いつもと違ういつも
「じゃ、夕飯前には誰か呼びにくるから」

 そう言って迅さんは私を部屋に押しこんでどこかへ行ってしまった。ボーダーの方針として今は体制を立て直すことを優先するよう指示が出ており、全体的に縮小運営状態なのは当然玉狛支部も同じのようだ。部屋に来るまでも誰にもすれ違わなかったから余計に静けさを感じる。
 たかだか退院処理を済ませて自宅に荷物を置いて、それから本部に行って玉狛に来ただけのこと。言葉にすればその程度のことなのにやけに疲れてしまった。体力的なこともあるし、気も少し緩んでしまったのだろうか。

「……あぁ、駄目かも……」

 気だるさに引きずられるようにまどろんでいく。意識が瞬時に落ちた。



 とくん、と掌に温もり。意識が唐突に浮上して視界がそれに追いつかない。薄暗い室内に人の気配までを感じて、反射的に思い浮かんだ人物の名を呼ぶ。

「空閑君……?」

 口にしてようやく意識と視界が重なる。違う、と気付いてがばりと体を起こせば、そんな私に驚いてきょとんとした顔の烏丸君がそこにいた。

「起きましたか」
「……は、い……?」

 しかし今度は目の前に何故烏丸君がいるのか理解ができなくて、呆然としているうちにするりと手を離されて混乱する。手を繋がれていたのは本当なのかと状況を再確認していると、烏丸君はそんな私を少し眺めた後でふぅ、と小さく息を吐いた。

「責めるなら迅さんに言ってくださいね」
「何……?」
「起きなかったら手を握ればいいって入れ知恵したのあの人です」
「は、はい……?」
「すみません、本当は宇佐美先輩か小南先輩を待とうと思ったんですが」

 珍しく口数の多い烏丸君の話を寝ぼけた頭で聞いて整理すると、どうやら私がカレーを食べたいという話を聞いて、非番じゃない小南がカレーを作ってくれると申し出てくれたとの事。よって諸々時間が押してしまい夕食の仕上げに今も奮闘中だとか。
 さらに栞も何やら空閑君と一緒に調べものをしているらしく、キリのいい所まで手が離せないと突っぱねられてしまう。千佳ちゃんは三雲君の病室につきっきりだそうで女性陣はこれで全滅。

「で、一番無難なのはイケメンだろうと俺が」
「貧乏くじ引いたわけね……申し訳無い」

 自分でも思った以上に深く眠りに落ちていたようで、恥ずかしいところを見られてしまったなと思うけど時既に遅し。起こしてくれてありがとう、と告げてから立ち上がって伸びをすると、まだ何か言いたそうな烏丸君がじとりとこちらを見つめる。

「……寝癖? 何かついてる?」
「水沢さんと空閑ってそういう仲なんですか?」

 そういう? という意味をしばし逡巡して理解。一番最初に無意識に浮かんだ名前が空閑君で、しかも呼んだのも聞かれてて、状況が状況だ。

「違います……誤解しないであげて……」
「……水沢さんって変なとこ鈍いですよね」

 だから宇佐美先輩に抜けてるって言われてるんですよ、と。何時も通りのポーカーフェイスからは意図がいまいち読み取れなくて、烏丸君はそれ以上は何も言わずに行きましょうと私に背中を向けた。私はそれを深く追求しないまま烏丸君の背中を追って部屋を出る。
 途端にふわりと鼻をくすぐる香辛料の香り。あぁ、小南のカレーだ、と頬が緩む。

「寝起きにカレーってきつくないすか」
「うん、早く身体起こさないと」

 小南のカレー楽しみだなぁ、と腕を伸ばしながら呟けば、それは本人に言ってやってください、と優しく返された。



「小南ーおはよー」
「大丈夫? 変なことされなかった?」

 エプロン姿の小南へ歩み寄れば開口一番からお小言が飛んできた。何もされてないよー、と返せばじとりと小南が烏丸君を睨んで、何もしてないそうです、と告げる烏丸君を無言で睨み続ける。

「水沢、とりあえずこれでも飲んで待ってろ」

 そんな二人の間に割ってはいったレイジさんは片手にマグカップを持っていて、ありがたく受け取ってから食卓の椅子に腰を下ろしてひと口含む。

「……レモネード?」
「少しは眠気覚ましになる」

 少しだけ優しい甘みと酸味が口の中に広がって、柑橘系独特の香りが気分を爽やかにさせてくれる。おいしい、と零れた言葉がレイジさんに届いたのか、ふと表情を緩めたレイジさんはそのまま小南と烏丸君の仲裁に入った。

「小南、腹減ったし早く仕上げるぞ」
「わかってるわよ」
「京介は迅と宇佐美達を呼んで来い」
「わかりました」

 そのお陰で二人の間の無言の攻防戦は終わりを告げて、小南はまたカレーのつけ合わせの仕上げ作業へと戻った。他の人達を呼びにいく烏丸君を見送ってから、台所に並ぶレイジさんと小南が忙しなく動くのをぼうっと眺める。しばらく考えて、レイジさんが今日非番だったんだ、と思い出した。

「小南」
「何よ」
「カレー、作ってくれてありがとうね」

 そう告げれば一度ちらりとこっちを見てから、少し拗ねたようにまた視線を逸らす。別に、あたしが食べたかっただけよ、と零された言葉が聞こえたけど、小南のカレー好きだから嬉しい、と返せばふん、と頬を染めてそっぽを向いてしまった。
 いつも以上に拗ねている様子のその仕草に首を傾げていると、レイジさんが食器に食事を盛り付け始めるのに気付く。配膳位は手伝おうと席を立てばレイジさんから台拭きも頼むと任される。何か小南の機嫌を損ねるようなことしたっけなぁと考えながらも、来る夕飯の時間に向けて私も準備を急いだ。
 
 支度も終わった頃に食堂に現れたメンバーには栞も空閑君も居なかった。何やらどうしても解析が終わらないとかなんとかで手が離せないらしく、だけどメンバー皆が特にそれ以上追及するような様子もなかった。ここ最近はずっとそうなんだと告げるレイジさんの話を聞いて、一体何をそんなにとは思うけど余り深くは聞かないことにする。

 小南のカレーはやっぱり美味しかったけど、食事中に何度か迅さんと小南が何か睨みあうような時があった。あまりに回数が多いものだからどうしたのかと尋ねるけど、二人共に何でも無いと言われてしまえばそれ以上は聞けない。
 それ以外は何時もどおりの食事風景で私は久々の食卓を楽しんだのだった。

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サヨナラの引力

 

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