――技術者の国、ミカニコス。
我々がこの国を訪れた時に行われていた研究は、トリオンを蓄積するトリガーの研究だった。
いわゆる人間の持つトリオン器官の働きを、人工的に再現するようなトリガー。貯蔵方法に関しては機密事項となっていたが、研究者がひとつ気になる話を零していた。
過去最高傑作の貯蔵機構を持つトリガーが、適合者によって持ち去られ行方不明だと。
「……それが」
『母君のトリガーだった可能性がある』
トリオンの吸収、蓄積と放出。私のブラックトリガーと共通する性能。技術者の国ミカニコスと頭の中で繰り返す。
『当時は安定して貯蔵の運用がされていたが、放出は研究途中だったと記憶している』
だが、とレプリカは言葉を続ける。母君の力によって放出の制御が出来るようになったブラックトリガーを、和音が受け継いだのではないか、と。
「トリガーには名前があったの?」
『当時、私が聞いた名は“アゼナミア”』
――女神の加護を意味するトリガーだ。
アゼナミア、と心の中で唱えれば、心臓がとくりと優しく呼応する。それがお母さんのトリガーだったのか。
「持ち去ったって、国を裏切ったってことかな」
理解して、すぐにまた新しい疑問が浮かぶ。その問いに答えたのは意外にも空閑君だった。
「実験から逃げ出したって言われてたよ」
「実験?」
「トリオンの放出が制御出来ないってさ、大量のトリオンを一発で使い切るんだよ」
低く落ちた声色で空閑君はそう告げる。空閑君もその国を歩いて話を聞いたのを覚えていたらしい。僅かに細められた瞳は私の様子を伺いながらも言葉を続けた。
「和音ちゃんの記憶がないって……多分そういうことじゃないかな。トリガーを使う時に意識が追いつかないんだよ」
『だが目的は蓄積したトリオンの利用だ。放出実験は恐らく母君に多大な負担を与えたことだろう』
ぞわり、と背中の産毛が逆立つような感覚。思い出したのはボーダーに監視されていた頃の記憶だ。トリガー内部に大量のトリオン反応を確認した技術開発室は、そのトリオンを抽出することが出来ないかと実験を行ったのだ。トリオン兵をトリオンに還元し蓄えていたように、私のトリオンも有効活用できないかと考えるのは自然な流れだったのだろう。
結果として実験は失敗に終わった。ただの一度もトリオンの抽出に成功しなかったのだ。
レプリカは黙ってしまった私を見て、確認のように問う。
『和音のトリオンはボーダーに供給しているのか?』
「……ううん。できなかった」
「だとしたら和音ちゃんは基本的にずっとトリオンを溜めてるってことか」
私の返答を聞いて空閑君が眉根を寄せて呟く。私はそれに何と答えたらいいのかわからず戸惑っていると、空閑君はレプリカに視線を投げて、頷いたレプリカがぱくりと口(?)を開いた。出てきたコードをぎゅうと握り込んだ空閑君はもう片方の手を私に差し出す。
「おれの手握ってみてよ」
「……はい?」
『トリガーの吸収性能を確認したい』
こちらへ手を伸ばす空閑君の隣でレプリカは私を伺う。換装は司令の許可が必要だと告げればゆるりとそれを否定され、レプリカは静かに、そのままで試してみてほしいと告げた。
おそらく何か心当たりがあるのだろうとそれを信じて、私は恐る恐る空閑君の掌に自分の掌を重ねる。自分とは違う熱を感じて、それが私の熱とじわり溶けあう感覚。
刹那、それは激流に変わった。
「「!?」」
互いに驚いて目を見開くが、何故か互いに手は離せなかった。振り払うことも、振りほどくこともせず、ただ私の熱が激しく空閑君へと移っていくのを感じる。
唐突な出来事に呆然としていると、ほんの数秒でそれは止まった。今は互いの掌の間にはただお互いの持つ熱があるだけで、吹き抜ける風が掌にだけやけに冷たく付き刺さる。
「今の、おれのトリオン吸収してた?」
「……ううん、なんか違う。多分逆」
むむ、と空閑君は互いに握り合った掌を睨みつける。軽くパニックになった私が手を離せないでいると、レプリカがぴくりと身体を揺らした。
『……少し質が違うトリオンが供給された』
レプリカはそう言ってふわりと空閑君に向き直る。何か違和感は無いか、の問いをきっかけに私達は手を離した。空閑君はひらひらとふってみたり首を回してみたりして、全然と告げる。
「だ、大丈夫? なんか苦しくない?」
「むしろ和音ちゃんは平気なの?」
「うん、むしろ少し楽になったくらいだけど……」
この感覚はこの前の太刀川隊との模擬戦闘の後に近いものがある。反撃に体内のトリオンを吐き出した後の体が軽くなる感覚。だけど、誰かにトリオンを供給するなんていう現象は初めてだ。
『……この件は私でも分析してみよう』
レプリカはそう言ってしゅるんと指輪の中に戻っていった。記憶を辿って過去を手繰り寄せて話をしていたはずなのに、いつのまにかこのトリガーの話に変わっていき、最後にはトリオンを供給するという新しい現象。
「……なんか、頭がぼーっとしてきた……」
一度に与えられた情報が膨大過ぎて理解と処理が追いつかない。あげく考えすぎたのかすっかり脳みそが熱を持ってしまっている。はぁ、と熱を溜息と一緒に吐き出せば様子を伺うよう覗きこんでくる空閑君。
「大丈夫か?」
「……今日はもう帰ろうかな」
そろそろ皆がランニングから帰ってくる時間だろうか、本当は皆とのんびりしていたかったけど、今はとてもそんな気持ちにはなれそうにない。空閑君はそっか、と言って縁から下りて私の傍に立つ。
「和音ちゃんは運がいいな」
「え?」
「おれとレプリカだったからいいけど、他のネイバーだったらもっと狙われてたかもよ」
呆れたような、それでも確かに優しさを含んだ笑み。私に向けられる瞳はいつもと何ら変わらなくて、声色も、空気も、何もかもがそのままだ。
「……そこまで考えてなかった」
「なるほどな。栞ちゃんが抜けてるっていうわけだ」
空閑君はぐぐ、と大きく背伸びをした。落ち着いて考えてみれば、空閑君自身もブラックトリガーを持っている。だから私のトリガーを狙うという可能性は無意識の内に排除していたのだろう。
理屈はそうであっても、私は一切の疑問も持たずに空閑君を信じていたのか。
とくん、と小さく心臓が鳴る。何かが心の奥に落ちてきたような錯覚を覚えて、だけど私はそれをまさか、と振り払った。
――気づいてしまったら手遅れだ、なんてね。