瞬く蛍が運んだ過去
「ちょっと和音! なんで来なかったのよ!」

 玉狛支部にお邪魔して早々小南からの怒声が飛んできた。怒りの理由はおそらく小南に来いと言われた夜に限って、太刀川隊との模擬戦闘の命令が来てしまって約束を反故にしたからだ。
 言葉を選んでいたら、ふらりと現れた迅さんが私のフォローにまわってくれる。

「城戸さんに捕まったんだよ、な?」
「そうなんだよー、大体迅さんのせいで」
「えっ?」
「じーんー?」

 無理やり小南の怒りの矛先を迅さんへと向けた。今日は計測もなく玉狛に来たから時刻は丁度夕飯前。台所からは食欲をそそるいい香りが漂ってきていている。

「今日の当番は誰?」
「レイジさんだよー」

 や、と団欒室から身を乗り出して現れたのは栞だ。なるほど夕飯前という事で一旦訓練も休憩中らしい。こいこいと手招きされて団欒室へ足を向ければ、丁度休憩中の三雲君達三人がそこで寛いでいた。

「和音ちゃん来たのか」
「こんばんは」

 空閑君がひらりと手をふって三雲君が頭を下げる。それに釣られるように隣の千佳ちゃんもおずおずと頭を下げた。

「あ、千佳ちゃんは和音と会うの初めてだね」

 栞がその様子に気付いて私を千佳ちゃんの前に座らせる。B級ソロプレイヤー17歳水沢和音だよと紹介してもらうと、雨取千佳です、と身をかたくして頭を深々と下げてくれた。緊張しているのか表情も強張っている千佳ちゃんが可愛くて、すこしでも打ち解けてもらえるように出来る限り優しく笑いかける。

「よろしくね、千佳ちゃん」
「はい」

 その甲斐あってかふわりと柔らかい笑顔を見せてくれた千佳ちゃん。この子が戦闘員だというのだから世も末だよなぁ。栞が溺愛する気持ちもわかる気がする。

「飯できたぞー、と、水沢さんちわす」
「お邪魔してます。あ、私の分も下さい!」

 恐らく人数分しか用意はしてないだろうから、私の分も用意してもらおうと慌てて席を立つ。すると台所へ向かおうとした私を烏丸君が制した。

「迅さんに聞いてます。水沢さんの分もありますよ」
「やった! レイジさんにお礼言わないと」

 烏丸君もありがとう、とお礼を述べればいいえ、と柔らかい笑顔が返ってくる。それを受けて私はぱたぱたと台所へと駆けていった。

「レイジさん! ご馳走様です!」
「おい、食ってから言えそういう事は」

 迅さんから聞いていただけあって私が突然現れても一切の動揺を見せないレイジさん。何時も思うけど体格の大きい彼が家庭用エプロンを着ける姿はなんだか愛らしいよね。食事は殆ど並べられていて、私は配膳の手伝いを申し出る。私が飛び入ったのを皮切りに、メンバーも皆ぞろぞろと食堂へ入ってきた。

「よーし、食べるか!」

 迅さんのその掛け声と同時に食堂には一斉にいただきます、と声が響いた。



 あっという間に机上のお皿は綺麗になってしまった。わいわいと食器を片付ければ次々と解散していく。
 レイジさんは陽太郎と千佳ちゃん、三雲君を連れて軽く食後の運動。そのまま続けてランニングもしてくるとの事だ。烏丸君は何時もどおりバイトへと慌しく向かい、迅さんはまた何も言わずにふらりとどこかへ去って行った。小南と空閑君は食後の十本勝負をすれば今日の修行は終わりとのこと。
 手持ち無沙汰な私は訓練を管理する栞と一緒に訓練室へと向かうことにした。

「はい、仮想戦闘モード設定完了だよー」

 ヘッドセットを通して訓練室内の二人に声をかける栞。それを受けて小南と空閑君は颯爽と換装を済ませてすぐさま互いに斬り結んだ。鬼気迫る二人の戦いぶりに思わず私もほぅ、と感嘆の息が漏れる。

「小南にボーダーのトリガーでついてくなんて、空閑君凄いねぇ」
「遊真君は戦闘経験が段違いだからねぇ」

 お互いに食後のまろんだ空気のまま言葉を交わす。それでも視線はディスプレイに釘付けだ。

「ねぇ、栞」
「んー?」

 カタカタ、と微調整を繰り返している栞になんとなく声をかける。二人きりの今なら言ってしまえる気がしたからだ。

「私がB級卒業するっていったらどうする?」

 カタン、と決定キーを叩いた栞はそうだね、と小さく呟いて手を止めた。なんとなく栞の方を向けなくてディスプレイを眺めていれば、知ってたよ、と隣で優しい声がする。

「迅さんにね、少し教えてもらった」

 思わず栞に視線を向ければ、想像以上に優しい笑顔がこちらに向けられていた。はっと我に返ってどこまで知っているのかと尋ねれば、秘密のS級隊員だってね、と茶化すような言葉が返ってくる。

「黙ってるなんて水臭いぞ?」
「……ごめん」

 自然と謝罪の言葉が口をついて出てきた。栞だったらきちんと事情を話せばわかってくれたのかもしれない。そう思っていながらも一歩踏み出せなかった私を、それでも栞は笑顔で受けいれてくれていたんだ。


§


 ボーダーに入隊して始めの半年はB級に上がるために悪戦苦闘していた。それまで戦うこととは無縁の生活を送っていた私は、模擬的であってもトリガーを使った戦闘にいつも怯えていたからだ。

 ――誰かに刃を向ければ、それはあなたに振り下ろされる。

 母の呪いのような言葉が後一歩の所で私の足をすくませる。その隙にじわじわと追い詰められてトリオン切れになったり、急所を掠ればブラックトリガーが起動しようとボーダートリガーを解除してしまう。その時点でシステム上は緊急脱出という判定を下し結果は負けばかり。段々とわざと負けているのではないかという声もあがり、ランク戦をしなくなった私には悪評が付きまとった。

 “遊んでるわけ?”“なんでボーダーに入ったの?”

 合同訓練でポイントを溜めながら人とは繋がりを持たなかった。詮索されたくなくて、視線に耐えるのに精一杯だったからだ。
 ブラックトリガーは使わない。使うのは、奴らが現れた時だけ。だけど弱い私じゃブラックトリガーを制御しきれない。そして新たな牙を研ぐには相手に刃を向けなければならない。その一歩が私にはどうしても踏み出せなかった。

 そんな私を見かねて声をかけてくれたのが迅さんだった。既に上層部からブラックトリガーの事は聞いていると告げられ、訓練生の私を本部から連れ出してくれたのだ。

「こいつが、話してた水沢和音だよ」
「はじめまして」

 一応の礼儀をもってにこやかな笑みを張り付け静かに頭を下げる。初めてそこで出会った小南の一言は今でも話題に上がるほど。

「あんた弱そうね。何しに来たの?」

 つっけんどんな態度に私は黙って彼女を見据える。勿論第一印象は最悪だ。嫌な人だと強く思ったのを覚えている。次いでそれをフォローするように栞がまぁまぁ、と割って入ったのだ。

「アタシは宇佐美栞だよ、同い年でしょ?」

 よろしくね、と笑顔を向けられてよろしくお願いします、とまた頭を下げた。馴れ馴れしくするのが怖くて無意識に一線を引いてしまう私。それに気付いたのか迅さんは苦笑いを浮かべながらぽりぽりと頬をかく。ちらりと視線をやればまた困ったように笑って手を振った。

「そんなに警戒するなって。取って食うわけじゃない」

 さて、と迅さんは栞に声をかける。訓練室を1つセッティングしてほしい、と。

「……迅さん?」
「おれが相手なら、安心だろ?」

 その笑みを含んだ声色の裏に、挑発するような気配。暗にブラックトリガーが発動しても問題ないと言っているようだった。彼は私を斬り伏せる自信があるのか、それとも気休めか。

「大丈夫だよ、おれのサイドエフェクトがそう言ってる」

 そう言って彼は私の手を引いて訓練室へと入っていく。与えられたトリガーはスコーピオン。向かいに立つ迅さんと同じトリガーだ。

「攻撃の受け方、かわし方を教えてやるよ。それが今のお前に一番必要な武器だ」

 そういって、スコーピオンを構える迅さん。私は何故このトリガーを選ばされたのか不審に思っていると、次の瞬間あっという間に懐に潜りこんできたその影に私も反射で刃を振るう。
 ずぷり、刃がその身体に突き刺さった。

「……え」

 まさか、素人が振り回しただけのそれが迅さんの身に届くなんて思わないじゃないか。突然の出来事で一瞬の内に全身の血が下がって冷たくなるのを感じる。しかしここは訓練室。仮想戦闘モードに設定されていた。つまり私がつけた傷は目の前でゆっくりと修復されていく。呆然とする私に迅さんはにかりと笑うのだ。

「死なないよ。ここなら」

 大丈夫、と迅さんは言い聞かせるように言う。呆然としていると迅さんはするりと私の背後に回りこんで、また反射的に突かれた刃を弾いてスコーピオンで切り結ぶ。避けれる程度の間合い、スピードであるにも関わらず、迅さんはそれを再び自らの懐へと迎えてしまったのだ。
 自らの腹をえぐる私のスコーピオンを撫でながら、迅さんは私に微笑みを返す。

「死なない。ボーダーのトリガーは、人を殺さない」

 どくん、と心臓が唸ったのを感じた気がする。

 トリガーは間違いなく、誰かを殺せる武器だ。私はそれを知らずにブラックトリガーを使った。意志も覚悟もなく奮った強大な力を恐ろしいと感じた。先に殺意を向けたのが奴らでも、私はそれを返した。ならきっと奴らとはこの先も殺意の応酬が続いて行く。だけど、だから、そんなやりとりは奴らだけで良かった。
 スコーピオンをゆっくり引き抜く。空いたはずの穴はじわじわとトリオンが侵食してあっという間に塞がった。

「生身が傷つくわけじゃない、だから大丈夫だよ」

 迅さんはスコーピオンをゆるりと構えて私と対峙する。その真っ直ぐな蒼は細められて私を射抜いた。

「これは、自分を守る為の力なんだ」

 私は、誰かを傷つけるために刃を振るいたいわけじゃない。私は誰かを傷つけないために強くなりたいと願ったんだ。
 そうだ、私が求めた力は、強さは、心だ。

 傷を受け止められる強さを、悲しみを受け入れる強さを、怒りを飲み込んで耐える強さを、
 ――向かってくる悪意には、立ち向かう強さを。
 その為に、刃を向ける強さを。そして返される刃に立ち向かう覚悟を。


 忙しかっただろうに迅さんは三日間も私に付きっきりで教えてくれた。笑って何度でも、私に根気よく身のこなしを教えてくれる。そうして最後の三日目、訓練を終わらせて私に笑いかけたのだ。

「……これだけ動ければ、もうあんな負け方はできないよ」

 ゴーグルを額にあげて真っ直ぐに私を見つめるその蒼色の瞳。三日間散々に出方を伺うべく見つめてきたその瞳とは、もう視線を結んでも恐怖を感じることは無くなっていた。

「そろそろポイントヤバイだろ。少しはランク戦もしてみるといい」

 だから、まずはB級にあがっておいでと迅さんは話を続ける。正隊員になることが一番最初の目標だと自分でもわかっていたから、それに素直に頷いてから迅さんにひとつ尋ねた。

「……どうして私に教えてくれたんですか」

 三日間、問いかける暇もなく戦闘訓練に追われて聞けなかった事だ。一息ついた今なら聞けると思って素直に口にすれば、迅さんはぱちくりと瞳を開いてからにこりと笑った。

「お前の選択を尊重したいと思ったからさ」

 迅さんは、それ以上何もいう事は無かった。



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サヨナラの引力

 

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