいいんだけど。心配になって目元に触りながら確かめていると、空閑君が下からのぞきこんでいる。

「……泣いたって、わかる?」
「うーん……暗いから、わかりづらいとは思うけど」

 空閑君は自然と手を伸ばして――親指が、私の目元を優しく撫でる。びくり、と肩が跳ねた。

「……まだ照れるのか」
「だって、そんな、慣れてない、し……」
「ふむ。じゃあ慣れてもらわないとだな」

 言いながらも、ヒュース君が来るからか呆気なく手が離れていく。とても慣れる気はしないが、ともかく今は再び激しくなった動悸をどうにか静めないと。
 そうしている間にも、ヒュース君があがって来ていたのだろう。屋上の扉がガチャリと開くので、空閑君と揃って振り返る。

「待たせたな」
「おう」
「えっと、お疲れ様、ヒュース君」

 声をかければヒュース君は「あぁ」と返事をくれる。ずいぶんと人当たりが柔らかくなったような……と考えてると、挨拶もそこそこに「本題だが」と切り出す。私を見据えたあとで――頭を下げたヒュース君。

「怪我をさせてすまなかった」
「……え?」

 なにを突然と呆けている間も、ヒュース君はずっと頭を下げたままだ。慌てて顔を上げるよう伝えると、ようやくこちらに向き直ったヒュース君。ふざけているわけでもなく、真摯に謝罪をするためだけにこの場を設けたらしい。

「和音は生身だったのに加減できていなかった。怪我は大丈夫か?」
「もう大丈夫……というか、換装してない私のせいもあるから気にしないで……」

 すごく真面目に謝られてしまうと、逆に肩身の狭い思いだ。鬼怒田さんにも散々怒られたくらいで、そもそも侵攻の真っ最中に換装もせず近界民と接敵した私が全面的に悪いのだから。
 そんな私達のやりとりを眺めるだけかと思いきや、空閑君は「それで?」と話を促す。ヒュース君は「それだけだ」とあっという間に用事を終えたことを示唆する。

「……和音ちゃんの怪我のことを謝りたかっただけなのか?」
「そうだ」
「なんでおれも一緒に?」
「恋人に怪我をさせられて、いい気はしないだろう。けじめをつけておきたかった」

 予想だにしていなかった理由に面食らう。チームメイトになるにあたって不穏の芽は摘んでおきたい、という意味合いもあるのだろうか。だとしても、わざわざ空閑君の前で私に誠意を見せるというのは、なかなかできることではないような。
 私が感心しているいっぽうで、空閑君はきょとりとした顔だ。どうしたのだろうかと様子をうかがっていると、空閑君は――私はすっかり失念していたのだけど――至極当然の疑問を口にする。

「なんでヒュースがおれ達のこと知ってるんだ?」

 ――ぎくり、としたのはバレているだろうか。ヒュース君もまた目を丸くして空閑君を見ていたが、私の表情を見て察したようだ。

「和音からまだ話を聞いていないのか?」
「……うむ、たぶん」

 探り合うような会話のあと、呆れた目線が私に向けられる。恋人には隠せないと言った手前、まさか話してないとは思っていなかったのかもしれない。刺さる視線から逃げるように目を逸らしていると、ヒュース君が大きく溜息をつく。

「……和音」
「は、はい……」
「あとはそっちで片付けてくれ」
「わかりました……」

 巻き込まれるのはごめんだ、と言わんばかりに圧をかけて、ヒュース君は踝を返し去っていく。
 まさか、今頃掘り返されることになるとは露とも思っていなかった。頭を抱えていれば空閑君はもの言いたげに私を見ている。

「……で?」

 口調は穏やかだが、目つきは全然穏やかではない。さすがに怒っている様子の空閑君を前に、私は項垂れるしかない。それでも、空閑君はまったく手加減してくれるつもりはないようで。

「それで? どうしておれたちが付き合ってるって話になったんだ?」
「えぇと、その、どこから話せばいいのか……」
「なるほど、おれに話せないところがあると?」
「いえ、あの、話します。話すんですけど、えぇと」

 さすがに圧が強くて降参するしかない。私はおずおずと、まだ軟禁状態だった頃のヒュース君の部屋に食事を持っていき、その場で取引を交わしたまでの一部始終をきちんと話す。

「……ふむ。まぁ、和音ちゃんなりに渡す情報を選んだ、というのはわかった」
「うん……えっと、ごめんなさい……」

 とにかく謝罪を繰り返す。空閑君に責められて当然、という自覚はあるもので。

「和音ちゃんは、どこが悪いと思ってるんだ?」
「……空閑君とのことを、取引の情報交換に使ったところ……」
「ふむ。正直、付き合ってることをバラしたくらいじゃ怒らないんだが」

 なら、どこで怒っているのだろうか。おずおずと様子をうかがえば、いつの間にか呆れたような表情の空閑君がそこにいる。

「今回はどうにかなったみたいだが……危ないかもしれんと思ったら、少しは相談しろ」
「……二度とするな、とは言わないんだね」
「和音ちゃんが、母さんの国のことを知りたくてすることを止めるつもりはないよ。やり方を考えろ、とは思うが」
「うん……ありがとう」

 自然と出た感謝の言葉に、空閑君はきょとりと目を丸くする。それから困ったように笑うと「どういたしまして」と返してくれた。

「まぁ、付き合ってることがバレたのはよかったのかもしれん」
「え? なんで……?」

 ヒュース君に、私達が恋人だと知られて良かった、という理由はなんだろうか。素直な疑問を口にすれば、空閑君の眼差しがすぅと細められる。伸ばされた手が私の腰に回り、緩く引き寄せられて心臓が跳ねた。

「おれのだって知ってて、手を出すような奴じゃなさそうだからな」

 ……ずるい。前には自分じゃないほうが、なんて言ってたくせに。どうして今は、そんなこと言うの。
 なにも言えないでいると、じわじわと互いの吐息が交わるほどに距離を詰められる。おずおずと瞼を下ろせば、ふに、と唇にやわらかい感触。離れたと思えばもう一度重なり、ちゅ、と音を立てて離れていく。
 ゆっくりと目を開ければ、空閑君が優しい顔で私を見つめていた。

「……空閑君が一番かっこいいから、心配しなくて大丈夫だよ」
「そりゃどうも」

 それなりに恥を忍んで、勇気を振り絞って言ったんだけどな。あっけらかんと褒め言葉を受け取る空閑君に見惚れていたら、今度はゆったりと耳元へ顔を寄せる空閑君。

「和音ちゃんもかわいいよ」
「――っ……!」
「さて、遅くなったし、そろそろ送ってく」

 してやったりの顔で笑う空閑君はやっぱりかっこよくて、とても言い返せそうにない。惚れたほうの負けとはよく言ったものだ。
 取引の話題が終わったことに安堵しつつ、名残惜しいが空閑君の提案に頷くことにする。今日はもう、たくさんのことがありすぎて頭がパンクしそうだ。私は空閑君に手を引かれるまま、帰るべく屋上を後にするのだった。


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