意気込んだものの、会う機会ができたのは木曜日の出来事だ。空閑君からメッセージが来て、明日は時間があるから玉狛に寄らないかと誘われた。ふたつ返事で了承して、翌日の今日、夕方になって玉狛支部へと向かう。
そうしてお邪魔した食堂で、休憩中らしいヒュース君と鉢合わせた。
「……お前は本当に本部の人間なのか?」
「そうだけど……どういう意味……?」
ヒュース君に怪訝そうな眼差しを向けられて怯んでしまう。挨拶もなく、開口一番がそれってどうなんだろう……。いやまぁ、そりゃ頻繁に玉狛支部に訪れている私を見て、ヒュース君が疑問に思うのも無理はないのかもしれないけど……。
「いちおう聞くが、オレの情報を探りに来ているわけではないな?」
「そんなことしないよ……玉狛第二の不利になるようなこと、するつもりないし」
「それならいい」
ふん、と鼻を鳴らすヒュース君。意外にも、玉狛第二のことを考えてくれているらしい。この前謝ってくれたときもそうだけど、ヒュース君ってけじめをつけるところはしっかりしてるよなぁ。
ともかく、空閑君がまだいないなら暇を持て余してしまう。私はキッチンのほうへ向かい、自分用のお茶を淹れるべくお湯を沸かしはじめる。
「ヒュース君は玉狛で訓練してるの?」
「ああ」
「本部で、個人ランク戦とかは?」
「明日、栞が手続きするまでは玉狛第二に所属しているとバレるわけにはいかない」
なるほど、秘密兵器というわけだ。だから念のため、私が本部にヒュース君の情報を漏らしていないか確認した、と。しっかりしているな、なんて言うと怒られるだろうか。
なんて余裕を見せていたのが悪かったのか、ヒュース君は平然とした顔で爆弾を落とす。
「和音は遊真に会いにきたのか」
一瞬、動きを止めてしまった。そうだよ、と返してしまえばいいような気がするが、それはそれで浮かれてるなと冷たい目で見られそうだと躊躇する。とはいえ、言うまでもないことのようで。
「遊真が、夜少し空けると言っていた。和音を送っていくから、と」
「……そこまで聞いてたの……?」
それなのにスパイ疑惑をかけられたのか、と口答えしたくなるが、まぁおいておくことにしよう。このけろっとしている様子はどことなく空閑君にそっくりだ。暖簾に腕押し、口論で勝てるとも思えないし、ここは大人しく引き下がっておく。
噂をすれば影。不意に部屋の扉が開き、現れたのは空閑君だった。
「お、和音ちゃん、もう来てたのか」
「ついさっきね」
「もう行くか?」
「あ……っと、ちょっと待って」
お湯があともう少しで沸くだろうか、と言ったところ。せっかくお湯を沸かしてしまったし、とヒュース君に声をかける。
「ヒュース君、おかわりいる? お湯沸かしちゃったから、もったいないし」
「もらおう」
手を差し伸べればヒュース君がマグカップを持ってきてくれたので、中をかるくすすいで、布巾で水気を拭いた。待つ間が暇だからだろう、二人が他愛もないやり取りをするのを聞きながら、お茶を淹れる準備を進める。
「遊真、修はどうした」
「またデータの見直ししてるよ。まえにちょっと話した鈴鳴のやつ」
「そうだな……和音を送ったあと付き合え。もう少し弾トリガーの練習をしておきたい」
「おっけー」
ヒュース君の練習相手は空閑君なのか。本部には行かず玉狛で訓練してるということなら、練習相手が必要だろう。会話の雰囲気的に、よくある話のような感じだ。
淹れおわったお茶をカウンターに置けば、ヒュース君がマグカップをとってソファに戻っていく。その間にも、今日の訓練はどのステージでやるか、なんて話題に花を咲かせていて微笑ましいものだ。
キリのいいところまでは、と口を挟まずに待っていたら、再び扉の開く音が響く。時間が時間だからか、皆ここに集まってくるみたいだ。
「遊真とヒュースか。……水沢も来てたか」
夕飯を作りにきたのだろうか、現れたレイジさん。その姿を見て、はっと思い出したことがひとつ。
「レイジさん、ちょっと待ってください」
「なんだ?」
私は慌ててソファの近くに置いておいた鞄を探り、用意したまま鞄に沈んでいた封筒を取り出す。今月のご飯代です、とそのままレイジさんに差し出せば受け取ってもらえたので、早めに渡せてよかったと胸を撫で下ろす。
「今日は食べていかないんだったな?」
「はい。また今度お願いします」
レイジさんは「わかった」と頷くと、そのままキッチンに向かう。慌てて後をついていき、お茶を淹れていた後始末。レイジさんはやはり夕食作りをはじめるようで、冷蔵庫を開けて頭を悩ませているようだ。
片付けも終わったし、さて帰ろう。と、思えば今度は「おつかれ〜」の声と共に迅さんが現れて、私の姿に「おっ」と声を漏らす。
「和音、ちょうどよかった」
「はい?」
「明日、予定通り防衛任務だぞ。忘れるなよ〜」
……まさか、忘れてすっぽ抜かすような未来でも視えたのだろうか。覚えていたのだけどな、と思いつつ「了解です」と頷けば迅さんも満足げな顔をする。
さて、そろそろ帰れるだろうか。空閑君はどうだろうかと振り返れば、空閑君は表情ひとつ変えず――
「なぁ、和音」
「な――」
に、と言いそうになった言葉を思わずのみこむ。
名前を呼ばれるだろうことは予測できて、反射で返事が出かかった。けどよく聞けば、空閑君が口にしたのはいつもの名前とは少し違ったのだ。
「え、……っと」
いまだ、じぃっと無言で私を見つめ続ける空閑君。顔色は一切変わっていないけど、いかにも待っているような気配。どうしよう。今、ヒュース君も迅さんもレイジさんもいるこの場でそれ、呼ばなきゃいけないかな。
――むしろイキナリ名前で呼んで、あいつを驚かせてやればいいのよ
「……く、が」
君、と言い切る前に空閑君の眉がピクリと動いた。やっぱり私には無理だよ、小南……。
私を見つめる瞳が次第にもの言いたげな、不満気なものに変わる。空閑君はただ“ちゃん”ってつけるのを止めればいいだけだけど、呼び慣れない下の名前に呼び方を変える私としては、違和感と恥ずかしさがものすごい。
しかしこの空気はどうしたものか、ちらりと見えた迅さんは、もにょもにょと言葉を噛み殺しながら含み笑いを浮かべている。レイジさんも何事かとこちらを伺っていて、ヒュース君は知らん顔。
どうしようかと途方に暮れていると、さすがに見かねたのか迅さんが話題に切り込んでくれた。
「……遊真ー。いじめるなら二人の時になー」
ちょっとだけ笑っているような声色は不服だけど、助けてくれてありがたい、と内心で息をつく。当の空閑君は「別にいじめてはないけど」と不満を漏らしてから、痺れを切らしたように私の鞄をさっと拾い上げてしまう。
「じゃあ行くか」
「う、うん」
とりあえず、この場から立ち去れるならいい。そう思っていると、さらりと手が取られて引っ張られるままに足を踏み出す。迅さんもレイジさんもいるのに、と思いながらも結局それに身を任せるほかなくて。
そうして玉狛を後にし、とぼとぼと帰り道をそれなりに進んだ頃。やっぱりというべきか、突然立ち止まった空閑君はくるりと振り返って再び私を見つめる。
「……和音」
咎めるような、求めるような、そんな声色。切ない音に急激に心拍数が上がるのを感じる。だからこそ、余計に求められている言葉がどうしても出てこない。
頑張れ私、大丈夫私、と一生懸命に自分を鼓舞して深呼吸。どぐどぐと鳴る心臓の勢いで喉から押しだすように、小さくそれを口にする。
「……ゆ、う、ま君」
「だめ。やりなおし」
せっかく搾り出した声は、ばっさりと切り捨てられてしまう。やっぱり恥ずかしい。けど、ちょっとだけ前進したことを少しは認めてくれたようで、空閑君の顔はさっきと比べて少しだけ優しくなっている。
遊真君で駄目ってことは、つまり空閑君が私を和音と呼ぶように、名前を呼び捨てしろってことだよね。いやそれはわかってる、けど。
「……ほら、和音」
もう一度、と言わんばかりに優しく私を呼ぶ空閑君。なんで、そんな平然と呼べるんだろう。それでも、たぶん名前を呼ぶまで許してもらえないだろう。今度こそ、と大きな深呼吸。心の中で繰り返す名前。ゆ、う、ま。ゆう、ま。
「…………遊真」
言えた、と思ってくが、……遊真を見れば、満面の笑み。
「よくできました」
やっと合格をもらった、と思うと一気に肩の力が抜けた。はぁぁと深く息を吐いていると、なにが面白いのかくつくつと笑う声。私が頑張って名前を呼んだことに満足したようで、くるりと向きを変えると平然と歩き始めてしまう。
「わ、ま、待ってよ空閑君」
「聞こえないぞ」
笑い声が滲むのは、私をからかってるんだろうか。やっぱり反射で飛び出るのは“空閑君”の呼び方。ずっと呼び慣れている名前を変えるのって、なかなか難しい。今日何度目かの深呼吸をする。
「ゆ、ゆうま」
「なんだ?」
ためらいながらも名前を呼べば、振り返って歩調を緩めてくれたから息をつく。あの場所には迅さんもレイジさんもいたのに、手を繋ぐなんて。そもそも――
「どうして急に、呼び方を変えようと思ったの?」
直前までそういう話をしていたわけではなかった。それどころか、ただ用事があって迅さん、レイジさんと話をしていただけ。いったい遊真にはどんな気持ちの変化があったのだろうか。
問われた遊真はうーん、と自分でも思い出すような仕草をして――ふと、とても優しい笑顔を私に向ける。
「たぶん、ヤキモチだな」
「……へ」
そう言うわりには平然とした、というか満足気な表情をしている遊真。正直、遊真とヤキモチという感情がどうにも結びつかない。なにが遊真の心を引っかいたのかはわからないけど、今は満足気にしているからいいのかな。
ふと、握られた手にぎゅうと力がこもった。
「恋愛って難しいな。精神修行してる気分だ」
「……それ、どんな気分?」
「平静を保つ訓練って感じだな」
修行だとか、訓練というわりには遊真は楽しそうに笑っている。遊真が楽しかったりするものってよくわからないなぁ。そう笑顔を眺めていると、ぱちりと視線が合った。じっと見つめる紅い眼差しに身体が動かなくなり、遊真は綺麗に笑って――唇を寄せる。
「……ゆ、うま?」
「はは、楽しいな、和音」
「そ、その前に、恥ずかしいんだけどな!」
あぁまったく、振り回されてばっかりだ。くつくつと笑った遊真はお咎めを聞く気はないようで、私の手を強引に引っ張って帰り道を歩き始める。
結局、名前で呼び合えるキッカケも空閑君のおかげだ。私は、こうやって遊真に引っ張られっぱなしなのかな、なんて。置いていかれないように必死でその手に縋りながらも後を追った。