相対する泥の王
「おいおい、逃げるのに一生懸命だなぁ?」

 傷だらけの私を舐めるようにみてにたりと笑むそいつ。正直避けるだけでも精一杯で迅さんよりやりにくい相手だ。刃の頑丈さとそれなりの間合いも持っていてスピードもある。急所はどうにか外しているからまだ大丈夫だけど、油断は出来ない。
 途中で何度か通路の壁も爆破されてしまって被害が出てしまったようだけど、こいつはトリガー使いにしか興味がないようでそちらには殆ど見向きもしなかった。そうしてここまでひきつけたのだ、後はこの研究室付近さえ通り抜ければ私の勝ち。
 刹那私のものではないトリオン弾が奴の身体に飲み込まれる。

「復帰早々クソめんどくせーのが来やがったな!」

 聞こえた味方の声に一瞬緊張が緩んでしまった。その隙に奴の刃が私の左腕を切り取っていく。

「おい! 大丈夫かお前!」
「……大丈夫です」

 右手で断面を抑えて出来る限りトリオン漏れを防ぐ。どうやらこのタイミングでキューブにされていた諏訪さんが起きたらしい。諏訪隊メンバーも加わって奴を睨んでいれば、ご機嫌な笑顔。いたぶる対象が増えたとでも思ってるんだろうなぁ。

『水沢さん、だよね』

 堤さんの声が通信を通して耳から入ってくる。そうです、と返せば端的に伝えられた作戦内容。銃撃戦メインで相手の弱点とトリガー性能を探るつもりだと。

『一緒に退こう。気をひいてくれ』
『訓練室に向かうぞ、遅れるなよ』
『了解』

 敵の攻撃をかわすと同時に堤さんが敵の視野の外で離脱する。私と諏訪さん、笹森君に狙いを定めている奴はそれに気付かないまま、諏訪さんを奴の刃が切り裂いたと堤さんが仮想戦闘モードを起動させた。

「来いよミスターブラックトリガー。お望みどおり遊んでやるぜ」

 諏訪隊の二人を補助するべく最後尾についてトリオンキューブを浮かせる。ガキン、と諏訪さんのトリオン弾がそれに命中したと思ったら、すぐに対応してきた奴の刃が諏訪さんの体内から飛び出した。

『……これではっきりしたな』

 奴のトリガーの能力は液体だけでなく気体にも変化できる。通信の向こうで確信を持った風間さんの声が聞こえた。
 どうしよう、と一瞬迷う。もしかして吸収を行える私のブラックトリガーは相性がいいんじゃないか。おそらく気化したトリオンを内部に吸入したとしても問題ないだろう。だけど、と仮想戦闘モードが解除された訓練室内で左腕を抑える。躊躇っている合間に訪れる危機、と同時に救世主。

「――旋空弧月」

 忍田本部長がきた。再び通信にて作戦が伝えられて了解を示す。まずは敵の刃を避けながら戦闘の様子を注意深く観察する。
 間一髪で忍田本部長の間合いから逃れた奴に、諏訪隊と協力してトリオン弾を遠慮なくぶち込んでいく。笹森君の陽動刹那油断した奴の核を風間隊二人の攻撃が切り裂いた。
 もぎ取った勝利に安堵する間もなくゲートを開けて現れた女性は、奴と少しばかり会話を交わしたと思ったらブラックトリガーを回収してきえた。あげくそのまま奴はその場で絶命する。ここまで、本当にあっという間の出来事だった。



「……救護班を呼べ。人型ネイバーを収容する」

 次なる指示が忍田さんから各員に告げられている中、やっと終わったと気が緩んだ途端にぞくりと背筋を駆け上がる悪寒。ばちんと心臓が鳴ったと思ったら私はボーダートリガーを解除し、ブラックトリガーのトリオンを使って換装をし直していた。ぐらり、と一瞬視界がブレる。

「……は? 何お前。今戦闘体治った?」

 真っ先にその違和感に気付いたのは菊地原君だった。そういえば強化聴覚のサイドエフェクトを持っていると聞いたことがある。今の音の違和感でこちらに気付かれてしまったようだ。そう冷静に状況を分析する傍らで胸騒ぎが収まらなくてそれに反応を返せない。

「城戸司令。場所は」
「市街地東部方向だ。行け」

 秘匿通信に直すことも忘れて城戸司令に尋ねればすぐさま示された場所。後どのくらい私はブラックトリガーを制御していられるだろうか、この感覚は既に第二起動段階へ移行完了している。私は驚くような視線を気にする間もなく一目散に屋上へと駆け上がった。

「あれ、水沢先輩?」

 丁度狙撃援護中だったらしい古寺君が驚いたような声をあげるが、恐らく私はそれを待っている暇もない。

「お疲れ様です、気をつけて!」

 一筋目指す方向にキューブを浮かせて、私は迷わずそれを踏み抜いた。瞬間弾が爆発するその勢いで推進力を得て前へ進む。私の換装体の頑丈さがあればトリオンキューブを踏み台にできるから。損傷することはなくてもじんじんと足に響くような痛みの感覚すら気にする余裕もなく、ただ急がないといけない、と漠然と感じる。

『和音、何故そちらへ向かう』
「奴らが来た! 行かなきゃ!」

 突然声をあげたレプリカは少し戸惑っているようだったけど、急がないといけないということだけは確信していたから全力で空を駆ける。出来ることを惜しんで最悪の事態を起こさせるわけにはいかない。
 それがひとつの、私の選んだ最善だったんだ。

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サヨナラの引力

 

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