その日は、珍しく寝坊した。アラームをセットし忘れたわけでもない筈で、前日特別夜更かししたとかいうわけでもない。
ただ当たり前のように目覚めたその時間が、普段の起床時刻から短針がゆうに二周は過ぎた時間だったということだ。
「……なんで?」
『和音、起きたのか』
普段は起動していないはずの分身レプリカが声をあげる。珍しいね、おはようと声をかげればうむ、と静かな返事が返ってきて、ふわふわと浮かぶその姿を見るのは久しぶりだと寄ってくるレプリカを眺める。
『体調が悪いのか? 随分と眠りこんでいた』
「うーん、そんなつもりはないんだけど……」
我ながら随分と深い眠りについていたようで現実に理解が追いつかない。しかし時計は間違いではないようでとりあえず身体を起こそうと伸びをした。遅刻もここまで来ると焦りを通り越して諦めの境地に入ってしまう。
『何か異常があるのかもしれない。本部で計測を受けてきた方がいいのではないか』
「……そうだね、そうしようかな」
私はレプリカにそう返事をしながらとりあえず携帯を手にとった。予想通り米屋君と出水君から心配するメッセージが入っていて、体調悪くて寝過ごしたから休むね、と返事を送る。
「レプリカ、話してても大丈夫なの?」
『大丈夫とは?』
「全然動かないから空閑君の許可? がないと喋れないと思ってたんだけど」
『いや、本体の私からトリオンが供給されれば問題ない』
あ、そうなんだ、と分身レプリカの認識を改めた。そういえばこの前の会議で自律型とか言ってたしそういうものか。とりあえずはお腹もすいたし朝ご飯にしようとベッドからおりて、もう一度だけ身体を伸ばしてから支度を始めるべく動き出す。そんな私を心配するように傍にふよふよと着いてくるレプリカを見て、今だったら、ゆっくり喋っていられるんじゃないかと頭をよぎる。
「私と喋ってるのって空閑君に筒抜け?」
『通信をつなげればそれも可能だ』
「レプリカとだけ話したいな、って思ったんだけど」
レプリカはそれを聞いて数秒間を置いてからうむ。と応えた。それが了承なのか、ちょっと待てなのか、やってみるなのかわからなくて、とりあえず私は返事を待つ間に食卓についてご飯を食べ始める。
『私も丁度和音とゆっくり話したいと思っていた』
「……そうなの?」
朝食を胃に流し込んでから尋ねれば、うむ、とまた端的な返事。言い出したのは私なのだけど、レプリカにそう言われてしまうと少し緊張する。なんとなく、今なら邪魔もなく時間も気にせずレプリカと話せるなって、そう思ったら少しだけ話を聞いて見たいなと思ってしまっただけなのに。
『まずは話を聞こう』
「えーと、あんまり明るい話ではないけど」
一応前置きしてからレプリカを見ずに口にする。
「空閑君の時間が少ないことは事実なんだよね」
言葉尻をあげながらもほぼ断定の確認をすれば、レプリカは少し間を空けてからうむ、とそれに頷く。死にかけている肉体をブラックトリガーに封じ込めて、どうにか生き永らえてる状況なのは聞いた通りだ。
……そうであるならば。
「空閑君は、今も死ぬのを待ってるの?」
空閑君はあの日、お父さんに言われてこちらに来たと言った。自分の身体を治す為だとかそういう言葉が出てきそうなものなのに。淡々と過去を話す空閑君には後悔とかそういう感情はなかった。だから起こってしまった過去と現実を受け入れているのだと感じて、それが意味することって、つまりはそういうことなんじゃないかと思ったのだ。
『ユーマはチカとオサムを手伝う為にここにいる』
「……手伝う?」
『チカの兄と友人はネイバーに浚われた。それを探しに遠征に参加する為部隊でA級昇格を目指してるのだ』
千佳ちゃんみたいな子が戦闘に参加すること、ましてや遠征を目指す部隊に所属しているのが不思議だった。だがそういう事なら納得できる。
新たに提示された情報を整理してみても思い浮かぶのは、残された時間を、そう使うことに決めたのかということだ。それともほんの少しでも空閑君は、自分が遠征して訪れた国で、自分の身体が治る可能性を少しでも期待しているのだろうか?
『聞きたかったことはそれか?』
「……それを踏まえたうえで、レプリカがどう思うか聞きたいことがあるの」
レプリカの問いかけで意識を自分へと戻す。空閑君の考えは多分私の推測からはそう大きく外れていないのだろう。そうだとしたら、自分で自覚してしまった感情を何処へ向けようか。指針を求めて、一度胸のつっかえを押し出すように息を吐く。
「……私ね、空閑君のことが好き」
意味は間違いなく通じただろうか伺っていると、レプリカは返答の無いまま私をぷかぷかと見つめている。少し不安になって慌てて言葉を捜して付け足す。
「その、恋愛的な意味というか」
『それはわかっている』
「あ、そうなの……?」
それにしては反応が薄いからどうしたものかと躊躇うけど、聞くと決めたのは私なのだからそのまま疑問をぶつけて見る事にした。
――残り時間が少ないならなおさら、一緒に居たいと思うし、それが許される関係になりたいとも思う。
だけど、そういう関係になりたいって思っていいのかわからない。それはつまり相手にも特別に思ってもらいたいってことで、目指して私が頑張れたとして、最後にはお互い傷つくだけなんじゃないか。
私が好きなのはもうどうしようもないし、傷つくことも仕方ないけど、そこに空閑君を巻き込むようなことはやっぱり止めるべきなんじゃないか。
「その、レプリカが一番空閑君のこと心配してるだろうから」
『……』
「聞いておきたいな、とか、思ったんだけ、ど……」
自分でもうまく言葉に出来たとは思って居なくて、レプリカも黙り込んでしまうものだから余計に焦ってしまう。もやもやした感情が上手に言葉にならなくて困っていると、レプリカは和音、と静かな声色で私を呼んだ。
『何を選ぶか決めるのは和音だ。だが……』
「うん」
『少し話をしてもいいだろうか』
断る理由なんてなくて間髪いれずに頷くと、レプリカは一度頷いてからゆっくりと話を始めた。
『私は人生は惜しむものだと思っている』
「……惜しむ、もの?」
『満たされて死ぬことはできないだろうということだ』
なんとなく、レプリカの言わんとしていることはわかる。もし万が一この場で私が死ぬとしたらそれを受け入れられるだろうか。やりたかったこと伝えたかったことその他諸々の後悔。きっとそれが全て無くなる日なんて来ないのだと私にもわかる。
『逆に惜しむものがないのならば、それは死んでいるようなものだ』
レプリカの声色じゃ私に全てを読み解くことは出来ない。だけどそれはまるで空閑君の事を言っているように聞こえた。
『惜しむのが辛いほど生きていたのならそれも一つの幸運だと私は思う』
レプリカはふわふわと私の目の前を漂う。表情や声色からその意図を汲む事はできないけれど、だけど落とされた言葉は私の中にじわじわと染みて広がっていく。
もし、別れが辛くなるほど特別だと思えたのなら、そう思ってもらえたのならそれは、互いの幸せだと言われているようで。
『和音が何をユーマに選ばせるか少し楽しみだな』
「え、選ばせるって……」
『ユーマがそういった感情に積極的でないのは事実だ』
やっぱりそうだよなぁ、とレプリカの言葉に納得する。多分空閑君自身が自分の残り時間のことを自覚しているんだろうから、あまり恋愛感情を出してしまうと距離を置かれてしまいそうだ。ウソが通じない空閑君相手とはなかなかハードルの高い恋になりそう。
『和音は命の限りに悲観はしないのだな』
「へ?」
『他の人間を選んだ方が、少なくとも時間に関しては悩まずに済むのではないか?』
自分を案じているのだろうか、告げられたレプリカの言葉に思わず笑顔がこぼれる。
「まぁ理屈で好きになる相手を選べたら苦労しないんだけどねぇ」
『うむ』
「確率的には人間いつ死ぬかわからないんだから、空閑君と他の人が大きく違うわけでもないよ」
事実、大規模侵攻が起きるあの瞬間まで私は何の疑問もなく未来を信じていた。当たり前のように学校に通っていつか就職して、その時にはお母さんにもっと親孝行出来るんだとか漠然と考えていたんだ。だけどその未来は私にはどうしようもない位圧倒的な力でぶち壊された。
命の限りというのならそれは誰もが持っているもので、それは空閑君を選ばない理由にはならないのだ。
そう考えて、迅さんの言葉が脳裏に浮かぶ。
――選んだのか?
そうですね、私はとっくに選んでたんだ。今まで出会った人達の中で、たった一人の空閑君を。