ヒュース君が求めているのは、二宮隊との撃ち合いの情報らしい。ランク戦の記録を遡っていたようで、私もその続きをさらって映像を見つめつつ探していく。
その片手間でヒュース君から“設定”の話を聞いた。どうやらC級隊員の間でヒュース君が近界民だという噂が出回っているらしく、それを上書きするために“設定”の噂を流しているのだとか。
「……なるほど、それならヒュース君と迅さんの仲が悪いのも納得だね」
「なにが言いたい」
もともと玉狛第一に入隊予定だったのに、迅さんにその席を取られたから苦手だ、というのは説得力のある理由じゃないか。そう言えば、ヒュース君は無言になってしまった。迅さんに嫉妬してる、みたいなのが不満なのかな。なかなか難しい。
「ヒュース、けんかはよくないぞ」
「だから、喧嘩はしていない」
陽太郎には強く出れないようで、咎める陽太郎にタジタジのヒュース君。微笑ましいな、と思っているうちに遠くから誰かが歩いてくる音がして、目を向ければ遊真が再び部屋へとやってきていた。
「遊真? もう終わったの?」
「小南先輩に、和音を早く送っていけと怒られた」
「……ごめん……」
さすがに対策をいろいろ練っているときだというのに、余計な用事を増やしてしまって申し訳ない。遊真はけろりと「明日の準備もできたから大丈夫だ」とは、言ってくれるけど。
「で、ヒュースの設定のことだけど……」
「それはオレから説明した」
「おぉ、仕事が早い」
今日呼ばれた目的はヒュース君の設定を共有することだったはず。すでにヒュース君本人から説明を受けているし、特にC級に対しては設定を遵守するようにとの理由もわかった。こうなれば用事はすんだも同然だ。
「じゃ、送ってく」
「うん、お願いします」
小南に急かされて遊真が来ているのだから、長居しないほうがいいだろう。戻ってこない千佳ちゃんたちは心配だが、私の出る幕もない。ヒュース君に「栞たちに帰ったって伝えて」と声をかけておく。
それにしても、思っていたより普通の雰囲気だ。遊真はいつもと変わりないし、さっきの嫌な空気は気のせいだったろうか。そう油断していたら、遊真は唐突に「あ、それと」とヒュース君に声をかける。
「帰りは遅くなるかもしれんが、適当に言っておいてくれ」
「そうか、わかった」
えっ、と思わず声が漏れたが、遊真は知らん顔。ヒュース君だけちらりと私を見た気がするが、なんだか自業自得と言われているような気すらしてくる。この流れでまさか、どうして遅くなるの、なんて聞けやしないし。
「じゃ、行くか」
「……うん……」
やっぱり不穏かもしれない。私はいつもと変わらない遊真の笑顔に、どことなく不安を覚えながらも後をついていく。暗い支部内を通り抜けて玄関を出た瞬間、絡む指。いつもならどきりとするところなのに、今日はどことなくぎくりとしてしまう。逃げられない、というような感覚に陥るからだろうか。
歩いている間、遊真は一言も喋らない。なにか話題をと思ったものの、妙な気まずさに声をかける勇気は萎んでしまう。けれど、やっぱり普通に話せないままなのは……嫌だな。
「……遊真」
ちょっとだけ声が震えた。前を向いて歩いていた遊真が、横目で私をうかがう。相槌も打たず、視線だけで続きを促すような眼差しに、試されているような圧を感じる。
それでも、こんな空気のまま帰り道が終わってしまうのは嫌だから……なけなしの勇気を振り絞って、どうにか言葉を続ける。
「……さっきの、ヒュース君が好きっていうのは、変な意味じゃなくて……だから……」
なんと言うのが正しいだろうか。私はぐるぐると回る思考の中、素直な気持ちを吐露する。
「……誤解はしないでほしい、けど、嫌な気持ちにさせたら、ごめんなさい……」
ヒュース君に対して他意があって好きだと言ったわけではなく、私の好きな人は遊真だけ。だけど、たとえば遊真が私の目の前で堂々とほかの女の子を好きだと言えば……やはり、いい気持ちにはならないだろう。
考えるほど申し訳なくなり、視線は自然と下がっていく。顔を見られないままでいると、視界の隅で遊真の足が止まった。一緒になって立ち止まれば「和音」と呼ばれて、私は渋々と顔を上げる。
「すまん、おれが気にしてるのはそっちじゃない」
「……へ?」
そっち、というのは流れ的にヒュース君の件だろうか。呆けていると遊真はフォローするように「あのな」と言葉を続ける。
「よくは知らんが、チカたちとなにかあったんだろ?」
「……う、ん」
「それで、ヒュースと和音でもなんか話してた」
「…………うん」
遊真の表情は穏やかだ。怒っているというような雰囲気ではなくて、むしろ――
「また、おれに言えない話か、と思っただけだ」
――さみしそうな笑顔に見えるだなんて、都合がいいだろうか。
「遊真……」
「まぁ、ちょっとはヒュースにも妬いたが」
おどけたように笑う遊真は、まるで誤魔化すかのように「行こう」と言って手を緩く引いた。そうして帰り道に戻ろうとしてしまうから、私は遊真に引かれる手を、もう片方の手と合わせてつかみ、引き止める。ぐ、と力がこもったからだろう、遊真は再び足を止めた。
――この前だって言われたばかりだ。私は聞かれないと隠そうとするから、と。
でも、別に隠そうとしているわけではないはずなのだ。話せるはず。聞かれるのを待っててはダメなのだと、勇気を振り絞って。
「……あ、のね」
もう少し、もう少しだけ勇気が欲しくて両手で遊真の手を握りしめれば、繋がれた遊真の指が緩く私の手を握り返してくれた。大丈夫、と自分に言い聞かせて、必死の思いで口を開く。
「えっと、その……私のほうは、たいした話ではない、んだけど……」
そう、たいした話ではない、はず。だから、そんなことで遊真を気に病ませたくない。
だけど私の話を遊真に聞かせてしまうのがいいことなのかはわからない。……いや、本当はどこかで、遊真に話すのを怖いと思っている。それでも、遊真が気にするのだったら、全部、話してしまったほうがいい。
けれど気持ちとは相反して目の奥が熱くなっていく。泣いてしまいそうだ、と必死で堪えていると、じゃり、と靴の音。遊真が私の目尻へとキスをする。
「……ゆう、」
ま、と音にするより先に唇を塞がれて、呆気なく顔を離す遊真。紅い眼差しが、じっと私を見ている。突然のキスに驚いてしまって、涙はすっかり引っ込んだ。
「とりあえず、家まで送っていくよ。話せそうなら、そのあとで聞くから」
「……うん」
「無理はしなくていいぞ」
子どもに言い聞かせるような優しい声色に、肩の力が抜けていく。遊真は「帰ろう」と促して、私の手を緩く引いた。今なら歩けそうだと、引かれるままに帰路を進む。
遊真を家に上げて、そのままローテーブルを前に腰を下ろした。遊真は、私の隣に寄り添うように腰を落ち着ける。微かに触れ合う肩が温かい。遊真はひと言も話さず静かなままで、あとは私が……覚悟を決めるだけ。
「……あのね……」
おずおずと口を開くと、遊真は静かに「おう」と相槌を打つ。千佳ちゃんとヒュース君の件については今は触れず、ただ、私がヒュース君に弱いと言われたことを掻い摘んで話した。
「死にたがり、って言われて、そうかもしれないって思った。だから戦いたくなかったんだって」
遊真は静かに「……そうか」と相槌を打ってくれた。私が話すことの邪魔にならないよう、言葉を挟むこともない。だからだろう、堰を切った様に私の口はつらつらと言葉を紡いでいく。
「死にたがりってことを否定できなかった。だから、お母さんは私を守ろうとしてくれたのに、私は死んじゃいたかったんだなって思ったら、最低だなって、自分にびっくりしちゃったの」
――だって、私が生き残って、どうするの?
心の中で続いた言葉を口にする前に、冷たい涙が頬を伝っていった。まるで心が二つあるようだ。冷静に話している自分が、心の奥底にいる自分を軽蔑している。
「……でも、誰かを殺してでも生き残りたいかって考えたら、私はきっと、自分が死ぬことを選ぶだろうなって思う。だって――」
脳裏を過ぎるのは、強い遺志を宿した眼差し。これから死を臨む表情。
「……お母さんは、そうやって私にブラックトリガーを遺したんだから」
私を守るためだからと命を賭けたお母さんなら、きっと、なにか意味があることに私が命を賭けても許してくれるだろうから。