次の日の朝、目覚めて自宅の天井を眺めていると身体のだるさに気付いた。動くのも億劫だし、何故だろうと考えようとしても頭がろくに回らない。この独特の感覚は、と嫌な予感がしてベッドサイドから体温計を探し出す。どうにかそれを脇に挟んで計測結果を待つべく、また横たわって一息。
今日は祭日だから学校も休みだ。何の用事もなかっただろうかと頭を働かせようとしていたら、ぴぴぴ、と計測完了の電子音が響いて思考を中断させる。
「……さんじゅう、はちど」
脇の下から取り出した体温計は何度見ても同じ数値を示している。昨日の夜の話が原因の知恵熱だったら笑えないなぁ。
何が理由で熱が出たのかはわからないが、大抵は免疫が働いている証拠なのだから薬に頼るにはまだ早い。とにもかくにも今は寝てしまおうと私はもう一度布団に潜る。
――何か、考えたかったことがあった気がする。
じわじわと昨日の話が現実味を帯びていく。私のトリガーと、お母さんの故郷かもしれない国。だけど重い頭じゃそれ以上の言葉も思考も浮かばなくて、私は大人しく眠ろうと体を沈めて瞳を閉じた。
――人間は、浅い眠りの間に夢を見るという。
普段夜にはほとんど夢を見ない私だけど、一度朝に起きた後もう一度寝た時は夢を見る事が多い。
ぽつりと、私はいつもの玉狛支部の屋上に佇んでいた。手持ち無沙汰に空を見上げると澄んだ星空が視界を覆う。冬の空は澄み切っていて星の瞬きがいくつも見えるもので、多分私は綺麗だ、と呟いた。
掴もうとしたのかそうでないのか、私は手を伸ばそうかと腕に力を込めた。だけどそれはくん、と何かに引っ張られて叶わない。何だろうかと私が振り返るより早く掌にするりと誰かの指が絡んで、温かい掌がきゅうとやさしく私の手を包んだ。実感が、ある。これは知っている感覚だ。
やっと振り返ればそこには優しい光を宿したルビーが二つ。月の光で銀色に煌く髪がさらりと流れてふわふわと揺れる。僅か細められた眼差しは私の心の奥まで差し込むようで、ことり、とまた凝り固まった心が震えて転がる音がする。
空閑君、と呼べば優しい笑みがさらに深まって、彼は一歩踏み出すと私をぎゅうと抱きしめた。互いの身長差は10センチとちょっと。頬と頬がするりと触れて吐息が耳を擽る。
「 」
――遠くで、何かが鳴っている。
それを自覚した途端意識が浮上した。呆然と天井を眺めていると段々と携帯が鳴っている現実に気がつく。覚束ないながらも慌てて手にとって着信に応えれば決まり文句が聞こえてきた。
『実力派エリートが助けにきてやったぞー』
「……じん、さん」
相手を見ずに電話に出てしまったのは迂闊だった。夢で見た姿と今電話が繋がってる相手とのギャップに呆けて言葉が出てこない。迅さんはそれを熱が高いからだと解釈したらしくて、無理に喋らないでいいぞ、と続ける。
『冷えピタとか必要そうなの買ってきたんだ。玄関にかけてあるから使いな』
その声を聞いて内容を理解するとのそのそと起き上がる。パジャマだけど別に玄関開けるくらいいいだろう。思ったより体のだるさはそのままで、足を引き摺るように玄関へ向かう。
「迅さんもう帰っちゃったんですか?」
『さすがに病人の家にあがるわけにはいかないだろ?』
たどり着いた玄関の扉を開ければ外にはビニル袋が提げられていて、それを手早く回収するとすぐにまた玄関を閉める。がちゃんとしまったそれに背中を預けて軽く中身を確認すれば、ペットボトル飲料とか、薬とか、本当に病人向けのものばかり。
「……ゼリーまである」
『一応解熱剤と風邪薬どっちも支部からもらってきた。ゼリー食べて薬飲んで寝な。あまった薬はもらっとけ』
まるでお母さんのように一通りするべき事を述べる迅さんに笑いが零れる。ふふ、と零した吐息は電話の向こうの迅さんにも届いてしまったようで、似合わないと思ってるんだろ、と言葉を先取りされてしまった。
「ばれました?」
『ま、事実半分以上は宇佐美の入れ知恵だ』
「納得です」
話をしていて少し頭が冴えてきたのか足早に部屋へと戻ってくる。私はがさがさと袋に入っていたものを出して机に並べ終えると、まずはゼリーを食べようとのろのろスプーンを手にとった。ぺり、と包装が開くと同時に果物の香りがしてくぅとお腹が鳴る。
「ありがたく頂きます。お礼はまたいずれ」
『気にすんな。早く治せよ』
じゃあな、という言葉を最後にぷつりと電話が切れる。私はそれを机に放ると大人しくゼリーを口に運んだ。熱が下がりきっていないのかまだ少しぼうっとするが、それでも朝一番よりはいささかマシになってきた。
冷たいつるんとしたそれを飲み下せば胃の中がきゅうと冷える感覚。熱を持っていたのだから当然かとひとつ息をはけば、夢の中で頬をくすぐった吐息の音と重なって映像が脳裏に蘇る。
私のものでないそれは彼の。
「……なんで、空閑君……」
まさか、そんな、というのが本音だ。
私が空閑君に好意を持っていることは認めよう。だけどそれはあくまで人間的なものであったはず。出会って一週間程度だ。二人でゆっくり話したのなんて片手で足りる程。あげく私は17歳。空閑君は15歳。二つも年下。さらには身長だって私より僅かに低い。
ただ、信じてもらえて嬉しかっただけで。仲良くなれたらいいなって思っただけなんだ。信頼関係を築けたら、互いに心を許し合えたら。
……だからけして。傍に居て欲しいとか抱き締めて欲しいとか。そういう恋愛的な好意じゃなかったはずなんだ。
だけど、電話の向こうの迅さんの声にどこかで落胆したのも事実だ。手にとって、耳に当てた時聞きたいと思った声は、それは。
「……嘘でしょお……?」
顔が熱いのは当然だ。熱があるのだから。だから決してそういう意味では、ない。
「ちょっと信頼と恋愛の区別がついてないだけ。うん」
自分にそう言い聞かせて最後の一掬いを口に運んだ。もう一度寝てしまったらまた夢の続きを見てしまうのだろうか。だけどせっかく迅さんに薬をもらったのだしきちんとそれを飲まないと。
起きて一通りの自分の世話をし終えてから私は布団に潜り込む。今度は夢なんて見ないようにと願いながら。