隣人の存在に想うもの
 迅さんはあの場から私を逃がす為に連れ出したのだと思ったけど、どうやら本当に私を玉狛まで連れて行くつもりらしい。特別用事も無かったしそれに大人しく従っていれば、迅さんになぁ、と小さく声をかけられた。

「大丈夫か?」
「……へ、何がですか?」
「顔色があまりよくない」

 言われても体調が悪いという自覚はなくて首を横に振れば、予想に違わず、無理はするなよという言葉をかけられる。

「迅さん、最近やけに心配性ですね」
「……そうだな、色々見えるようになったからかもな」

 そういって綺麗な蒼い瞳が柔らかく細められる。その眼に映る私の未来は一体どんなものがあるんだろう。黙ってその瞳を見つめ返していれば先に逸らしたのは迅さんだった。

「遊真とどうだ、仲良くやってるか?」

 突然挙げられた名前に刹那どくんと心臓が縮む。動揺してしまったのは顔に出なかっただろうか、普通だと思いますよ、と返せばそうか、と言葉が落ちる。

「どうしたんですか、イキナリ」
「遊真が和音を気に入ってるみたいだからな」
「そうなんですか?」
「お前はネイバー嫌いかと思ってたよ」

 嫌い、という悪意のある言葉に驚いて迅さんを見つめる。私はそう見えるような行動をしていただろうかとぼんやり考えていると、少し困ったように迅さんは笑った。

「入隊してあんなに戦うことを拒んでいた子が、ネイバーにだけ躊躇わずトリガーを使う」
「……あぁ」
「そんな子が城戸さんの下にいるんだ。そう思ってもしょうがないだろ?」

 そう言って肩をすくめる迅さんに確かにな、と納得する。普段私がしていることといったら混成部隊での防衛任務くらいだ。それも中距離アタッカーとして他隊員の補助がメイン。後は週一で鬼怒田さんの管理下でのブラックトリガーの起動確認と訓練。
 だけど多分迅さんは視えているし、知っている。奴らが来たその時だけは私が迷わずにブラックトリガーを使うこと。でもそれは奴らが嫌いだからというわけではないつもりなのだけど。私は静かに首を横に振ってそれを否定する。

「私は私を守っているだけですよ」

 迅さんは私の返答を聞いて少し表情を和らげた。恨みも憎しみもないと言葉を続ければそうかと安堵したように息を吐く。私の意志を信じるのだなぁと気付いたら、自然と言葉が滑りだしていた。

「これはお母さんが自らの意志で作ったものです」
「……そうだったのか」
「奴らに殺されたわけでもないですし、恨んだり憎む理由がありませんからね」

 奴らが来た、ということは確かに原因なのかもしれないけど、それでも奴らは私の胸元にトリガーが宿るまで何もしていない。ただ、お母さんがそうするべきだと判断してしただけのことだ。

 ――私の意志などおかまいなしに。

 私は誰を恨むことも憎むことも出来る理由を持っていない。だから、ただ私は自分を守ることしかできないんだ。私を守ろうとしたお母さんの意志に沿うことしか、わからないんだ。

「空閑君にも危害を加えるつもりはないですよ」
「うん、それはわかってる」

 念の為付け足しただけの言葉は思いの外すんなりと受け入れられて、逆に私の方がその迅さんの態度に戸惑ってしまった。今事情を聞いたばかりでそんなに確信を持てるのだろうかと、迅さんを伺えば途端に細められた瞳が物悲しそうに歪む。

「遊真を選んだお前の勘は、正しかったと思うよ」

 その言い回しに返せる言葉を見つけることが出来なかった。“選んだ”と言う迅さんは一体何を知っていて、一体何が視えたというんだろうか。

「ほら、行くぞ」

 迅さんは少しだけ歩く足を速める。やっぱり、迅さんが私を玉狛へ頻繁に連れて来るのは意図がある。そして今の話だとその目的のひとつは空閑君なのかもしれない。
 私と空閑君の出会いはもうトリガーの情報という一つの実になったというのに。



「……空閑君暇なの?」
「夜は大抵暇だな」

 どうやら夕飯が終わった後の空閑君は時間を持て余しているらしい。レイジさんが率いてチームメイト二人がランニングに向かってしまう夜は、小南と一戦交えた後は復習だけで彼の修行は終わりとのこと。それが一番効率がいいとの事で誰も空閑君の自由時間を咎めないし、何もやる事がない私と時間潰ししていても誰も何も言わなくなった。

「たまには早く寝てみれば? 休みも大事だよ」
「おれは寝なくていいんだよ」
「……背、伸びなくてもいいの?」

 余計なお世話かなと思いつつ口をついて出てきた言葉に、空閑君はにししと笑って平気と答えた。身長がコンプレックスではないんだな、とそれを眺めていると、途端に空閑君の表情が大人びた笑みに変わる。

「背が小さいってだけで相手を油断させる事もできるからな」

 空閑君は見た目が幼いからか余計に、ふとした瞬間突然大人になる。実年齢である15歳も飛び越えてまるで年上と話をしているような、そんな、何かを悟った顔をたまにしている。

「……向こうの世界ってどんなところ?」

 だからそんな空閑君を育てた環境が少し気になって言葉が零れてしまった。空閑君は悩むような仕草をしたから聞いては駄目だったのかと一瞬戸惑うが、いろいろだよ、と随分雑な返答に思わず顔が緩んでしまう。

「国ごと環境も事情も違うからな」
「そうだよね、聞き方が悪かったね」
「まぁ親父がそう言ったんだけど」

 おれは難しいことはよくわからん、とまた寝転がってしまう。そういえば空閑君の口から親の話が出たのは初めてだ。何と返すのが無難だろうと言葉に詰まってしまうと、空閑くんはふーん、とつまんなそうに声をあげる。

「親父の話は聞かないんだ」
「……え」
「和音ちゃんはおれには興味ないのか?」

 細められた瞳は気だるげに私を眺める。一瞬何を言われているかわからなくて呆然としてしまうが、その言葉の意図がよくわからずに結局返す言葉を見つけられない。

 だけど空閑君は私から視線をそらさない。答えを待っているんだと気付いてもう一度会話を振り返る。空閑君の口から“親父”という言葉が出てきて、私はそれを言及するのが怖くて黙ってしまった。それがわからない空閑君はどうして聞かないのか、理由を尋ねている。

「ええと、触れられたく無い話だったら嫌だなって」
「おれが言い出したのに?」
「あんまり深く追求されるのは嫌だったりするもんじゃない?」

 もし私のお母さんと同じように空閑君のお父さんにも何か事情があったとしたら? そう考えると本人が口にした以上の事を詮索するのは少し怖い。ふむ、と一度納得したように頷いた空閑君は、もう一度なぁ、と私に声をかける。

「和音ちゃんの話、どうしておれに話してくれたんだ?」

 赤い瞳が少しだけちらりと揺らいだ気がした。いつもは真っ直ぐなそれが少しだけ瞬いていて綺麗だ。私が答えを考えるより先にころりと感情が言葉になって零れ落ちる。

「空閑君なら私がどんなことを話しても、本当だって信じてくれると思ったから」

 言葉にしてようやく、私は過去を話すことへの躊躇いの意味に気付いた。私はどこかで、私自身を疑っていたのかもしれない。記憶がないなんてウソで、本当は知らないフリしてるのかもって。本当は私は自分の意志で襲ってきた奴らを殺したのかもしれないって。
 自分の知らないうちに、奴らを殺した。
 もしそれがウソかもしれないと疑われてしまったら? 事実、私は誰かを殺せるブラックトリガーという力を持っているのだ。ボーダーが私のトリオンを抽出して無力化しようとしたのも、奴らがいつも私の心臓にあるブラックトリガーを狙っているのも。

 ――怖いからだ。強大な力が。

 だけど、空閑君は私を信じてくれるんだって、そう思えたから。たった数回のやりとりしかない私の言葉の本当を見つけてくれる。そういう空閑君だから話したいと、思ってしまった。

「ごめんね、空閑君には興味ない話だったよね」
「いいや?」

 空閑君はそう返事をしたと思ったら満足したのかまた寝転がってしまった。返答の言葉の真意を掴みかねて私は黙って夜空へと視線を上げる。いいや、のその後には何が続くのだろうか。別に構わないというだけだろうか、それとも。

 ――和音ちゃんはおれには興味ないのか?

 じゃあ、空閑君はどういう意味であっても、多少なりとも、私に対して興味を持っているということなのだろうか。

 それから少しの間、私たちの間に会話は無かった。聞こえる音と言えば遠くから微かに響いてくる爆音くらいのものだ。夜も更けて空には星が瞬いているし、冷たい風がたまに耳をくすぐって通り抜けていく。そのまましばらく、私達は静かな夜の中を黙って過ごしていた。



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サヨナラの引力

 

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