はじまりの日常に亀裂
 ぴっ、ぴっ、ぴっ、ぴっ。

 定期的に鳴る電子音はそのまま、私の鼓動とリンクしている。一定のリズムを奏でるそれに耳を傾けていると、自然と眠ってしまいそうだ。そんな私を見かねたのか、ディスプレイを眺めていた鬼怒田さんがこちらを向く。

「水沢、調子はどうだ?」

 問題ないですと返せば、ふむと唸ってから指で液晶をなぞって溜息。その表情から、あまり計測結果が思わしくないのだと悟る。

「高水準のうえ不安定だ。よくないな」

 予想通り、内部のトリオン量は危険水域に達したままのようだ。鬼怒田さんは計測装置を一旦止めると私に向き直った。後は日常生活におけるトリオン量推移の簡易計測だけだろう。計測機器を私に持たせると鬼怒田さんはむすりとした顔で腕を組む。

「遠征部隊もまだ帰ってこない。イレギュラーゲートの件も片付いたばかりだ。お前にまで割く時間はないから大人しくしておれ」

 疲れた表情も交えつつ怒ったような声色で言いつける鬼怒田さん。人手も少なく後始末に追われているのも事実だろうけど、最近の数値に鬼怒田さんが心配していることもわかっているつもりだ。

「大丈夫です。気をつけます」

 だから笑顔で返せば、はぁと大げさに溜息を吐かれた。
 私がその時でないとトリガーを起動しないことは鬼怒田さんも承知している。そして、その時にはトリガーを温存するという選択肢がないことも。鬼怒田さんは散歩でもしてこい、と言って私を廊下へ送り出した。


 ラウンジへ向かう通り道、ランク戦ロビーを通りすがる。普段は米屋君が誰かに絡む所を見かけるのに、今日は見知った顔一つない。出水君は遠征中だし、とクラスメイト二人の顔を思い浮かべていると、とん、と軽く背中を叩かれて、手の主を振り返る。

「水沢、ランク戦しに来たの?」

 そこにいたのは獲物を発見したかのように強気な笑みを見せる緑川君だ。面倒な相手に見つかってしまったと軽く両手を挙げて違うよと告げれば、つまんないから遊んでよ、と畳みかけるように強請られる。そこまでは予想通りだったから、私は首を横に振って応えた。

「通りがかっただけ。そういうのは米屋君に言って」
「よねやん先輩は任務じゃん」

 告げられた言葉にそうだったっけ、と返せば不審そうな表情を向けられる。まるでクラスメイトの癖にそんなことも知らないのか、と顔に書いてあるようだ。さすがにそこまで級友のシフトを把握しているわけではないから首をすくめれば、緑川君ははあぁ、と大袈裟に私に溜息をついてみせた。

「とりあえず水沢は部隊に入りなよ」
「どうしたの、突然」
「迅さんに教わったことあるんでしょ。弟子がそんなんじゃ迅さんのコケンに関わる」

 いつの間にバレてしまったのか驚いて緑川君を凝視すれば、案の定むすりとした顔で睨みつけられて参ってしまった。誤解を招かないよう、たった三日間だけだよと念を押せば、迅さんが水沢を弟子って言ってたもん! と言い返されてしまう。
 よりにもよって緑川君にそれを言わなくても……と内心で迅さんを咎めるが、緑川君は完全に弟子と呼ばれた私への対抗心を燃やしているようだ。

「B級ソロプレイヤーとか、自慢にならないよ」
「でもちょっと語呂がいいよね?」

 茶化す方向で返答してみればぎろりと鋭い視線が向けられる。少し心が痛むけどそれ以上に言い訳も出来ないから笑顔を繕って耐えていれば、いよいよ諦めたらしい緑川君がもう一度大きな溜息をついた。

「迅さんもなんでこんなのに構うんだろ……」
「女の子大好きだからじゃない?」
「性別は今更どうしようもないなー」

 しょんぼりと垂れた犬のしっぽが今にも見えそうなその姿に、本当に緑川君は迅さんが大好きだなぁと思うと顔が緩んでしまった。気が削がれたらしい緑川君はひらりと手を振ると私に背を向ける。
 私はそれにじゃあねと手を振りながらロビーを去っていく後姿を見送った。無事に開放してもらえたと安堵しながら改めてラウンジへ向かおうと思ったけど、どうせしばらくは計測が続くのだからと方向転換する。


 そうして通りすがったのは本部メインロビー。無意識に視線をやったその先には見慣れた隊服の友人で、向こうも私に気付いたのかおお、と軽やかに片手を挙げて私を呼ぶ。

「水沢、お疲れー」
「お疲れ様、米屋君」

 応えて片手を挙げると狙撃手二人を背後において駆け寄ってきた米屋君。任務だと聞いていたけど三輪隊で出動していたのかと眺めるけど、なぜか隊長である三輪君の姿が見当たらなくて少し興味を持つ。

「任務は終わったの?」
「おー、負けた負けた」

 笑ったまま負けを宣言する米屋君に思わず首を傾げるが、古寺君が先輩! と咎めるような声色で会話に割って入った。奈良坂君も綺麗な顔を顰めていて、米屋君があー、と一度言葉を詰まらせる。

「わりー、一応部外秘なんだ」
「そっか、お疲れ様」

 三輪隊が敗走するような相手なんて余程じゃないだろうか。内心そう不思議に思うし部外秘とあらば余計気になる。詮索するつもりはないけど米屋君は気にしてか話題を変えてくれた。

「オレもまだ任務が続きそうでさ、ノート頼むな」
「うん、ちゃんととってるから安心して」

 クラスメイトの無難な話題に変わったにも関わらず、奈良坂君が静かに米屋君の背中を睨んで無言の圧力をかけている。さすがにそれを察した米屋君はそれじゃあなとそこで話を切り上げた。米屋君がその場から踏み出して先導すると、古寺君と奈良坂君も後に続く。すれ違い様に会釈をされたからこちらも応えてから、私もその場を後にした。
 一体誰と戦ったんだろうか、三輪隊を負かす人物とは誰だろう?

 ……あの子、だったりして。

 ぴんと脳裏に浮かんだのは昨晩会った白髪の少年だ。自分の中で落ちる感覚がして、去っていく三輪隊三人の背中を眺める。三輪君がいないのはもしかして、彼はベイルアウトして戻ってきたのではないか。それほどの実力を持つ相手があのブラックトリガーのネイバー少年だとしたら納得がいく。

 だけど、もしそうだとしたら、城戸派に目をつけられて大丈夫なのだろうか。
 そんなぼんやりとした思考をぴぴっ、と慣れた電子音が遮った。計測終了のその合図に思考を散らされた私は、報告に戻るべく踝を返す。どちらにせよ、私は少年を知らないことにしているのだから何もできる事はない。
 今はそれよりも自分のトリガーの事を心配しなければいけないと、私は開発局へ足を急がせた。

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