ぴ、ぴ、ぴ、ぴ。
定期的なリズムを奏でる計測機器の電子音はいつもどおりだ。私は寝不足でぼんやりした頭のまま鬼怒田さんの言葉を待つ。
「水沢、もういい」
鬼怒田さんは特に何も言わず計測装置から私を開放した。つまりは問題ナシというところだろうが、大丈夫なのだろうか。
「安定してます、か」
「うむ。特段変化はない」
記憶を飛ばすような発動をしてしまった為、朝一番に本部へとやってきた。帰ってよしとの許可を頂いて部屋を後にしようとした私を人影が覆う。開発局で計測を受けるだろう私を見越していたのだろうか。ちらりと辺りを視線だけで伺ってから、城戸司令は重たい口を開いた。
「……回収は滞りなく完了している」
「あり、がとうございます」
「ラインS発動の後、被験体を回収できたのは二度目だが……」
城戸司令は淡々と事実を告げる。その抑揚のない声は感情の温かさを感じられなくて、だから真っ直ぐに私へとその事実がつきつけられる。
「トリオン反応は解析できなかった」
城戸司令はそう告げて口をまた真一文字に結んだ。言いかえれば、私のトリガーが何をしてあの残骸を作り上げたのか、ボーダーの技術を持ってしても解析できなかったということだ。
「しばらくお前を防衛任務から外す」
「……はい」
「お前はお前の敵に集中しろ」
その為に、お前をボーダーに入れたのだから。そう告げてから城戸司令は私を一瞥すると背中を向けた。じわりと滲んだ汗が溜まって頬を滑る。
(……かえ、ろう)
帰って、シャワーを浴びて、寝てしまおう。結局あの後一睡もせずに本部へきてしまったのだから。誰にも会わないように、足早で私は家への帰路へついた。
頭が重い。何かやらなければならなかったこともあった筈なのに、何も考えられない。考えたくない。
――我らの目的の遂行の為だ。
這う様な声が脳裏に蘇る。奴らはいつも私の体内にあるブラックトリガーを奪うのだと思っていた。それは私の心臓を奪うことと同義で、だから私はそれに抵抗してきた。奴らはこのトリガーの力が欲しいのだと、単純にそう考えていたんだ。
今回だって奴らの手は間違いなく私のトリオン器官に手をかけていて、その気になればすぐに戦闘体に止めをさせた筈、なのに。
「……目的は、なんだろう」
『今の段階では不可解な点が多すぎるな』
突如響いた聞き慣れない声に大げさに体が震えた。飛び跳ねて辺りを見回すと小さく黒い何かがふわふわと浮いている。
『驚かせてすまない。私はレプリカの分身だ』
「……ぶ、ぶんしん……?」
『昨晩ユーマに頼まれて和音に着いてきていた』
告げられた名前に少し心臓がどぐりとするがゆるく首を振った。ぷかぷか浮かぶそれをつついてみるとふわりと揺れて、良く見ればたしかにレプリカと同じ顔をしている。
『奴との戦いで制御し切れないトリオンを使用したのだとしたら、また体調を崩すのではないかとユーマが心配していた』
具合はどうだ、と淡々としたレプリカの声に心臓が少し凪いでいく。恐怖も軽蔑もないその静かな声色は私にゆったりと沁みていき、そうだ、レプリカになら、と落ち着いた気持ちで声をかける。
「ねぇ、私。昨日何をしてた?」
『ふむ』
レプリカは少し間を置いてから話しはじめる。
奴が和音のトリオン体内部から何らかのトリガーを発動させた。紐状になったトリオンが次々と和音の体を拘束していった。しかし奴らが目的を口にした直後に、和音が奴らと似たようなトリガーを発動させた。黒い帯状のトリオンが幾重にも現れ奴と和音を飲み込んでしまったのだ。結果、私達は何も観測することができなくなってしまった。
数秒後、トリガーが消えた後には和音が立っていて、既に残骸となった奴らがそこにあった。
「……そっか」
結局、やはり私が奴に手を下したのは間違いないのだろう。だけど空閑君に何も危害を加えていないことがわかって一安心する。
――自ら誰かを傷つけるような子にはならないで。
私は自ら望んで奴らと敵対したつもりはない。それでも結局は奴らの敵意と殺意にのまれて、私は自分の力を制御できず奴らにぶつけてしまう。だけどそうでしか私自身を守れないというのなら、力を振るってしまった結果も受け入れるつもりだ。
だけど私は自分がどうトリガーを使ったのか覚えていない。その力が無差別に奮われることがないと確証を持てない。そんな私の不安は周りからは恐怖という形で返ってくるのだろう。そうわかっているからずっと、黙ってきたのに。
それでも奴らはこれからも私を狙ってくるのだろう。その度に私は力を振るうのか。そんな応酬を繰り返して一体何になるんだろう。
「ねぇレプリカ」
『なんだ』
「やられた時にやりかえして、そしたらそれはいつ終わるのかな」
『……終わりなどないのだろうな』
告げられた言葉は残酷なものの筈なのに、何故かそれを落ち着いて受け止めている自分が居た。だが、と低い声が沈みそうになっていた私の意識を引き戻す。
『人の営みはそういうものだとユーゴが言っていた』
「えっと、確か」
『ユーマの父だ』
突然挙げられた第三者の名前に驚く。聞いていいのか、話を止めるべきだろうか。しかしレプリカは淡々と話を続ける。
『争いもまた、人が生きている証だと考えていた』
「……うん」
『最たるものは戦争だが、日々人間同士諍いもあるだろう。それら全てが尽きる時は命が全て尽きた時だとも言っていた』
「……そうかもね」
『だからユーゴはユーマに教え続けた。命を守る術を、生き続ける為の知恵を』
どくん、と心臓がなる。命を守る術、生き続ける為の知恵。私はその言葉にどこか懐かしさを思い出していた。
お母さんが私に残してくれたものも、同じなのかもしれない。長く生きてきた親だからこそ、生きることの価値を知っているのかもしれない。
だから、どんなに辛く苦しい世界の中であっても、長く生きる為の力を、術を、知恵を与えてくれるのかもしれない。その価値を知っているから、耐えろと、言うのかもしれない。
長い道程の中で巡りあえるだろう、希望や奇跡を信じて。
「……そっか」
少しだけ、思い出した懐かしいお母さんの笑みが深くなった気がした。