次の日、午後一番にお医者様の最終診察を受けた。その結果明日の朝一番で退院できると診断されて、上機嫌で病室へと帰ってくると入り口では烏丸君が待っていた。
「水沢さん、具合どうすか」
「元気だよ、わざわざありがとう」
差し出されたお見舞いの品を受け取って笑顔を返せば、いささか柔らかい表情を浮かべる烏丸君。余り満面の笑顔っていうタイプでもないから、私はこれが烏丸君の笑顔だと解釈している。
「今日は俺が非番なんで来ましたけど、小南先輩と宇佐美先輩が心配してました」
「明日退院だから、夜には顔見せにいくよ」
烏丸君は喋りながらも身体を寄せてベッドへの道を作ってくれて、私もそれに甘えてベッドへと腰かけさせてもらう。傍の椅子を勧めれば珍しく腰を下ろしたものだから、思わず今日はバイト無いの?と聞いてしまった。時間に余裕があるとのことで、相変わらず忙しそうだ。
「三雲君は大丈夫?」
「容態は安定してます。後は目が覚めるのを待つだけなんですが……」
ふぅ、と小さく息を吐いた烏丸君の表情には疲れも見える。日常生活の中にボーダーの仕事だって大変なのに、弟子が大怪我で入院だなんてストレスもそれなりだろう。かといってバイトを休めるわけでもないのだろうし、どうにも見ているだけというものは歯がゆいな。
「烏丸君、これどうぞ」
「……はい?」
疲れた時には甘いものだろうと傍らにあった個包装のお菓子を差し出せば、烏丸君は突然の事に不思議そうな声をあげる。
「米屋君と出水君と緑川君の三人組にもらったの」
「水沢さんへのお見舞いでしょう?」
「消費期限近いんだけど、私一日一個しか食べられないから」
どうぞ、と再度差し出せば烏丸君はまた表情を和らげてそれを受け取ってくれた。私も一つとって今日の分、と包装を破り開ける。烏丸君もそれを見て察してくれたのかお菓子を取り出すと一口で食べ切った。
「……すげー甘いっすね、これ」
「でしょ?」
甘ったるいその菓子に僅かに表情を歪めて呟く烏丸君に同意を示せば、それでももぐもぐと満足そうに咀嚼して飲み込んで一息。ごちそうさまですと頭を下げる烏丸君にいいえ、と返せば、少し間があってから、明日の夕飯何がいいですか?と尋ねられた。当番はレイジさんの日らしくてどうしようかと少し悩む。腹に優しいやつの方がいいですか?と重ねられた言葉にここ最近の食生活を思い出し、レイジさんなら雑炊とか作ってくれそうだと思うと小さく溜息でそれに応える。
「……カレーとか、ハンバーグとか、オムライスとか……」
「なんすかそのお子様メニュー」
「薄味は病院食だけでいいよ……」
確かにあんまり刺激的なのはよくないんだろうけど、それにしたって素朴な味のご飯ばかりで食べた気がしないのだ。素直にそう述べれば、じゃあ明日は楽しみにしててくださいと言ってくれた。
「すみません、俺そろそろ行きますね」
「あ、はい。今日はありがとう」
荷物を持って立ち上がった烏丸君を見送ろうと立ち上がると、そういえば、と烏丸君はもう一度こちらへ振り返る。
「迅さんが明日本部で待ってるって言ってましたよ」
「……わかった、ありがとう」
烏丸君はそれを最後に病室を去っていく。バイトにいくその背中を見送ってから私は一度深呼吸。どちらにせよ退院後の挨拶に鬼怒田さんの所に行く予定だったし、その足で恐らく城戸司令の所に行った方がいいのだろうな。そこで迅さんが待ってる気がする、と明日の予定をなんとなく考えてから、私も今日は目一杯体を休めるべく布団に潜った。
――もし、明日玉狛にいくのなら……
「鬼怒田さん」
「水沢! もう大丈夫か!」
「お陰様で元気になりました」
本部に着いて一番向かったのは開発局の鬼怒田さんの元だ。手土産を持ってお邪魔すればなんでそんなもん、と呆れられてしまう。私の活動停止のせいで開発局の仕事を増やしてしまっているだろうし、せめてもの気持ちと用意したそれを鬼怒田さんは小さな息を吐いて受け取ってくれた。
「今回の活動停止に関しても貴重なデータだ、気にするな」
鬼怒田さんも技術者だからか、あまり失敗に対して厳しくはない。無駄は嫌いだけれど失敗も一つのデータだと言ってくれるから、私もその心遣いに笑顔で応えられる。
「それより城戸司令の所に顔を出せ」
「わかりました、これで行ってきます」
どうにも鬼怒田さんは居心地が悪くなるとすぐに私を追い出してしまう。それも一種の照れ隠しなのだろうけど忙しいのも本当だろう。私は大人しくそれに従って司令室へと向かうことにする。
ようやく部屋の前に辿り付いてノックをしようと構えたら、向こうから扉をガチャリと開けて顔を覗かせる人。
「退院おめでとう」
「……ありがとうございます、迅さん」
やはり、待っていたんだなぁとそれに笑顔を返せば、迅さんが扉を支えたまま体をずらして入るよう促す。私はその脇を通り抜けて城戸司令の眼前へと立った。
「退院、おめでとう」
「ありがとうございます」
全く同じやりとりにも関わらず私と城戸司令の間に走る緊張。城戸司令は鋭い眼を一度閉じてからまた深く息を吸って、私から視線を逸らすことなく低い声で告げる。
「明日、お前のブラックトリガーに関する情報を開示する」
それは私の意志など関係ない、城戸司令の宣言だ。勿論私に拒否権はないしそもそも私の意見を待っているわけではない。ただ私に事実を述べただけのそれにはい、と一度頷いてみせる。
「明日からはS級隊員として扱う。ただし」
とん、と城戸司令の指がこめかみへと当てられた。何かを考え直すような仕草をした上で城戸司令は言葉を続ける。
「使用許可はこちらが出す」
「……は、い」
「防衛任務、他緊急時以外は引き続きボーダーのトリガーを使用するように」
城戸司令のその発言の意図の全てを汲むには私は幼すぎて。だけどその条件は現在とほぼ変わらないものじゃないだろうか。
「……鬼怒田さんが今回のデータから出した結論は、基本的に武器として使うのには向いてないってことなんだよ」
まるで城戸司令の考えを補足するように背後の迅さんが声をあげる。ゆったりと歩いてきたその姿を見つめれば私に笑顔を返して、そうして城戸司令を見ながら口をひらいた。
「城戸さんはトリガーの危険性と力を含めて通達する。使い所は上で指示するっていうスタンスで周知してもらうようにするんだ」
ですよね、と答え合わせを求めるような迅さんの声を受けて、城戸司令は口を閉じたまま瞼を閉じるだけの仕草でそれを肯定する。再び開かれた瞳で私を鋭く射抜き、さらに言葉が重ねられた。
「S級隊員として恥じない活動をするように」
それが、明日からの私の肩書き。
了解、と返答すれば満足気に頷いた城戸司令は話は以上だと暗に退室を促した。行くぞ、と声をかけた迅さんの後を追いかけるため、私は一度城戸司令に頭を下げてから踝を返す。
部屋を出て、ぱたりと扉の閉まる音で緊張が緩み、大きく息を吐いているとそれを見た迅さんが苦笑いを浮かべていた。
「今日はこのままウチにくるか?」
「え?」
「部屋一つ用意してある。休んでそのまま飯食ってけ」
迅さんは私の返事を待たずにそのまま歩いていくものだから、断る理由を見つけられず大人しくその背中についていく。
大丈夫だろうか、と真っ先に不安が浮かんだ。夕飯までまだあるからと心の準備を何一つしていない。
――私は、家族を連れていかれた空閑君にどんな顔をすればいいのだろう。